17日に亡くなった東松浦郡玄海町の前町長、岸本英雄氏は3期12年にわたる町政で、原発推進の姿勢を貫いた。玄海原発を運営する九州電力への発言力は大きく、再稼働を後押しする一方、地域振興に協力を求めるなど存在感を示した。
東日本大震災と福島第一原発事故が起きたのは2期目の途中だった。原発立地自治体を取り巻く環境はがらりと変わり、全国の原発が止まっていった。
脱原発の世論が高まっても、岸本氏の原発への信頼は揺るがなかった。4カ月後には再稼働を容認、批判も浴びつつ「電気をつくることが国に貢献すること」と主張した。使用済み核燃料の中間貯蔵施設の誘致にも前向きだった。
影響力を背景に、九電には協力も要請した。「事故発生時の要員は町内に居住すること」との求めに応じて九電は町内に社員寮を新設、町は固定資産税や住民税などの税収増を得た。
町長引退後も原発に関わった。九電や中央とのパイプを生かし、玄海1、2号機の廃炉作業への参入を目指す解体工事会社の副社長に就任、影響力を保った。
現職のころ「原発がある町から原発もある町へ」と新産業振興を思い描いていた岸本氏。引退時、「とうとう具体的にならないまま」とこぼしていた。1、2号機が廃炉になった今も、町歳入の6割は原発関連が占めている。