「コロナ後の世界」に忍び寄る「健康・健全ディストピア」

不健康と不健全が「罪」となる社会で
御田寺 圭 プロフィール

富裕層が「ただしさ」も独占する

「生活習慣病(糖尿病、肥満症、高脂血症、高血圧症、大腸がん、歯周病など)」については、そのネーミングも相まって、すでに自己責任の論調が顕著になっている。

その兆候は市民社会レベルどころか、政治的レベルにおいても見えはじめている。たとえば麻生太郎財務大臣は、2019年10月に「『自分で飲み倒して、運動も全然しねえで、糖尿も全然無視している人の医療費を、健康に努力しているオレが払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」と発言した。

しかしながら、生活習慣病に陥りやすい人はどちらかといえば貧困層に多い。たとえば生活習慣が原因と目される2型糖尿病患者について全日本民主医療機関連合会(民医連)が40歳以下を対象にした調査によれば、その多くが低年収の人に偏っていた。こうした「健康格差」は、富裕層のように時間的な余裕もなく、規則的な生活リズムを維持しバランスのよい食事をとることもできない貧困層の現実を示唆している。

 

今回のパンデミックにおいても、米国ではすでに感染者に所得の少ない黒人が突出して多いことが明らかになっている。彼らの多くは、都市封鎖や外出制限が行われても生計を得るため、そして社会インフラを維持するために出勤せざるを得ず、ますます感染のリスクにさらされる悪循環が起きている。貧困が必ずしも自己責任によって生じるわけではないことは、明白な事実だ。富裕層の大半はたまたま富裕層の家に生まれ、貧困層の大半はたまたま貧困層の家に生まれただけだ。

「社会の健全化・潔癖化」が進められる「アフター・コロナの世界」では、貧困層は酒や煙草といった品々を楽しむ自由を奪われ、貧困によって生じる不健康を自己責任だとなじられ、ついには社会に害なす悪だと罵られる。その一方で、豊かな者はこれまでの社会でもおおむね健康である人が多かったが、今後は健康であることによって「ただしさ」「正義」「社会の成員としてあるべき模範」といった称号をも獲得できるようになる。