三浦俊彦:東京大学人文社会系研究科美学藝術学専攻教授の本「論理パラドクス 論証力を磨く99問」に次のようなことが書かれています。
73 UFOの正体 市民によるUFO目撃例をアメリカの空軍や科学者が1950~70年代にかけて徹底的に調査したことがある。 …それによると、目撃例(Fとする)のほとんどすべては鳥や金星、飛行機、飛行船、球状稲妻であると確かめられた。 が、正体が未確認のままの目撃例(Uとする)がいくらかは残った。そして全目撃例Fの中の未確認例Uの割合(U/F)は、Fが多い年も少ない年も、ほとんど同じだったという(たとえば1966年は突出してFの多い年で、「静かな年」だった1963年の3倍もの目撃例があったが、両年ともU/Fはほぼ同じで3パーセント程度だった)。 さて、この事実は、〔UFO=宇宙人の乗り物である〕という説(「Uは宇宙人の乗り物の目撃例である」という説)を肯定する証拠になるだろうか、否定する証拠になるだろうか。 答え◎〔UFO=宇宙人の乗り物〕説を否定する証拠である。 この答えをヒントとして、その理由をもう一度じっくり考えよう。Uは宇宙人の乗り物を目撃した例なのだと仮定してみよう。次の2つの可能性が考えられる。 それぞれについて〔UFO=宇宙人の乗り物〕説否定の理由を考えてください。 (1)宇宙人は毎年同じくらいの頻度で地球に現れている。 (2)宇宙人は毎年同じくらいの頻度で地球に現れているのではなく、ムラガある。つまり、Uの多い年は多く現れた年である。 答え◎ (1)この場合は、Uの頻度が毎年ほぼ一定のはずだから、勘違いや錯覚を含めた全目撃例Fの多い年にはU/Fは減り、Fの少ない年にはU/Fは増えているはずである。ところが、U/Fが毎年ほぼ一定だから、矛盾している。 (2)この場合は、訪れの多い年にはU/Fは増え、訪れの少ない年にはU/Fは減るのが自然だ。しかし、U/Fが毎年ほぼ一定ということは、宇宙人の来訪数の増減に合わせて、人々の間違いの数も増えたり減ったりしていることになる。地球人1人1人の錯覚が、宇宙人の事情にそれほどうまく同調できるのはどうしてだろう? 逆に考えると、人々がよく見間違いをする年(国際的軍事危機や異常気象やテレビ番組の影響か)にはそれに合わせて本物の宇宙人も同比率で多く飛来してUを増やし、見間違いの少ない年(SF以外のエンタテイメントがヒットした年か)には宇宙人も飛来を控えてUを減らしていることになる。地球の事情に宇宙人がどうしてそれほど迎合するのだろう?ともに不合理である。 (1)と(2)のいずれにしても、U/FとFの増減との間に相関関係がないという事実は、Uが徹底して「地球の事情」に他ならないことを示している。これは〔UFO=宇宙人の乗り物〕説を否定するものである。 実際には…U/Fは毎年ほぼ同じというわけでなく、調査の徹底度や諸事情によって上限10%程度まで変動があったというが、全目撃例Fの増減とは相関関係がなかった。U/FとFとの間に相関関係がないというだけで、〔UFO=宇宙人の乗り物〕説を否定するのには十分である。
さらに、「(1)の場合」については、三浦氏の掲示版に「やや詳細」な解説が書かれています。
… 宇宙人の乗り物の飛来数が一定、空を見上げる頻度も一定とすると、宇宙人の乗り物の目撃数も一定で、それをaとします。そのような年を「標準の年」と設定しましょう。 さて、宇宙人の乗り物以外の原因による目撃数を、Fのうちfとします。(F=f+a) 調査の結果未確認にとどまった目撃例で、宇宙人の乗り物以外の原因によるものを、Uのうちuとします。(U=u+a) 標準の年には、U/F=(u+a)/(f+a)です。 次に、空を見上げる頻度が一定でないとし、標準の年に比べて人々が空を見上げる頻度がk倍である年を考えます。 U/F=(ku+ka)/(kf+ka) となるでしょう。 これは結局、 U/F=(u+a)/(f+a) kの値に関わらず、一定です。 だから、「空を見上げる頻度」はU/Fに影響を及ぼさず、無視してかまいません。 換言すれば、見上げる頻度はどの年も同じと考えてかまいません。 U/Fに影響を及ぼしうるのは、本文で問題にしたように、空を見る頻度に対するUFОの目撃数です。 つまり、「目撃しやすさ」が変わると、U/Fが変わるはずです(宇宙人の乗り物が一定飛来数で実在する場合)。 それを次に検証しましょう。(これは本文に述べたことと同じですが、以下、やや詳細に) 社会不安のある年には、目撃しやすさが増えます。 標準年に比べて目撃しやすさがm倍である年は、見上げる頻度を一定とすると、 U/F=(mu+a)/(mf+a) ちなみに、aは見間違えなくてもUFОと見えるので、mの影響を受けません。 mが小さければ小さいほど、U/Fはa/a=1に近づき、大きくなります。 mが大きければ大きいほど、U/Fはu/fに近づき、小さくなります。 mが大きい年というのは(他の条件が同じなら)端的に目撃例が多い年ですが、そのような年にU/Fが小さくなるという相関がみられないということは、本文で述べたように、「宇宙人の乗り物」は存在しない(少なくとも目撃されていない)ことの証拠になるわけです。 「空を見上げる頻度の高い年」「目撃例の多い年」「目撃されやすい年」 ↑それぞれ厳密には別の概念なので、理論的には三つを区別する必要がありますね。 ただ、現実にはこの三つは一致するでしょう。(「空を見上げる頻度の高さ」は「社会不安の強さ」によって決まり、不安は錯覚を引き起こしやすいので「目撃されやすさ」と連動する、という具合に) 以上は、問題73・答(1)と同じことを詳しく述べたものです。 問題73は、「目撃されやすい年」のことを理論的には述べているわけですが、 現実には「空を見上げる頻度の高い年」「目撃例の多い年」に適用できるわけです。 ただし、本来は区別しなければなりません。 …
■ それでは、三浦氏のひり出したこの式
U/F = (mu+a)/(mf+a)
に、実際に数値を入れてみて、三浦氏の「論証」を検証してみましょう。
まずは、
論証(1) 宇宙人は毎年同じくらいの頻度で地球に現れている、 とするならば、 m が小さければ小さいほど、U/F は a/a = 1 に近づき、大きくなる。 m が大きければ大きいほど、U/F は u/f に近づき、小さくなる。 m が大きい年というのは端的に目撃例が多い年であるが、そのような年に U/F が小さくなるという相関がみられないということは、宇宙人の乗り物」は存在しない(少なくとも目撃されていない)ことの証拠になる。
この「論証」、果たして正しいでしょうか。
次の表は、ある3年間(Y1~Y3)の目撃例の推移を表しています。
Ry は、着目する年の U/F が、Y1 の U/F を基準して何倍になったか、つまり比率を表しています。
例えば 着目する年が Y2 の場合は、
(Y2のU/F) / (Y1のU/F)
= 0.0268 / 0.0300
≒ 089%
尚、留意してほしいのは、
我々が知ることができるのは、白いセルの中の数字のみ だということです。
では、まず、
Y1年とY2年の目撃例に着目。
Y1年もY2年も、同じ数の「宇宙人の乗り物」(a = 20)が目撃されています。
また、
Y1年 → Y2年では m が
3 倍になっただけです(u、f は全く変わりなし)。
すると、三浦氏のいうように、Y2年の U/F は、Y1年の U/F より小さくなります(Ry = 0.89)。
(  ̄o ̄)y-~~ ホ~ラネ 三浦教授の仰るとおり、Y1、Y2の両年において「宇宙人の乗り物」の目撃数は同じだった"から"、m が3倍になったら U/F は小さくなったんだ。 でも、現実には「1966年は突出してFの多い年で、「静かな年」だった1963年の3倍もの目撃例があったが、両年ともU/Fはほぼ同じで3パーセント程度だった」ってことだから、このこと(現実にはU/Fはほぼ同じであったこと)は、三浦教授の仰るとおり、「〔UFO=宇宙人の乗り物〕説を否定する証拠」なんだよ。ある年からある年にかけて、m のみが
3 倍になって、u、f は"全く"同じなら、確かにそうです。
しかし、
現実には u、f が、ある年とある年で"全く"同じということは およそ有り得ません。
そこで、
今度は Y2年とY3年を比較してみましょう。
Y3年も Y2年と同じ数の「宇宙人の乗り物」が目撃されています(a = 20)。
ただ、
Y2年 → Y3年では、u が僅か13件増えた(100 →
113 )、
これにより u/f は僅か0.33%増えた、
つまり、f 100件あたりの u がたった 0.33件増えた、
つまり、Y2年では f 100件あたり u 2.51件だったのが、Y3年では f 100件あたり u 2.84件に増えた"だけ"です(f、m は全く変わりなし)。
にも関わらず、
Y3年の U/F は、Y2年の U/F より大きくなり、Y1年の U/Fと同じになります。
つまり、
Y1年とY2年の間で m が3倍になったことにより、せっかく検出できた「宇宙人の乗り物の目撃」に起因する U/F の変動は、u/f のわずかな「ゆらぎ」よる逆方向の変動で、完全に打ち消されてしまう、ということです。
仮に Y2年のデータが紛失していて、Y1年のデータとY3年のデータのみを比較せざるを得ない、としたら、
三浦氏なら、地球侵略を目論む宇宙人には好都合なことに、「宇宙人は地球に飛来してい"ない"」という「事実」に反する結論を下します。
◎「論証(1)」の検証結果:
ある年とある年にかけて、
全く同じ数の「宇宙人の乗り物」が目撃されている場合に、
F:全目撃数 が約3倍になったとしても、
U/F には特に変動が見られないことも有り得る。
よって、
「U/F と F の増減との間に相関関係がないという事実」だけで、
「〔UFO=宇宙人の乗り物〕説を否定する」ことはできない。
なので、
「論証(1)」はデタラメである。
では、次、
論証(2) 宇宙人は毎年同じくらいの頻度で地球に現れているのではなく、ムラがある、 とした場合、 U の多い年は訪れの多い年で U/Fは 増え、訪れの少ない年には U/F は減るのが自然だ。 しかし、 U/F が毎年ほぼ一定ということは、宇宙人の来訪数(a)の増減と人々の間違いの数(f)の増減(m)が「うまく同調」していることになり、「不合理である」。 よって、「宇宙人は地球に飛来しており、その頻度にはムラがある」と仮定しても、現実(U/Fが毎年ほぼ一定)との矛盾が生じる。 よって、 現実には「U/Fが毎年ほぼ一定である」ことは、宇宙人の乗り物」は存在しない(少なくとも目撃されていない)ことの証拠になる。
これを、
U/F = (mu+a)/(mf+a)
に沿って、(なぜか(2)については三浦氏は「詳しく述べ」てくれていないので)三浦氏の代わりに「詳しく述べる」ならば…
「宇宙人の乗り物の目撃例」:a の増減と「人々の間違いの数」: f の増減が同調しているとは考えられない以上、a の多い年では U/F は増え、a の少ない年には U/F は減るのが自然だ。 つまり、U/F の増減は a の増減と同調するはずである。 ところが、現実には「U/Fは毎年ほぼ一定」である。 ということは、少なくとも「a は増減していない」、ということである。 しかし、 すでに「論証(1)」において、 「U/F は毎年ほぼ一定」であるという現実は、 「宇宙人は毎年同じくらいの頻度で地球に現れている」ことを否定する、と結論した。 故に 「U/F は毎年ほぼ一定」であるという事実は、a は 0(ゼロ)つまり、U が徹底して「地球の事情」に他ならないこと(U = u)を示している。 これは〔UFO=宇宙人の乗り物〕説を否定するものである。
…ということです。
が、
この「論証(2)」も、果たして正しいのでしょうか。
次の表は、ある4年間(Y4~Y7)の目撃例の推移を表しています。
Ry は、この表では、着目する年の U/F が、Y4 の U/F を基準して何倍になったかを表しています。
まず、
Y4年とY5年の目撃例に着目。
Y4年 → Y5年で「宇宙人の乗り物の目撃例」: a は 0 →
20 と増えています。
すると、三浦氏のいうように、Y5年の U/F は、Y4年の U/F より大きくなります(Ry = 1.16)。
ただし、これまた、「Y4年→Y5年で u、f、m は"全く"変わらない」という、およそ現実的でない条件付きでの話です。
では、今度は
Y4年と Y6年の目撃例を比較してみましょう。、
「宇宙人の乗り物の目撃例」:a は、やはり 0 →
20 と増えていますが、
U/F は 3.00%からまったく微動だにしていません。
しかし、
これは、「人々の間違いの数」: f が「宇宙人の乗り物の目撃例」:a の増加と同調して増加しているから、では"ありません"。
u と f が、それぞれ僅か20件ずつ減った( u: 120 →
100 、 f: 4000 →
3980 )、
これにより、u/f は僅か0.49%減った、
つまり f: 100件あたりの u が 0.49件減った、
つまり Y4年では f: 100件あたり u :3.00件だったのが、Y6年では f 100件あたり u 2.51件に減った"だけ"です。
つまり、f が a の増加とまったく同調してい"なく"ても、U/F は 3.00%からまったく微動だにしてい"ない"、ということです。
よって、この場合も、
Y4年 → Y5年の間で a が 0 → 20 になったことにより、せっかく検出できた「宇宙人の乗り物の目撃」に起因する U/F の変動は、u/f のわずかな「ゆらぎ」よる逆方向の変動で、完全に打ち消されてしまう、ということです。
仮にY5年のデータが紛失してしまっていて、Y4年のデータとY6年のデータのみを比較せざるを得ない、としたら、
三浦氏なら、地球侵略を目論む宇宙人には好都合なことに、「宇宙人は地球に飛来してい"ない"」と「事実」に反する結論を下します。
◎「論証(2)」の検証結果:
ある年とある年にかけて、
「宇宙人の乗り物の目撃」が増加したとしても、
U/F には特に変動が見られないことも有り得る。
よって、
「U/F と F の増減との間に相関関係がないという事実」だけで、
「〔UFO=宇宙人の乗り物〕説を否定する」ことはできない。
なので、
「論証(2)」もデタラメである。
(; ̄o ̄) ウ~ン… ち、ちょっと待て、遅読猫。 お前の仮定した「宇宙人の乗り物の目撃例」が20件ってのは ちょっとばかし少ないんじゃないか? 件数がもっと多くないと、三浦教授におっしゃる「U/F の変動」は検知できないんだよ、たぶん…。いやいや、
三浦氏は「Uが"徹底して"「地球の事情」に他ならない」と言っています。
これすなわち「Uには"全く"「宇宙人の乗り物」は含まれていない」という事です。
よって、私の「宇宙人の乗り物の目撃例」が20件という仮定に なんの問題もありません。
■ と、ここまで、三浦氏自身がひり出したこの式
U/F = (mu+a)/(mf+a)
に従ったして"も"、三浦氏の「論証」は間違っていることを示しました。
が、
そもそも、この式は「現実」を正しく反映しているのでしょうか?
以降、話を分かり易くする為に、三浦氏の言う「人々が空を見上げる頻度」:k は、一旦脇に置いておきます。
つまり、しばらくの間は「見上げる頻度はどの年も同じ」として話を進めます。
そして、三浦氏は m を「目撃しやすさ」としていますが、これを分かりやすく「見間違いやすさ」と言い換えます。
もし Ys年 → Ym年で m が増加した場合、その増加分イコール「Ys年には「宇宙人の乗り物」と見間違われていなかった"もの"が、Ym年には「宇宙人の乗り物」と見間違われてしまった」目撃例、ということです。
さて、ここで、
ナショナルジオグラフィック ニュースに載った、
オーソン・ウェルズの『宇宙戦争』がラジオで放送されたとき、パニックが起きて、
「当時の報道によると、グローバーズミルに住むウィリアム・ドックという人物は、サンダーズさん宅近くの大きな給水塔を火星人の宇宙船と勘違いし、塔に向かって発砲したという」
話
(*1) を元に私が作った譬え話をひとつ。
『宇宙戦争』がラジオで放送される年以外の年「静かな年」(Ys)には、全米において警察機関への火星人の歩行マシンの目撃通報(f)が平均1件ある(ほぼ、小説の『宇宙戦争』を読んだことのある酔っぱらいによるもの)とします。
ところが、『宇宙戦争』がラジオで放送された問題の年(Ym)には、パニックを起こした人達(+ただの酔っぱらい)からの同様の通報が20件あったとします。
つまり、Ys年 → Ym年で、f は 20倍になった、ということです。
では、
Ys年 → Ym年で、「調査(するまでもないとは思いますが)の結果未確認にとどまった目撃例」:u はどうなるでしょうか?
Ys年の u は、「調査の結果」、当然ながら、酔っぱらいが目撃したものは「給水塔」だったと、確認されて、0(ゼロ)になるはずです。
とすると、Ym年の u も 0(ゼロ)になるはずです。
つまり、「調査の結果未確認にとどまった目撃例」:u はまったく変動しません。
なぜなら、Ys年の1件の f が調査の結果「給水塔」だと確認されたのであれば、たとえ Ys年 → Ym年で f が20倍に増えたとしても、その20件の f 全て"も"「給水塔」である、と確認されるはずだからです。
もちろん、
これは極端な例ですが、本質的には全く同じことが「UFO の目撃例」にも起こっているはずです。
例えば、「見間違いの少ない年」Ys年には、「金星」が「宇宙人の乗り物」と見間違われた目撃例が1件だった、とします。
そして、なんらかの理由で「人々がよく見間違いをする年」Ym年では、「金星」が「宇宙人の乗り物」と見間違われた目撃例が 20件だった、とします。
ところが、
この「金星」による f の増加分は、調査の結果、結局は全て「金星」と確認されてしまうので、u の増加にはまったく寄与しません。
このように、
「見間違いの少ない年」Ys年 →「人々がよく見間違いをする年」Ym年で、
仮に f が3倍になったとしても、
その増えた分は、Ys年だったなら そもそも「見間違われ」"なかった"はずのものなので、
「徹底的に調査」をすれば それら全てが「宇宙人の乗り物」では"ない"と確認できるはずです。
よって、結局 Ys年 → Ym年で、u はほとんど同じはずです。
これを式で表すと
U/F = (u+a) / (mf+a)
と言うことになり、
a が u や f に比べて小さい場合、
m が3倍になれば U/F は 約1/3 に、m が1/2倍になれば U/F は 約2倍 に、
つまり、m と U/F はほぼ反比例するはずです。
しかし、
現実には「U/Fは毎年ほぼ一定」ということですから、
「m も毎年ほぼ一定」ということになり、
よって、三浦氏のいう「人々が"よく"見間違いをする年」などというものは(少なくとも「徹底的に調査した、1950~70年代にかけての期間」には)現実にはなかった、
ということです。
なので、
m は不要であり、さらに、先に一旦わきに置いていた「人々が空を見上げる頻度」:k も考えに入れると、
U/F = k(u+a) / k(f+a)
さらに、
a をどんな数に仮定しようと、上で検討したように、なんにも分からない以上、
U を u と a に、F を f と a に分けて考えても まったく無意味なので、
u、f、a も御払い箱にして、
さらに、
U と F それぞれに、「標準の年」のものなら"s"、「着目する年」のものなら"n"を付けることにすると、
結局
Un/Fn = k
Us / k
Fs
で、
目撃例:F の増減は、「人々が空を見上げる頻度」:k "のみ"に依存し、よって、比較する年の間で「調査」の精度が格段に向上したというようなことがない限り、必然的に、「調査をしても正体がわからないもの」:U も k "のみ"に依存します。
それ故、現実に、
「1966年は突出してFの多い年(n)で、「静かな年」だった1963年(s)の3倍(k)もの目撃例があったが、両年ともU/Fはほぼ同じで3パーセント程度だった」訳です。
これは、
ある海辺から採取した1kgの砂(Fs)を、ある篩(ふるい)に掛けたところ、その内(小石など)3% = 30g(Us)が篩に残った場合、
今度は同じところから採取した3kgの砂(Fn)を同じ篩に掛ければ、その内の 30 × 3 = 90g(Un) が篩に残るのとまったく同じこと。
で、
当然のことながら、
篩に掛けた砂の量(F)が増減しても、篩に掛けた砂の量(F)と篩に残った小石の量(U)の比(U/F)が毎回「ほぼ同じで3パーセント程度」であることは、篩に残った小石の中に"隕石"が在ることを「否定する証拠」にはならないし、肯定する証拠にもなりません。
よって、
問73 の
"正しい"答 ◎ 〔UFO=宇宙人の乗り物〕説を肯定する証拠/否定する証拠、どちらでもない。 いずれにしろ、
三浦氏の「論証」とやらは、中二病レベルの、まったくの机上の空論。
こんなんで、よくも、まぁ、「論証力を磨く」などと言えるもんです。
(*1):
ナショナル ジオグラフィック News 2013.10.31 「「宇宙戦争」、パニックはなかった?」 尚、引用元の記事には「給水塔を火星人の"宇宙船"と勘違いし」とありますが、これは三本脚の火星人の歩行"マシン"の間違いです。この"マシン"は火星人が地球に着いてから作ったもので、また 宙に浮くわけでもないので、いかなる意味でも「宇宙船」ではありません。