第60回 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール

参加者の皆さんと審査員

- 第60回(平成25年度) 入賞者発表 -

受賞者/演題
外務大臣賞 岡山白陵高等学校 上田 明さん
「未来の世界のため、環境保護と経済開発のどちらを重視すべきか」
法務大臣賞 (受賞時)聖母被昇天学院高等学校/(現)梅花高等学校 中越 采子さん
「多様化する国連のニーズと日本の役割について
-4世代の歴史を通して思うこと-」
文部科学大臣賞 長野県立飯山北高等学校 菅野 萌子さん
「未来の世界のため、環境保護と経済開発のどちらを重視すべきか」
公益財団法人
日本国際連合協会会長賞
宮崎県立宮崎西高等学校 安藤 由夏さん
「日本が国連の安保理常任理事国になることについて」
全国人権擁護委員連合会
会長賞
八女学院高等学校 上田 泰成さん
「多様化する国連のニーズと日本の役割について
-普遍的価値を根づかせる為の努力を-」
公益社団法人
日本ユネスコ協会連盟会長賞
九州文化学園高等学校 坂口 舞さん
「未来の世界のため、環境保護と経済開発のどちらを重視すべきか
-長崎、私たちがつくる離島の明日-」
日本ユネスコ
国内委員会会長賞
青山学院高等部 弓長 春佳さん
「多様化する国連のニーズと日本の役割について」
公益財団法人
安達峰一郎記念財団賞
仙台白百合学園高等学校 佐藤 梓さん
「多様化する国連のニーズと日本の役割について
-記憶せよ、忘るるなかれ-」
日本放送協会会長賞 東亜学園高等学校 ジェンディ今夢さん
「多様化する国連のニーズと日本の役割について
-第二の故郷の平和を願い-」
国際連合広報センター賞 玉川聖学院高等部 佐藤 萌音さん
「多様化する国連のニーズと日本の役割について
-特質を活かした国際交流-」

入賞作品紹介

未来の世界のため、環境保護と経済開発のどちらを重視すべきか

外務大臣賞
兵庫県 岡山白陵高等学校 3年 上田 明

シエラレオネの現実に言葉を失う!

極度の貧困で生活費もない、医療費もない、病院もない、電気もない、薬も無い。病院に運ばれた子供は母親に抱かれたまま診察を受けることもできず「母親の瞳を最後まで見つめながら死んでゆく・・・」 ゲリラに捉えられ、みせしめに手や足を切り落とされる。目の前で母親の首をはねられる。

私たち日本人のどれくらいの人がこの現実を知っているのか。この地球上の人々の生活環境にこんなに格差があってよいのか・・・このような劣悪な環境のなかで必死に生きている人が大勢いる。2011年のWHOの平均寿命調査ではシエラレオネは最下位の193番目で47歳、それに比べ日本人の平均寿命は1番で83歳。最下位と1位。この数字にはとても考えさせられます。これは物質に溢れた生活を謳歌している先進諸国の課題です。今、日本が主導している「ユニバーサル・ヘルス・ガバレッジ」のような基礎的保険医療サービスなどが実現できればこの数字も大きく変わることでしょう。さて、「未来世界のため、環境保護と経済開発のどちらを優先すべきか」今回のこのテーマに関して、シエラレオネの現実を知った人は間違いなく「経済開発」を重視するのではないでしょうか。しかし、平和な環境で暮らしている日本人であれば環境保護を重視する人が多いような気もします。でも、リアルな現状を目の当たりにした人は「そんな甘いものじゃない」と叫ぶのではないでしょうか。今日・明日の食事が得られない、学校にも行けない、医療も受けられない、そんな環境の中にいる人は環境保護など考えている場合ではないのです。経済開発を優先して国が豊かになることを願っているはずです。いや、もはや現実にはそのようなことを考える思考回路さえ失っているのかも知れません。

環境保護は、ある程度成熟した発展途上国や先進国に適応できる言葉だと考えます。また、経済活動が活発になってきた国には核兵器・化学兵器・生物兵器そして、地球温暖化・オゾン層破壊・森林乱伐などの「生態学的破壊」を引き起こす問題が出てきます。我々の日本でも外交テーマとしてこれらの分野で技術協力や環境機器の輸出など環境保護に貢献することができるはずです。ただし、これら諸問題のすべての解決には国家主権の壁を乗り越えるほどのパワーが必要です。国連は「人が人らしく平和に暮らせる世界」を追求している組織だと考えます。この平和を実現するためには、最終的には「人権」という価値観を共有しなくてはなりません。思想的になりますが、そのキーワードを利用して様々な啓蒙活動を行ってゆけば平和な社会に近づけるのではないでしょうか。

国家の繁栄過程には様々なステージがあり、その段階に応じた対策が必要です。私が言いたいことは「きれいごとではなく、現実をみよ!」ということです。そうすると自ずと答えが出てくるような気がします。「貧しい国には経済開発」を「発展している国には環境保護」を、最終的にはこのような答えになるのではないでしょうか。どちらを優先させるべきかという究極のテーマには、「明日、生きているかわからない」というような人々がこの世にいるかぎり「経済開発を優先」させなければと考え、主張します。

最後に、この地球について。私たちの星、地球は46億年の歴史を持っています。最初の5億年ほど原始生命が誕生し、陸上へ生物が進出し、数百万年前にやっと人類が誕生しました。その人類は、ここ100年ほどの間に、工業技術を手に入れ一気に物質文明へと進化しています。私は近年の経済開発と人口増加、それによる環境破壊というこのサイクルを大変恐ろしく感じることがあります。この地球で生活する人類は、限りある資源と自然システムの循環を理解し、この「地球環境と共生してゆく」という考えが必要なのです。

多様化する国連のニーズと日本の役割について
― 4世代の歴史を通じて思うこと ―

法務大臣賞
(受賞時)大阪府 聖母被昇天学院高等学校 1年
(現)梅花高等学校 中越 采子

ひいおばあちゃん・祖父母・両親・私と弟、4世代に渡る私の大切な家族です。私のひいおばあちゃんは大正生まれで今年90歳を迎えます。様々な歴史的事件や戦争を体験し、日本の復興や経済成長・発展、そして世界の移り変わりを体感してきました。歴史の教科書を、色付きの映像で見ているかのような、ひいおばあちゃんの話を、いつも興味深く、そして尊敬の想いを持って、弟と一緒に聴き入っています。ひいおばあちゃんの日々の生活には、いつも笑顔が絶えません。しかし一方で私には、ある高齢者の方の忘れられない光景があります。親戚のお爺さんのお見舞いに、ある地方の病院へ行った時のことです。その病室には、他に三人の高齢者の患者さん達がいらっしゃいました。私は病室に入ると、患者さん達が無表情にじっと一点を見つめたまま、ベッドに横になる姿に戸惑いを感じました。そこへ一人の看護師さんが昼食の介助にやってきました。『山田さん、はい口開けて、ほら早く開けて。食べてくれなきゃ、私困るのよ。後の二人もいるからね、ほら早く食べて、あ~もうこぼさないで!』と、その高齢者の方々の口に、半ば強引に、次々とスプーンを運んで行くのです。料理の味や、食事の時間・会話を楽しむことなどなく、まるで流れ作業のような、そして患者の尊厳を無視する看護師の対応に、私はいたたまれない思いがしました。親戚に聞くと、その高齢者の患者さん達はみな独り暮らしで、子供達は都会で暮らしている為、めったに見舞いに来られない、または来ないのだということでした。

世界の現状において、驚くべきことに、80歳以上の人口は、現在、最も急速に増えている世代だそうです。また多くの国が豊かになり、医療技術が発展し死亡率も低下したことによって、世界人口の平均寿命は今年、過去最高の70歳へと伸びました。もちろん、世界における平均寿命の地域格差の問題とその背景も無視することはできません。しかし、『世界中で毎秒2人が60歳の誕生日を迎えている』という現実、今や高齢化は地球規模での深刻な課題となっているのです。

日本は世界的にも長寿国で、平均寿命が男女とも首位に立っています。今年の『敬老の日』に発表されたデータによると、日本における100歳以上の人口は、5万4千人を超え、過去最多記録を43年連続で更新しています。100歳以上の人口が5万4千人を超える、そんな『長寿国日本』における、高齢者に対する現状は世界に誇れるものでしょうか?私が体験した身近な例だけではなく、日々の新聞やニュースを見ても、高齢者の孤立化による孤独死、社会保障制度への不安、自殺、高齢者間の格差、老人ホームでの虐待や人権侵害など、様々な問題が深刻化しています。急速な高齢化に伴い、そこに対する社会の仕組みや対応が遅れている、という言い訳では済まないのではないでしょうか?現代の恵まれた私達の暮らしの基礎を一生懸命に作り、守ってきてくださった高齢者の方々への、敬意や感謝の想いは軽視されています。これが『長寿国日本』の現状なのです。

国連総会で1990年、高齢者の自立、参加、ケア、自己実現、尊厳、これら5つを基本原理とした『高齢者のための国連原則』が採択されました。それから二十数年、さらなる高齢化が進む中、『長寿国日本』だからこそ世界に発信し支援できる、高齢者社会モデルを示すことが『日本の役割』なのです。高齢者が尊厳をもって、重要な社会の一員として充実した人生を送ることができる。そして私達若い世代が、高齢者に敬意を払い、共に参加できるコミュニティを作っていく、そんな社会への取り組みを示すことが重要だと私は考えます。人間だれもが必ず迎える高齢期を、尊厳をもって、性別、地域、人種や民族的背景、障害に関わらず、公平に充実した生活を笑顔で送ることができる、そんな社会モデルを世界に向け発信し、支援できることが、『長寿国日本』の役割だと私は確信します。そのために今の私達が出来ることは、まず小さな家族単位で、そして地域コミュニティ単位に働きかけ、取り組んで行くことだと思います。将来は私のひいおばあちゃんがいつも笑顔でいる様に、世界の高齢者とその取り巻く環境に、たくさんの笑顔が溢れるよう、世界に向け支援できる『日本』、そして自分自身でありたい、そう強く決意します。

未来の世界のため、環境保護と経済開発のどちらを重視すべきか

文部科学大臣賞
長野県 長野県立飯山北高等学校 2年 菅野 萌子

人類は充分に学んだはずだ。産業革命以後約250年、人類の叡智を結集した科学技術の進歩とそれに伴う経済発展は、人間の見果てぬ夢を現実のものにするとともに、その一方で、かけがえのない一隻しかない船「地球号」を、修復不可能かもしれないという程に痛めつけてしまったことを。

2013年3月、私は地学研修のためネパールのカトマンズに降り立ちました。10日間ほど山岳地帯を巡り、首都カトマンズに戻ってきました。圧倒的感動を覚えるヒマラヤ山塊、穏やかで人懐こい人々、多様な民族文化、どれをとっても全く心惹かれる素晴らしさなのに、何か一つだけ心の中に引っ掛かるのです。一体これは何なのだろう?一日24時間のうち18時間停電になる電力事情の理由だろうか?人々の喧噪とともに存在する環境への無配慮だろうか?それとも未舗装の幹線道路とその脇にあたりまえのように積まれているゴミだろうか?カトマンズの街を歩いているうちに、そのたった一つの引っかかりが何なのか次第に形となって自分の中でわかってきました。そうか、ここではインフラの整備も環境への取り組みもまだこれからなのだ。経済発展の途中では、環境への取り組みが思うように進んではいないのだ、と。

昼夜を問わない停電は、外貨を得るためにインドに電力を売っている事が理由の一つと聞きました。発展のためにはもっと外貨が必要になりヒマラヤの山並みに深く刻まれた美しい谷に、一つまた一つとダムが建設されるかもしれません。経済発展の為にどこかの平野に工業地帯が生まれるかもしれません。ネパールにやってくる観光客のような豊かな生活、そして、豊かな国になることを求めて・・・。経済的に恵まれた国から時々自然や文化遺産を求めて発展途上国を訪れ「美しい自然をこのままに!この素晴らしい文化遺産を壊さないで!!」と、その国の経済状態に無頓着なまま簡単に言うことは、それはもしかしたらとても傲慢なことなのではないだろうかと、ふと思いました。

「未来の世界のため、環境保護と経済発展のどちらを重視すべきか?」と問われれば、私は、即座にどちらも必要なのだと答えます。

最近よく「持続可能な開発」という言葉を目にします。環境保護と開発は互いに反するものではなく共存できるもの、又、していかなければならないものという意味であると私は理解しています。経済発展に邁進している間に、気が付けば、公害に始まり地球温暖化に代表される環境破壊という失敗をしてしまった北半球の国や地域は、国連に代表される国際機関とともに、その失敗をふまえた上で今後の指針づくりに生かし、時には具体的支援、又は協力といった形で、今もしくはこれから経済発展を進める国々に対して働き掛けていく事が必要ではないでしょうか?場合によっては、今ある手つかずの大切なものの保護を始めてしまうというような具体的対策や行動も必要でしょう。

私が国際機関で仕事する立場であれば、環境保護と経済発展に関して、開発国と途上国がともに目指すべき理念を提示し、それぞれの成すべきことを明らかにし、持続可能な開発へ向かうように道筋をつけます。

これまでの失敗はこれからへの知恵となるはずです。

地球号に乗る者の命の重さは皆同じです。どの国の赤ちゃんも飢えや貧困ゆえの病気で死んではなりません。どの子供も、夢を持ち学ぶことから疎外されてはなりません。人が人として幸せに生きていくために、一定の経済状態は最低限必要だと思います。また、環境を保護し、このかけがえのない「地球号」が無事未来に向けて航海を続けられるためには、人類の知恵や技術そしてそれらを形にするための資金も必要です。環境保護と経済発展はバランスを保って補完しあいながら進むべきです。過度または急激な経済発展や自己中心的な開発、経済発展は、「地球号」座礁の危険となることに人類は気づき始めました。宇宙の摂理からみても奇跡で生まれたとしか言いようのない、このたった一隻しかない「地球号」を、私たちは自分や自国の利害を超えて大切にしなければならないと痛感します。私も小さな、小さな存在ながら、この船の乗員の一人として、地球号の未来への無事な航海のため、尽くしていきます。

日本が国連の安保理常任理事国になることについて

公益財団法人日本国際連合協会会長賞
宮崎県 宮崎県立宮崎西高等学校 1年 安藤 由夏

「もう、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないよ。そのためにばあちゃんたちは、みんなに戦争の怖さを伝えているんだよ。10年経っても、広島じゃあ、放射能、放射能って周りのものに触れなかったんよ。絶対に戦争はいけないんだよ・・・。」遠くを見つめるように祖母は私に言いました。そしてその目に堅い決意があるのを、幼かった私は感じたのです。祖母が7歳のときに、広島、長崎に原子爆弾が投下されました。祖母から話を聞いた時の私も同じ7歳。言葉も出ないほどの衝撃を受け「ゲンバクハコワイ」「センソウハイケナイ」という意識が、その時私の中にしっかりと刻まれました。

戦争、核への恐怖心を抱いたまま、成長とともに、授業を通して、新聞やテレビの報道を通して、書物を通して、徐々に戦争、核の知識を増やしていった私は、「核の是非」について考えるようになりました。そして8年が過ぎた頃、一つのチャンスがやってきました。姉がアメリカに留学することになったのです。姉を通して、日本人が伝えてきた核の恐ろしさが外国で認識されているか確認できるのではと考えました。「核をどう思うか。」との姉の問いかけに、返された言葉は完全に私の予想を裏切るものでした。「確かに日本人には申し訳ない思いがあるよ。でも、いつ戦争が起きても対応できるように核は手放せないんだ。」

そこで私ははっきりと認識しました。戦後から現在に至るまで、日本人が言葉で、映像で、体で、そして消し去ることの出来ない記憶で伝えてきた核の恐ろしさ、悲痛な叫びは悲しいことに全世界の全ての人に届いてはいなかったのです。今も北朝鮮の核搭載可能な弾道ミサイル発射、イランの核開発と、いつでも、私たちは核の危険性と隣り合わせにいる状況におかれています。

二度の世界的な大戦を経験した私たち日本人が、「世界平和」を望むことに異論を唱える者はいないでしょう。祖母の戦争体験を聞いたあの日から、私自身も強く「世界平和」を望んでいます。では、どうやって「世界平和」を現実のものとして一歩ずつでも近づけていくのか。そう考えたときに「国連」の存在が大きな意味を持って私の中に浮かんできました。「全世界の平和を守ること」「各国間に友好関係を作り上げること」国連の重要な目的の中に、この二つが掲げられています。そして、平和維持のために大きな権限を持ち、世界の国々をリードしていくのが安全保障理事会の常任理事国です。いわば、常任理事国に世界の未来が託されていると言っても過言ではありません。しかしながら、現在、常任理事国5カ国がすべて核兵器保有国であるのは厳然とした事実です。日本は国連から厚い信頼を受け、非常任理事国に最多の10回選ばれ、また世界第2位の分担金を国連に拠出しています。さらに唯一の被爆国として、最も核兵器の恐ろしさを理解しています。だからこそ日本はもっと自信をもって平和のために積極的協力と責任を果たす姿勢を世界に向けて示すべきではないでしょうか。核兵器をもたない日本が常任理事国になることで、世界を「平和」の2文字でつなぐ要として本当の力を発揮することができるのではないでしょうか。

私と同じ宮崎県出身の誇れる男性がいます。井ノ上正盛氏、イラク大使第一級書記官。彼は2003年、イラク戦争中に現地で何者かの銃弾を受け、30歳という若さで帰らぬ人となりました。井ノ上氏は、幼いときに見た、中東の貧しく危険な生活を追った番組に影響されて、世界が平和であることの緊急性と重要性を強く感じ、外務省に入省されたのです。当時小学5年生だった井ノ上少年は飢餓に苦しむ人々についてこう語っています。「ぼくたち日本人は、これらのことを十分に理解して生活していかなくてはいけないとおもいます。それと同時に飢えに苦しむ人々に少しでも、できることをしていかなくてはいけないとぼくは思いました。」

私はこの井ノ上少年の言葉が偶然にも、祖母の言葉と重なっているように思えました。祖母の、戦争、核に対する思いは、井ノ上氏が世界に平和と平等を強く求めた思いと同じです。戦争、そして核をなくすためには、井ノ上氏が行動したように私もまたすぐに行動しなければならないのです。祖母が私たちに託した切実な願いを叶えるためにも、大きな志を持ちながら目指した世界を見ることができなかった井ノ上氏の思いを現実にするためにも、私は平和を強く願う日本の代表者として国連の一職員となり、世界平和の実現のために精一杯力を尽くしたいと思います。