【解説】「破綻容認の重い代償」
リーマン・ブラザーズはなぜ救済されなかったのか?
2008年9月の金融危機を振り返ると、真っ先に突き当たる疑問だ。リーマンが破綻するわずか1週間前、米政府はファニーメイとフレディマックという住宅金融公社2社を公的管理下に置くことを決定。3月にはJPモルガン・チェースが米証券ベアー・スターンズを救済するにあたり、ニューヨーク連銀が資金支援していた。ベアーよりもはるかに規模の大きいリーマンをつぶせば世界的な金融恐慌につながりかねない。だからきっと救われる――。誰もがそう思っていた。
メリルにバンカメへの身売りを促す
リーマンの資金繰りがいよいよ行き詰まった08年9月12日金曜日の夜(米国時間)。ポールソンはウォール街近くのニューヨーク連銀本店に、欧米の主要金融機関のトップを招集した。回顧録ではリーマンの運命が暗転する08年9月14日の当事者たちの緊迫したやりとりが克明に描かれている。
リーマンの救済に名乗りを上げていたのはバンク・オブ・アメリカと英バークレイズ。だがポールソンはバンカメには米大手証券メリルリンチを救済させるというシナリオを描き、メリルの最高経営責任者(CEO)であるジョン・セインに、バンカメと身売り交渉するようにひそかに促す。
バークレイズによる買収だけがリーマンが生き残る道だったが、英金融サービス機構(FSA)がバークレイズに買収の承認を与えようとはしない。ポールソンはようやく英財務相のアリスター・ダーリングをつかまえるが、「バークレイズによるリーマン買収はありえない」と通告される。
ダーリングが「ノー」といったのは、詳細を明かさずに英政府に過大なリスクを押しつけようとしている、という不満からだった。救済スキームには米政府による公的な支援がついていなかった。ポールソンはバークレイズがリーマンを買収すれば、欧米主要金融機関が300億ドル超を融資する手はずを整えていた。だが公的支援がなければリスクにおびえる市場の不安を払拭(ふっしょく)できる保証はない。
公的資金を投入を嫌がったホワイトハウス
本書でポールソンは公的資金を投入しなかった理由についてこう述べている。「リーマンの資産を査定したところ、財務基盤が大きくむしばまれていることが判明した。法律の規定に阻まれ、米連邦準備理事会(FRB)はリーマンの資本不足を埋め合わせることはできなかった」。担保不足で融資を受けられなかった、という説明だ。
だが、これは額面通りには受け取れない。公的資金を投入するすべはいくらでもあった。ある日本の大手金融機関の首脳は「リーマン救済の要請が来たが、公的資金がついていた」と振り返る。「ベアー型の公的支援を前提に交渉はいったんまとまりかけたが、最終的にはホワイトハウスが公的支援を嫌がった」という証言もある。大統領選を2カ月後に控え、民主党のバラク・オバマ候補の支持率が急上昇。与党共和党のジョン・マケイン候補の足を引っ張りかねない決断はしにくかった、というわけだ。
本書にはホワイトハウスのこうした意向が働いたことがうかがえる個所がある。大統領首席補佐官のジョシュア・ボルテンの発言だ。「連邦政府の資金を使わないかたちでリーマンを段階的に解体することについては、すでに大統領の了解は得られている」
規律重視の破綻か、安全優先の救済か
哀れを誘うのはリーマンのCEO、リチャード・ファルドである。米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)が救済されるのを知ると、すでに米連邦破産法11条の適用を申請済みにもかかわらずポールソンに電話で懇願する。「政府による保証を実現するのです。わたしの会社を返してほしい」。なぜリーマンだけが見捨てられるのか。そんなファルドの思いがひしひしと伝わってくる。
今年7月にも成立する見通しの米金融規制改革法案では、「Too Big to Fail(大きすぎてつぶせない)」という考え方が改められ、巨大金融機関であっても破綻処理が原則とされている。リーマンの破綻をあたかも正当化するかのようだが、その代償はあまりにも大きかった。規律重視の破綻か安全優先の救済か――。答えは容易には見いだせそうもない。
=敬称略
(ヴェリタス編集部長 越中秀史)
*次回は6月15日に掲載します。
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