鳩山政権が普天間基地の移設問題で迷走していますが、私がこの問題で一番信じられないのは、鳩山首相自身が政権発足以降、一度も沖縄入りしていないことです。
首相が多忙なのは分かります。しかし予算が成立して国会運営に一区切りが着いたのだから、「次は普天間だ」と言って、まずは自ら沖縄に入るのが当然の感覚だと思います。ところが3月27日、鳩山首相は休暇をとって千葉・鴨川のリゾートホテルに幸夫人と一泊した。首相自らが決めた5月末という期限が刻一刻と迫ってきているにもかかわらず、あまりにも脳天気すぎます。
普天間基地の移設先について、鳩山首相を始め閣僚の発言はこれまでに二転三転してきました。「国外、最低でも県外だ」「嘉手納基地に統合しよう」「いや、グアムだ」「勝連沖だ」「いや徳之島だ」と。そのたびに候補地とされた土地の人々は心を痛めています。鳩山首相は「友愛精神」が身上のはずなのに、そういう人たちへの配慮がまるでない。そして閣僚がてんでバラバラに発言する様子を見ると、鳩山首相には統治能力がないと言わざるをえません。
沖縄・普天間基地の返還は'96年4月、当時の橋本龍太郎首相と米国の
モンデール駐日大使との間で合意された。当時、政務担当秘書官として
橋本首相に仕えた江田憲司氏(53歳)は、返還交渉の舞台裏をもっとも
よく知る政治家でもある。
普天間問題の迷走の原因ははっきりしています。安全保障という国の根幹に関わり、かつガラス細工が積み上がったようなデリケートな案件について、首相も岡田克也外相も北沢俊美防衛相もあまりに軽々しく、言いたい放題言ったからです。自分たちで掘った墓穴にはまり込んだわけです。
普天間基地移設の合意を米国から取り付けた橋本首相は毎晩、関連資料を読み込み、沖縄のことばかり考えていました。橋本さんは、小さいときに自分を一番かわいがってくれた従兄弟が沖縄海戦で命を落としていたということもあって、かねてから沖縄問題に深い関心を持っていた。何度も沖縄に行き、遺骨収集や慰霊にも熱心だったんです。
当時の沖縄では、米海兵隊員による少女暴行事件をきっかけに、反基地感情のボルテージが最高潮に達していました。
そんな状況下で、'96年2月にサンタモニカでクリントン大統領との初の日米首脳会談が開催されることになりました。
その首脳会談を前にして、大田昌秀・沖縄県知事(当時)が県民の声を直接、橋本首相に伝えたがっているという話が私のところに入ってきた。私は、懇意にしていた諸井虔・元秩父セメント会長に頼んで大田知事に会ってもらいました。大田知事は、諸井さんを通じて、「普天間基地の返還と海兵隊の削減が実現すれば、沖縄県民の感情も和らぐ」というメッセージを橋本首相に送ってきたのです。
ただ外務省は、日米首脳会談で「普天間返還」を口にすることに強硬に反対しました。当時の田中均北米局審議官をはじめ外務省は、橋本首相にこう言ったほどです。
「そんなことを言っただけで『こんどの日本の首相は安全保障のあの字も知らない首相だ』と米国から失格の烙印を押されますよ」
米国にとって沖縄の基地は、いつ緊張状態に陥るか分からない中国と台湾の海峡や朝鮮半島にも極めて近い、地政学上の要衝地です。その基地をみすみす手放すはずがない――これが当時の外務官僚の常識でした。
ですから橋本さん自身も、クリントン大統領に普天間の返還を切り出すべきか否か、最後まで悩んだまま首脳会談に臨みました。
その首脳会談の最後です。クリントン大統領のほうから「沖縄問題でなにかあったら言ってください」と水を向けてきてくれた。橋本さんは意を決して切り出しました。「困難は承知だが、普天間を返還してくれればありがたい」と。
昨年、鳩山首相がオバマ大統領と初めて会った時、内容は単なる挨拶だけでした。それでもたいていの日本人は「初めての会談だからしょうがないよね」と受け止めました。だけど橋本さんは最初の会談で、ともすれば日米同盟を損ねかねない個別具体的な案件を切り出した。これはかなりの勇気が必要なことです。
結局、この橋本―クリントン会談の3日後、大統領はペリー国防長官(当時)に普天間返還を検討するよう指示し、1ヵ月後には「普天間を返還します」という話が内々に伝えられてきたんです。「その代わり、代替機能は用意してください」というのが前提でしたが、われわれ日本側にとっては願ってもない成果でした。
次の焦点は移転先選びだった。日本側は当初、嘉手納統合案を提示したが、
「一市二町にまたがる嘉手納基地案は地元自治体の合意が得られない」との
理由で断念。アメリカが推すキャンプ・シュワブ地域が候補地になった。
橋本政権時に、普天間問題の進展が止まったのは、最後に、沖縄の大田知事が逃げてしまったからです。
キャンプ・シュワブのある名護市では、'97年12月に行われた住民投票の結果、受け入れ反対が上回りました。ところがその3日後に当時の比嘉鉄也市長が官邸の総理執務室にやってきて、こう言いました。
「首相、私はここで切腹します。介錯人は妻、場所は官邸、そして遺言状は北部やんばるの末広がりの振興です」と。
辞任と引き替えに基地を受け入れるという表明でした。橋本さんは涙を流しながら最敬礼して、比嘉市長に敬意を払いました。同席していた野中広務さんも泣いていましたね。
ところが普天間返還を言い出した張本人の大田知事が、責任の大きさに恐れをなして逃げてしまった。官邸にやってきた大田知事は、それまでは「地元の意向を尊重する」と言ってきたのに、比嘉市長の受け入れ表明を聞くや、「すぐに受け入れるわけにはいかない。さらに調査をしないと」などと言い出したんです。
それから2ヵ月後、大田知事から官邸の私あてに電話がありました。「沖縄県は普天間基地の名護市への移転を受け入れません」と。私が発案し橋本首相が太田知事と17回も直接交渉してまとめた辺野古沖、海上ヘの移設案は、これで完全に暗礁に乗り上げてしまったのです。
それ以降の自民党政権では、キャンプ・シュワブの辺野古沿岸を埋め立ててV字の滑走路を造るとかL字の滑走路を造るといった案が出されてきましたが、結局これは沿岸を埋め立てるため、土砂利権が絡んだ話になってしまった。
鳩山政権はこういう経緯の検証から始めるべきでした。少しでもそれが出来ていれば、岡田外相の「嘉手納統合案」が、いかに受け入れ不能なプランかがよく分かったはずです。そうした検証作業を抜きにして、首相や閣僚が思いつきであれこれ口にしてしまう。政権の体をなしていません。
そもそも鳩山さんが仲井真弘多沖縄県知事と会談したのは、昨年11月の2度だけです。そんな状態なのにいったい、自分たちで招いたこの困難な現実に対して、どうやって5月末までに結論を出すというのか。事態を収拾できる見通しはまったく見えてきません。
鳩山政権の問題点を一言で言うと、「ガバナンスの欠如」ということに尽きます。
政治主導が口先だけで終わった原因に、政権移行チームや国家戦略局という、民主党がせっかく温めてきたプランを、小沢さんの鶴の一声で潰してしまったことが大きい。これら政治主導の体制整備をやらせなかったのは、小沢さんの、政権の実権を自分が握りたいという意向の反映でしょう。
それでも首相にリーダーシップがあればカバーできるのですが、鳩山さん自身にリーダーシップのかけらもなければ、その意識もない。
こうして政権がもたつく間隙をついて、財務省が復権し、「脱官僚」も空証文にしてしまいました。
最大の象徴が、300兆円の資金量を誇る日本郵政の事実上の再国有化です。元財務官僚の斎藤次郎氏と坂篤郎氏のコンビを日本郵政の社長・副社長に据え、「300兆円ものカネをみすみす民間に渡してなるものか、政治家と官僚で完全に差配して行こう」というのが小沢さんや亀井静香・金融担当相らの魂胆でしょう。結局、彼らが狙っているのは、郵政のカネを公共事業に投資するかつての「財政投融資」の復活です。そして、夏の参院選のための郵便局長や郵政労組の票固めも、もちろんある。日本郵政の「天下り」人事を見て、必ずこうなると私が睨んだとおりの結果でした。
郵政だけでなく道路会社やJAL等の国営化の流れは、実は'81年にフランスで誕生したミッテラン大統領による社会主義政権と酷似しています。ミッテラン政権は、大企業を国有化し、社会保障を手厚くするなど、社会主義政策を突き進めました。しかしその結果、インフレが進み、失業者も増加したため、この路線はわずか1年で破綻。そこで、ミッテランは首相や閣僚のクビを切り、政策を180度転換した。これによってミッテランは、歴代でも、比較的評価の高い大統領とされています。
同じことが民主党にできるかどうか。
「国民の生活が第一」といいながら、「民主党の選挙が第一」が実質的なスローガンになっていて、理念なきバラマキ政治が行われています。マニフェストに掲げた高校無償化も高速道路の無料化もそう。農家の戸別所得補償は、やる気のない農家にまで小遣い銭をくれてやることになっているし、子ども手当もお金持ちにまで配る。こういう配分重視、結果平等、社会主義的なバラマキがいまの民主党の政策です。この調子で民主党政権が、大きな政府、バラマキ路線をひた走れば、財政破綻どころか国家破綻の危機が訪れます。
そうさせないためにも、われわれは結党時から「政権交代プラス政界再編」を訴えてきました。私は、今年7月の参議院選挙後から次の衆議院選挙までの間に、大きな政界再編が必ず起きると見ています。
ただ、民主党が勝利する可能性がひとつだけある。鳩山-小沢ラインが辞任して、それこそ岡田克也首相-前原誠司幹事長くらいの斬新な人事をすれば、参院選で民主党が単独過半数も取るかもしれません。そんな体制になったら、みんなの党は"壊滅"ですよ(笑)。まぁ、小沢さんが絶対にさせないでしょうが。
それは冗談として、自民党から飛び出した与謝野馨さんや園田博之さんが「たちあがれ日本」を結党し、政界再編への兆しが見えつつあります。
そういう中でみんなの党が手を組む相手は誰か。
私自身の人間関係で言えば、与謝野さんとも園田さんとも橋本政権で一緒に仕事をした間柄だし、平沼赳夫さんも同じ岡山出身で郷土の大先輩です。しかし、われわれは人間関係で組む相手を選ぶことはありません。与謝野さんの「はじめに増税ありき」の主張や、平沼さんの国家・国粋主義とは相容れない。
第一、与謝野さんたちの「新党」は、"第三極"ではありませんよ。第三極とは、あくまでも「自民でも民主でもない政党」。そういう意味では、自らも認めるとおり、自民党の補完勢力「第二自民党」でしかない。
われわれは、脱官僚と地域主権で国家経営の大リストラをし「小さな政府」を目指す。一方で規制や税制改革等の経済成長戦略で、経済のパイを大きくする。そして大きくなったそのパイの配分は従来とガラリと変え、医療、介護、年金、子育て等に当てていく、というのが基本方針です。これはバラマキ重視の民主党や谷垣・自民党とはまったく違う主張です。
ただ注目している人たちはいます。例えば自民党では、いわゆる「舛添勉強会」の面々。舛添要一さんや菅義偉さん、塩崎恭久さんらです。同床異夢の人たちによる勉強会という面もありますが、あそこで打ち出している基本政策はそれなりに評価できます。
また民主党は、かつて小さな政府論でした。当時、鳩山さんが構造改革を進める小泉首相にエールを送ったくらいですからね。党内にいるそういうグループとは、参議院選挙後に起きる政界再編の過程で提携を探れればと思っています。
一方の小沢さんは、政権交代可能な二大政党制が目標だと公言しています。だけど本来それは手段であって、目的ではありません。つまり、小沢さんには目的となる政治理念や基本政策がない。「そんなものは後から付ければ良い」というのが彼の発想なんでしょう。
小沢さんは今後、自分に従順な人たちだけで一つの大きな党を作る可能性があります。その時に、与謝野・平沼新党が小沢さんと連動する可能性がある。だけど、小沢さん自身はその党のトップに就任したりはしないでしょう。なにしろ、国会答弁も嫌い、テレビに出るのも好きじゃない、説明責任を果たすのも嫌だという人ですから。でもその代わり、ちゃんと人事とカネの権力は握り、影の権力者として君臨する。
小沢さんがやろうとしていることは、反対派を排除する「純化路線」に過ぎません。今後はおそらく次の参議院選挙で民主党が単独過半数を取れなければ、民主党内の親小沢、反小沢の溝はどんどん深まっていくでしょうね。
といっても、良くも悪くも今の政界に小沢一郎さんほどパワフルでインパクトのある政治家はいません。それだけに引き寄せられる政治家もたくさんいますが、逆に反発していく政治家も多い。われわれはその反作用を上手く利用させてもらいながら、理念、政策で志を同じくする議員を糾合していきます。
鳩山首相は昨年の政権交代を「無血の平成維新」と形容しましたが、とんだ期待はずれでした。みんなの党が主導する参院選後の政界再編こそが、正真正銘の"平成維新"の始まりになるはずです。
週刊現代 4月24日号 講談社
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