2019/07/14
前回に書いた「ルイ16世夫妻の命取りとなったのは、本当に豚足料理だったのか?」で、実際には食べていないはずの豚足料理をルイ16世が食べたことにされたのも、豚の料理を持ち出して国王が愚かだということにしたのでしょう。
ルイ16世にまつわる料理に「Tête de Veau(テット・ド・ヴォー)」というのもあります。
◆ Tête de Veau(子牛の頭)どいう料理
この料理名は、「子牛の頭」というグロテスクなもの。子牛の頭を使った料理です。
Wikipediaによれば、ヨーロッパ(特にフランス、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア)でクリスマスに食べる料理となっていました。ということは、臓物なのに、ご馳走として食べる料理だということ?
私は2度か3度しか食べたことが無いように思います。

★ ゲテモノ食い?!: テット・ド・ヴォー 2007/05/16
◆ 1月21日に子牛の頭の料理食べる人たちがいる
1792年9月21日に第一共和制が成立してから4カ月後、ルイ16世は処刑されました。1月21日は、1793年にギロチンで死刑にされたルイ16世が処刑された日です。その日には、鎮魂ミサを行う教会がある一方で、子牛の頭を食べる習慣がある人もいます。
ルイ16世の切り落とされた頭を思い描きながら子牛の頭を食べて喜ぶなんて、頭が狂っているのではないかと思ってしまう...。

◆ フランス革命という資本主義革命
そもそも、フランス革命事態が残虐すぎたと思います。
経済力をつけてきたブルジョワが、貴族を死刑にして抹殺し、彼らに取って代わろうとしたのは自然なこと。でも、各地の教会や修道院を破壊したり、聖職者を修道院から追い出したのは理解に苦しみます。18世紀末の人々は現代よりも遥かに信仰心が強かったはずですから、「そんなことをしたら罰が当たる」みたいには思わなかったのだろうか?
しかも、革命が進む中で、革命家仲間をも死刑にしたりしているのですよね。
考えると、フランス人って、何をするか分からない怖い人たちだと思ってしまう...。
革命前のフランス(アンシャン・レジーム)では、3つの身分がありました。国民の8割を占めるのが平民(第3身分)。その上に聖職者(第1身分)と貴族(第2身分)が特権階級として存在しています。
聖職者の勤めは祈ること。貴族の勤めは戦争で働くこと。平民は農業や商業に携わって収入を得ることができますが、その代わりに税金を納める義務がある。
↓ アンシャンレジームを風刺した画。第三身分者が聖職者と貴族を背負っています。

« caricature des trois ordres : un paysan, un noble et un membre du clergé », caricature anonyme, 1789
フランス革命という資本主義革命を起こした人たちは、社会はこういう風になっていると平民を煽ったわけですね。
7月14日日は革命記念日として、各地で花火大会やダンスパーティーなどがある祭りが開催されますが、フランスにとって革命で失われたものは大きかったと思います。
特に宗教建築物の破壊が行われたことは、観光国フランスにとって痛手でした。そんな革命はなかったイタリアに行くと、芸術や建築物の宝庫であることを痛感します。
ブルゴーニュにあるクリュニー修道院(Abbaye de Cluny)は、ローマにサン・ピエトロ大聖堂が設立されるまではヨーロッパで最大の宗教建築物だったのですが、フランス革命で破壊されて石材供給源になってしまったため、聖堂南側の翼廊の一部だけが当時の姿を残しているだけという哀れな姿になっています。
◆ ルイ16世に付けられたあだ名は「ブタ」だった
マリー・アントワネットを国民の敵にするのは容易だっただろうと思います。派手だし、外国から嫁いで来た女性ですから。
温厚なルイ16世を中傷するのは大変だったかも知れない。
フランス革命が勃発してから3年間、ルイ16世は王権を失っていませんでしたが、「Roi Cochon(ブタ王)」というあだ名を付けられてしまいました。小太りだったから? いずれにしても、日本と同様にフランスでも「豚」は悪いことに対する意味で使われます。
豚を意味する単語には porc もありますが、cochonは特に食肉用に去勢した雄豚を意味します。cochonという方が侮辱度が強いでしょうね。
「ルイ16世夫妻の命取りとなったのは、本当に豚足料理だったのか?」で触れた1791年の国外脱出に失敗してパリに連れ戻されたことについては、風刺画が多く出されたようです。

Ah ! le maudit animal ! Il m’a tant péné [sic] pour s’engraisser. Il est si gros et gras qu’il en est ladre. Je reviens du marché, je ne sais plus qu’en faire

ルイ16世の処刑を祝って、なぜ豚ではなく子牛の頭を食べるのかが気になったので調べてみました。
◆ なぜ、子牛の頭(Tête de Veau)なのか?
初めのうちは、豚の頭を食べていたのでした。
風刺文の書き手が、ルイ16世の処刑の翌年(1794年1月21日)に絶対王政の終焉を祝う共和主義者の饗宴を開くことを提案したのが始まりだと言われます。そのことが書かれた小冊子は「La Tête et l’Oreille(頭と耳)」と題されていて、メインディッシュとして豚の耳と頭を提案していたそうです。
その風習は19世紀半まで毎年行われて、出される料理は「tête de cochon farci(詰め物をした豚の頭)」だったそうです。ところが、第二共和政が始まった1848年頃から、1月21日に開かれる饗宴では、豚の頭ではなくて、子牛の頭を食べるようになったtのこと。
ギュスターヴ・フローベールの長編小説『感情教育(1869年)』では、イギリスの風習がルーツだと記述されています。
1948年の革命(二月革命)に参加した登場人物に、イギリスではイングランド王のチャールズ1世が処刑された日を祝ってRoundheads(円頂党)が1月30日に行っていたセレモニーのパロディー化したと語らせています。
イギリス版は子牛の頭蓋骨をワイングラス代わりにするというもので、饗宴では並々と赤ワインがつがれ、乾杯を繰り返していたのだそう。イギリス人も残酷ですね~。
◆ 何が良くて、何が悪いかの判断は下せない

結局のところ、革命を起こしたって権力者が入れ替わるだけだと思う。中国は共産主義と言うけれど、貧富の差は大きいのですから、キリスト教的なユートピアを築こうとカール・マルクが考えた共産主義とは無関係だと言いたい。
日本は残酷な革命などはせずに大政奉還(1867年)を行ったのは誇らしいことだと思う。
ルイ16世は、どことなく徳川幕府最後の将軍となった徳川慶喜に似ているような気がします。
静岡で余生を送ることになった慶喜は、政治的野心は全く持たず、潤沢な隠居手当を元手に、写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲などの趣味に没頭する生活を送ったと言われます。
ルイ16世も、錠前づくりや狩猟が趣味でした。隠居生活をするように配慮してもらえたら、穏やかに暮らしたのではないかな。むしろ、王様をやっているより幸せな人生だったかも知れない。もともと彼は国王になる順番は3番目だったのに、上の二人が亡くなってしまったので国王にされてしまった人ですから。
フランス革命期に関した書籍で、気に入ったのは翻訳で読んだ次の著作でした:
フランスの友人にシュテファン・ツヴァイクが書いたマリー・アントワネットの心理描写が感動的だと話したら、この作家の著作『チェスの話』も見事な作品だと言われました。いつか読みたいと思いました。
『フランス革命の代償』の方は、フランス革命200年を祝った年に出版された本でした。フランス人たちはフランス革命によって近代国家がつくられたと自負しているようなので、これによってフランスは斜陽の国になったとする主張なので挑発的な作品だろうと思いました。
続き:
★ ナポレオン1世のイメージに対する、日本とフランスの違い
ルイ16世にまつわる料理に「Tête de Veau(テット・ド・ヴォー)」というのもあります。
◆ Tête de Veau(子牛の頭)どいう料理
この料理名は、「子牛の頭」というグロテスクなもの。子牛の頭を使った料理です。
Wikipediaによれば、ヨーロッパ(特にフランス、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア)でクリスマスに食べる料理となっていました。ということは、臓物なのに、ご馳走として食べる料理だということ?
私は2度か3度しか食べたことが無いように思います。
★ ゲテモノ食い?!: テット・ド・ヴォー 2007/05/16
◆ 1月21日に子牛の頭の料理食べる人たちがいる
1792年9月21日に第一共和制が成立してから4カ月後、ルイ16世は処刑されました。1月21日は、1793年にギロチンで死刑にされたルイ16世が処刑された日です。その日には、鎮魂ミサを行う教会がある一方で、子牛の頭を食べる習慣がある人もいます。
ルイ16世の切り落とされた頭を思い描きながら子牛の頭を食べて喜ぶなんて、頭が狂っているのではないかと思ってしまう...。
◆ フランス革命という資本主義革命
そもそも、フランス革命事態が残虐すぎたと思います。
経済力をつけてきたブルジョワが、貴族を死刑にして抹殺し、彼らに取って代わろうとしたのは自然なこと。でも、各地の教会や修道院を破壊したり、聖職者を修道院から追い出したのは理解に苦しみます。18世紀末の人々は現代よりも遥かに信仰心が強かったはずですから、「そんなことをしたら罰が当たる」みたいには思わなかったのだろうか?
しかも、革命が進む中で、革命家仲間をも死刑にしたりしているのですよね。
考えると、フランス人って、何をするか分からない怖い人たちだと思ってしまう...。
革命前のフランス(アンシャン・レジーム)では、3つの身分がありました。国民の8割を占めるのが平民(第3身分)。その上に聖職者(第1身分)と貴族(第2身分)が特権階級として存在しています。
聖職者の勤めは祈ること。貴族の勤めは戦争で働くこと。平民は農業や商業に携わって収入を得ることができますが、その代わりに税金を納める義務がある。
↓ アンシャンレジームを風刺した画。第三身分者が聖職者と貴族を背負っています。
« caricature des trois ordres : un paysan, un noble et un membre du clergé », caricature anonyme, 1789
フランス革命という資本主義革命を起こした人たちは、社会はこういう風になっていると平民を煽ったわけですね。
7月14日日は革命記念日として、各地で花火大会やダンスパーティーなどがある祭りが開催されますが、フランスにとって革命で失われたものは大きかったと思います。
特に宗教建築物の破壊が行われたことは、観光国フランスにとって痛手でした。そんな革命はなかったイタリアに行くと、芸術や建築物の宝庫であることを痛感します。
ブルゴーニュにあるクリュニー修道院(Abbaye de Cluny)は、ローマにサン・ピエトロ大聖堂が設立されるまではヨーロッパで最大の宗教建築物だったのですが、フランス革命で破壊されて石材供給源になってしまったため、聖堂南側の翼廊の一部だけが当時の姿を残しているだけという哀れな姿になっています。
◆ ルイ16世に付けられたあだ名は「ブタ」だった
マリー・アントワネットを国民の敵にするのは容易だっただろうと思います。派手だし、外国から嫁いで来た女性ですから。
温厚なルイ16世を中傷するのは大変だったかも知れない。
フランス革命が勃発してから3年間、ルイ16世は王権を失っていませんでしたが、「Roi Cochon(ブタ王)」というあだ名を付けられてしまいました。小太りだったから? いずれにしても、日本と同様にフランスでも「豚」は悪いことに対する意味で使われます。
豚を意味する単語には porc もありますが、cochonは特に食肉用に去勢した雄豚を意味します。cochonという方が侮辱度が強いでしょうね。
「ルイ16世夫妻の命取りとなったのは、本当に豚足料理だったのか?」で触れた1791年の国外脱出に失敗してパリに連れ戻されたことについては、風刺画が多く出されたようです。
Ah ! le maudit animal ! Il m’a tant péné [sic] pour s’engraisser. Il est si gros et gras qu’il en est ladre. Je reviens du marché, je ne sais plus qu’en faire
ルイ16世の処刑を祝って、なぜ豚ではなく子牛の頭を食べるのかが気になったので調べてみました。
◆ なぜ、子牛の頭(Tête de Veau)なのか?
初めのうちは、豚の頭を食べていたのでした。
風刺文の書き手が、ルイ16世の処刑の翌年(1794年1月21日)に絶対王政の終焉を祝う共和主義者の饗宴を開くことを提案したのが始まりだと言われます。そのことが書かれた小冊子は「La Tête et l’Oreille(頭と耳)」と題されていて、メインディッシュとして豚の耳と頭を提案していたそうです。
その風習は19世紀半まで毎年行われて、出される料理は「tête de cochon farci(詰め物をした豚の頭)」だったそうです。ところが、第二共和政が始まった1848年頃から、1月21日に開かれる饗宴では、豚の頭ではなくて、子牛の頭を食べるようになったtのこと。
ギュスターヴ・フローベールの長編小説『感情教育(1869年)』では、イギリスの風習がルーツだと記述されています。
1948年の革命(二月革命)に参加した登場人物に、イギリスではイングランド王のチャールズ1世が処刑された日を祝ってRoundheads(円頂党)が1月30日に行っていたセレモニーのパロディー化したと語らせています。
イギリス版は子牛の頭蓋骨をワイングラス代わりにするというもので、饗宴では並々と赤ワインがつがれ、乾杯を繰り返していたのだそう。イギリス人も残酷ですね~。
◆ 何が良くて、何が悪いかの判断は下せない
クリュニーIII
結局のところ、革命を起こしたって権力者が入れ替わるだけだと思う。中国は共産主義と言うけれど、貧富の差は大きいのですから、キリスト教的なユートピアを築こうとカール・マルクが考えた共産主義とは無関係だと言いたい。
日本は残酷な革命などはせずに大政奉還(1867年)を行ったのは誇らしいことだと思う。
ルイ16世は、どことなく徳川幕府最後の将軍となった徳川慶喜に似ているような気がします。
静岡で余生を送ることになった慶喜は、政治的野心は全く持たず、潤沢な隠居手当を元手に、写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲などの趣味に没頭する生活を送ったと言われます。
ルイ16世も、錠前づくりや狩猟が趣味でした。隠居生活をするように配慮してもらえたら、穏やかに暮らしたのではないかな。むしろ、王様をやっているより幸せな人生だったかも知れない。もともと彼は国王になる順番は3番目だったのに、上の二人が亡くなってしまったので国王にされてしまった人ですから。
フランス革命期に関した書籍で、気に入ったのは翻訳で読んだ次の著作でした:
シュテファン ツヴァイク 『マリー・アントワネット』 | ルネ セディヨ 『フランス革命の代償』 |
フランスの友人にシュテファン・ツヴァイクが書いたマリー・アントワネットの心理描写が感動的だと話したら、この作家の著作『チェスの話』も見事な作品だと言われました。いつか読みたいと思いました。
『フランス革命の代償』の方は、フランス革命200年を祝った年に出版された本でした。フランス人たちはフランス革命によって近代国家がつくられたと自負しているようなので、これによってフランスは斜陽の国になったとする主張なので挑発的な作品だろうと思いました。
続き:
★ ナポレオン1世のイメージに対する、日本とフランスの違い
ブログ内リンク:
★ ゲテモノ食い?!: テット・ド・ヴォー 2007/05/16
★ 目次: 内臓肉を使った料理
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
★ クイズ: この枯れた花には何の意味があるのでしょう? 2007/02/22
★ ルイ16世夫妻の命取りとなったのは、本当に豚足料理だったのか? 2019/07/09
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★ 目次: 戦争、革命、テロ、デモ ⇒ フランス革命
★ 目次: 宗教建築物に関する記事 ⇒ 破壊された宗教建築物
★ ブルボン朝最後の国王シャルル10世の墓はスロヴェニアにあった 2012/01/13
外部リンク:
☆ Wikipedia: Révolution française » フランス革命
☆ Wikipedia: ルイ16世 (フランス王) » Louis XVI
☆ Wikipédia: Exécution de Louis XVI
☆ Il y a 220 ans, la France guillotinait Louis XVI...
☆ 【今日の歴史】1793年1月21日の事【国王として、人として】
☆ フランス革命と産業: フランス革命と産業: 18世紀から19世紀
☆ フランス革命 その14 ルイ16世の人となり
☆ Du "Roi-père" au "Roi-cochon"
☆ Cairn.info: Ah le maudit animal !
☆ Le porc dans la caricature politique (1870-1914); une polysémie contradictoire ?
☆ Pourquoi mange-t-on de la tête de veau pour l’anniversaire de la mort de Louis XVI, le 21 janvier ?
☆ La tête de veau du 21 janvier, une tradition républicaine
☆ Gastronomie dominicale La tête de veau en l'honneur de Louis
☆ 21 janvier c'est tête de veau . Au fait, pourquoi
☆ Greta Garbure: Manger de la tête de veau le 21 janvier : tradition barbare ou patriotique ?
☆ テット・ドゥ・ヴォー(子牛の頭)
☆ 武将ジャパン: ルイ16世って素敵な人じゃん!無実の罪で処刑されてなお平和を願った王だった | 人類史で2番目に多くの首を斬り落としたアンリ・サンソン 処刑人の苦悩
☆ ルネ・セディヨ 『フランス革命の代償』
☆ 徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】
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