外出減少率は、目標である8割にはなっていない。
本来であれば、政府は、十分な休業補償金 を支出して休業要請をより厳格にし、コロナ感染 の拡大を何としても食い止めなければならない。経済を意図的に落ち込ませる一方で、 連鎖倒産防止 のために全力を尽くさなければならない。いままで経験したことのなかった難しい運営が求められている。
これを実行するには、従来とはまったく異なる発想が要求される。
イングランド銀行は、政府の短期国債を直接に引き受けることによって、市中にマネーを供給する。巨額の納税猶予や賃金補助を行なうからだ。日本でも、本当は同じことが必要だ。
日本でも、短期国債の日銀引き受け発行は、財政法第5条の下で可能なことだ。何の制度改正も必要なく、政府が決断するだけでできる。
だから、休業補償金も、年度内に審査して一部は回収する給付金 にすれば、必要なだけ、いくらでも給付できる。
それにもかかわらず、麻生財務相は、「経済対策とプライマリーバランスの関係を考慮する必要がある」とした。
財政健全化は、平時において重要な目標だ。これと緊急時の対応を混同してはならない。財政の健全性は、中長期的な観点から必要とされることだ。現在のような異常時にそれにこだわり、納税猶予や休業補償 を中途半端なものにすれば、経済が立ちゆかなくなる。
いまは、すべてに優先して感染拡大を防止しなくてはならない。
黒沢明監督「7人の侍」で、野武士の襲撃から村を守るため、侍を雇おうとする提案を村人たちで協議する場面がある。「娘が心配だ」という声があがる。長老は一喝した。
「野伏せり来るだぞ!首が飛ぶつうのに、ヒゲの心配してどうするだ!」
いまの日本政府の指導者たちは、是非、この言葉を思い出してほしい。
コロナ後の世界(それが実現することを、何と切望することだろう)は、今年2月までの世界の連続ではありえない。あまりに多くの虚構が暴かれてしまったからだ。コロナが去ったとき、我々はただ呆然と立ちすくむだけだろう。
コロナ は、様々なものの本当の姿を暴いてしまった。政治家の資質、所得が消滅していく経済で国が何をなしうるか。権力者が本当は何を考えているのか。
今年1月の古新聞を見る。あの頃の世界の、何と平和だったことか。