Allégeance/René Char

Dans les rues de la ville il y a mon amour. Peu importe où il va dans le temps divisé. Il n'est plus mon amour, chacun peut lui parler. Il ne se souvient plus; qui au juste l'aima?

Il cherche son pareil dans le voeu des regards. L'espace qu'il parcourt est ma fidélité. Il dessine l'espoir et léger l'éconduit. Il est prépondérant sans qu'il y prenne part.

Je vis au fond de lui comme une épave heureuse. A son insu, ma solitude est son trésor. Dans le grand méridien où s'inscrit son essor, ma liberté le creuse.

Dans les rues de la ville il y a mon amour. Peu importe où il va dans le temps divisé. Il n'est plus mon amour, chacun peut lui parler. Il ne se souvient plus; qui au juste l'aima et l'éclaire de loin pour qu'il ne tombe pas?

 

René Char 

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変わらぬ心

 

町の通りのあちこちに、私の愛する人がいる。分割された時のなかで、その人がどこに行こうともかまわない。その人はもう私の愛の対象ではなく、誰もがその人に話しかけることができる。その人はもう思い出しもしない、ほんとうは誰が自分を愛してくれたかなんて。

 

その人はさまざまなまなざしの願いのなかに同類をさがす。その人が駆けめぐる空間こそ私の忠実さだ。その人は、希望を描いては、軽々とその希望を追い払ってしまう。たとえそこに居合わせなくても、その人は支配する者なのだ。

 

私はその人の奥底に、幸せな漂流物として生きる。その人の知らないうちに、私の孤独がその人の宝となる。その人の跳躍が刻まれている大いなる子午線において、私の自由がその人をうがつ。

 

町の通りのあちこちに、私の愛する人がいる。分割された時のなかで、その人がどこに行こうともかまわない。その人はもう私の愛の対象ではなく、誰もがその人に話かけることができる。その人はもう思い出しもしない、ほんとうは誰が自分を愛してくれたか、そして誰が遠くから、自分がつまずかないようにと、照らしていてくれるかなんて。

 

ルネ・シャール / 野村喜和夫

Marthe/ René Char

Marthe que ces vieux murs ne peuvent pas s'approprier, fontaine où se mire ma monarchie solitaire, comment pourrais-je jamais vous oublier puisque je n'ai pas à me souvenir de vous : vous êtes le présent qui s'accumule. Nous nous unirons sans avoir à nous aborder, à nous prévoir comme deux pavots font en amour une anémone géante.

       Je n'entrerai pas dans votre coeur pour limiter sa mémoire. Je ne retiendrai pas votre bouche pour l'empêcher de s'entrouvrir sur le bleu de l'air et la soif de partir. Je veux être pour vous la liberté et le vent de la vie qui passe le seuil de toujours avant que la nuit ne devienne introuvable.

 

 

René Char 

 

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マルト

 

  あの古い壁もわがものにすることができないマルトよ、私の孤独の王国がそこに姿を映す泉よ、どうしてあなたを忘れることができよう。あなたを思い出す必要もないほどなのだ。あなたは積み重なる現在。私たちは近づくまでもなく、あらかじめ何をするまでもなく、ひとつになることだろう。二輪の罌粟の花が、愛のうちに巨大なアネモネを成してゆくように。

  私はあなたの心のなかには入るまい。その記憶をかぎってしまうだろうから。あなたの口を口づけでふさぐこともしない。それが青い大気と出発への渇きへとほころび開かれるのを防げることになるだろうから。私は、あなたのための自由でありたい、永遠の戸口をよぎるいのちの風でありたい。やがて夜がどこかにまぎれてしまうまで。

 

ルネ・シャール/野村喜和夫

あゝ! とても苦しい

軋む音がする

夜中に歩く音がする

あゝ! 夜は混沌

月は粉々に砕け散る

薬指を噛んで

静寂を眠りましょう

苦痛のさなか踊りましょう

あゝ! 海が吸い込まれてゆく

あなたの胸に寝転がって

ゆめうつつ

蝶が空気を這ってゆく

さあ 眠りましょう 眠りましょう

破片を飲み込んでしまう前に

薄氷の上を素足で歩く

静けさと共に

 

私は盲目のうちに

果実と天国を別つ

ああ…転落すら喜び

 

砂が網膜を傷め

聖杯は飲み干されぬまま

時は片足をなくす

 

 

長い髪は酔狂のうちに縺れあう

 

あなたの

その指を

溶け合い絡み合うその唇を

全て飲み干してもいいでしょう?

 

記憶は罪と共に

忘却は罰と共に

 

共に…

非常に心苦しいことがあった。

 

私は慰めてくれる友人を持たない。同情を買うようなことはしたくない。強気で生きている分だけ、ポキッと折れてしまうのが簡単になった。

 

私は時間によって傷が癒えることを望まなければ、傷の原因となった罪深さも消えることを望まない。ただ単にそれは感情として存在し、美として存在していた。私にとっての主観的な。

 

きっとこれからも生き続け、生き延び続ける先は果てしなく不毛で汚れている。惨めな生き物なのかもしれない。美的感性と矜恃は私になにももたらさない。損得勘定を考慮しないから損ばかりしている。私は一体この生きにくい世界をまだどれほど生き続けなければならないのか。

 

 

 

今日、見知らぬ男に声をかけられた。渋谷で。

その男はスカウトだと言った。時間をもて余していた私はケーキを奢ってくれるという甘い言葉に乗せられてホイホイと着いていった。

 

彼はおもむろにノートを取り出すと風俗の仕事について話始めた。楽をして60万を稼げる。頑張ったら月100万は稼げる。東京で暮らす女性は月にいくら必要か知っているか。我慢しないで暮らすには20万は掛かる。親に言えずに溜まった借金を返したかったり、余裕を持って暮らしたい地方から出てきた女性がこういった仕事を必要としている、と。

 

私は全てが衝撃の話だったけれども動揺を隠しながらケーキをもぐもぐと食べていた。男はもう一杯カフェオレを飲むか、と聞いてきた。

 

騙されて働く女の子、ガールズバーだと思ったらピンサロで、騙されて面接につれてこられる女の子がいる、君は自分の価値を知っているか、稼げる人にしか声をかけない、君はある意味大金を稼ぐチャンスなんだ、などと言う。

 

ところであなたは自分がどれ程の値段か考えたことがあるだろうか。

 

勿論普通に生活をしていて、こうして自分の身体がどれぐらいの値段で売れるのか(男が話していたのはヘルスの話だが)考えることはないだろう。

 

男は、これ以上綺麗になりたいと思わないか、と聞いてきた。私はこれ以上綺麗になりたいと思ったことはありませんと言った。最初は彼氏がいるので困りますと断った。次にお腹がぽっこりしているので無理ですと断った。結局、親に顔向けできないような仕事は絶対にできない、この感情がある限りこのような仕事は絶対しない、とマジレスしてしまった。

 

道徳心?と聞かれた。違った。これは感情だった。

 

最初に、私は男から性的な目であからさまにみられたこと、それに途方もない価値があると押し付けられたことが不快だった。

 

だが、倫理的な話や風俗がどのような場所かどうかという話は置いておいて、私はご馳走さまでしたといって男から去ったあと、身体について考えざるを得なかった。

 

自分の身体を売って、自分の身体を男に奉仕して金を得ること、報酬を得るということ、仕事にするということ。これはどういうことなのか。

 

全ての男に奉仕するというのは、彼氏という一人の恋人を裏切る行為そのものだけれども、それ以上に、それは私たちの感情とどう関係があるのだろうか、と考えた。

 

私たちの感情は、好きか嫌いか、おおまかに言ってその二つに分かれるだろう。そして嫌いという、不快感を含めた感情すら、自分の身体の感覚にたいして開かなくてはいけないというのが、身体を紙幣の価値に交換するということだと考えた。

 

だが、私たちは、果たしてそれが幸せなのだろうか。勿論答えはわかりきっている話なのだが、なぜ風俗で働く女性がいるのだろうか。好きな人にだけ触れたい、触れられたいという感情が麻痺しているのだろうか。旅行したり好きなものを食べながら、あるいはお金を無理して返しながら生活のために金を稼がなければいけない、そう反論する女性もいるだろう。彼女たちは愛されているという感覚を知らないのだろうか。もしくは愛を知らないのか。知っていてやっているのか。自分の身体の奥深くまで知らない男が入ってくるということに、不感症なのだろうか。私は想像してみた。わかりたかった。けれどもきっと共感するということはできないかもしれない。

 

家族の顔を思い浮かべた。母親と父親と。二人とも初老に差し掛かっていた。私を男の性欲の捌け口にするために産んだ訳ではない。私は機械ではなかった。心を持っている。感情がある。嘆き悲しみ怒り、時にはほろ酔いで眠りについて幸せな感情のまま朝を迎えたこともあった。私は愛されていた。そして幸せな人生を送っていた。

 

そうして、途方もなく悲しくなった。そう感じることもなく、自分の身体を守れない女性たちがいるということを。男性社会に過剰適応して、それを利用しているつもりで利用されている女性たちを思うと悲しくなった。憤りを覚えた。そしてこれは私には全く無関係の世界で起こっていた。無力だった。

 

ところで自分の感情というものに価値を置いている人がどれほどいるのだろう。欲望に言い訳を被せて欺瞞をあたかも正義のように語る男は、本当にひとりの女性を愛したことがあるのだろうか。あるとすれば、それは私にはわからないけれども、年月というのが彼の業を積み立てたのかもしれない。

 

人生をリセットするということを考えたことがある人はいるだろうか。自分の価値観がこんな形で露呈して、それが正義の形を取った欺瞞だと気づいても、それでも自分が男にたいして答えた言葉は全ての女性に言えることだ。

 

 

あなたは本当に人に愛されたことがあるか。愛のあるセックスをしているだろうか。性欲は満たすものかもしれない、けれど私にとって性欲とは、満たすものではない。ひたすら渇望して、憧れて、想像することだ。そして本当に愛する人とする行為だ。あなたはもし同じ条件を提示された時にそう言い切れるだろうか。どれほど想像することができるだろうか。あなたは自分の身体を、いつか訪れるかもしれない愛を、守れるだろうか。信じられるだろうか。