このままでは、コロナ自粛は「国民が勝手にやったこと」にされてしまう

政治の「責任」はどこにいったのか
平河 エリ プロフィール

「責任」という言葉を連発してきたが…

赤木俊夫さんの遺書が見つかり、野党議員が質問する中、国会において、安倍総理はこう述べた。

「真面目に職務に精励していた方が自ら命を絶たれたことは痛ましい出来事であり、本当に胸が痛む思いであります。(中略)国民の皆様の信頼を揺るがす事態となってしまったことに対しまして、行政府の長として大きな責任を痛感をしております」(参議院総務委員会/令和2年3月19日)

〔PHOTO〕Gettyimages

総理は、大きな責任を痛感しているようだ。

ところで前述の通り、一般社会に置いて「責任を痛感」していると表明することは、当の問題の解決のためにあらゆる手段を取るという意味を持つ。

 

議会の議事録を紐解くと、安倍晋三衆院議員はこれまで国会において「責任」という言葉を2462回発言している。

これは部分一致なので、「無責任」などの類似語もあるにはあるが、最近の発言の多くは「責任を持って」「責任がある」など、総理としての責任に言及している。

いくつか引用しよう。

「今回の休校に伴って生じる様々な課題に対しては、政府として責任を持って対応することとしており(後略)」(第201回国会参議院本会議/令和2年3月6日)
「学校の臨時休業は、これは私が決断した以上、責任を持って、御指摘も含めて、これによって生じる様々な課題について万全の対応をする決意でございます」(参議院予算委員会/令和2年3月4日)