古き死の王の目覚め   作:流星カナリア

9 / 9
ようやく開戦です。


第8話 開戦

 カッツェ平野――常に霧に覆われ、死の大地と呼ばれる場所。

 そこは、アンデッドやその他のモンスター達が蠢く恐ろしい大地だ。そして、彼らを覆い隠すように漂う薄霧は、それ自体がアンデッド反応がある。その為、アンデッド探知が無効化されてしまい、多くの冒険者達が敵からの奇襲を受けて散々な目に合っていた。中には命を落とす者だっている。

 呪われた地と言われる赤茶けた大地は、呪われた地と呼ばれていた。

 そんなカッツェ平野だが、年に一度だけ霧が晴れる日がある。

 それは、帝国と王国の戦争が行われる日だ。

 その時ばかりは、大地を覆い隠す薄霧が晴れ、天から太陽の日差しが降り注ぐ。どうしてそんな現象が起きるのか、未だに不明だが、まるでそれから始まる命の奪い合いを、愚かだと神が見下ろしているかのように思えた。

 

 帝国軍は、そこに巨大な建築物を築いていた。

 大木を無数に使い、頑丈な塀が作られている。その周囲には堀も作られており、そこから尖った木の枝が上へと向かって突き出している。これは、アンデッドに対する備えでもあった。

 塀の向こうには、多くの旗が揺らめいている。此処には、今回の出兵に対し帝国が動員した六万の騎士達がいた。その全てをこの駐屯基地に収めている事から、この基地が相当な規模である事が窺える。

 帝国に所属している多くの魔法詠唱者(マジック・キャスター)達によって、数年に渡り作られた基地。それが此処だった。

 

 今、そこに作られた檀上に、一人の男が立っていた。

 彼こそが、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス――バハルス帝国の皇帝だ。

 その両脇には、彼の身辺警護を任されているニンブルとバジウッドが立っている。常ならば側にいるフールーダは、もしもの事を考え、帝国に残してきた。本人からすれば、あの魔導王の側でその力を見たいと思っていたのだろうが、流石にそこは飲み込み、国に残る事を承諾してくれた。代わりに、彼の高弟達を何人か連れて来ている。

(爺がこの場にいたら、今から俺がする事を真っ先に止めそうだな……)

 目の前に整然と立ち並んだ騎士達を見回しながら、ジルクニフは口を開いた。

「まず、あの男が此方に来る前に皆に伝えておかなければならない事がある」

 魔法の効果で拡声している為、六万の騎士達を前にしてでも、彼の声は全ての者にハッキリと聞こえている。だからこそ、ジルクニフの言葉を耳にした彼らは、彼が言うあの男が誰なのか、全員が理解した。

 間違いなくアインズ・ウール・ゴウン魔導王の事だろう。

 彼が来る前に伝えなければならない事とは、一体何なのか。騎士達は固唾を飲んでジルクニフを見つめる。

 それを確認したジルクニフは、切れ長の瞳を僅かに曇らせながら、深く頭を下げた。

「――すまなかった。私があの死の王と同盟を組んだ事を、快く思っていない者がいるというのは分かっている。だが、帝国が存続する為には、これしか方法が無かったのだ。許せ」

 ざわっと、動揺が走った。

 あの皇帝が、民に頭を下げたのである。

 この重大さを理解出来ない者など存在しない。

 集まった騎士達が動揺する中、ジルクニフの両脇に立っていたニンブルとバジウッドが、慌ててジルクニフの肩を掴んだ。

「お、おやめください陛下! 陛下が頭を下げるなど――!」

「そうですぜ陛下! あんたはバシッといつも決めておかなきゃ、俺達の調子が狂っちまう!」

 二人の言葉に、ジルクニフはようやく頭を上げた。

「いいや、お前達。今だからこそこうして頭を下げ、私の考えを皆に伝えなければならないんだ」

「陛下……」

 不安げにジルクニフを見つめる二人を制し、ジルクニフは再び騎士達へと振り返った。

「この数ヵ月、帝国に魔導王が度々訪れ、私と話している姿を見た事がある者も多いだろう。だからこそ分かると思うが、あの男はただのアンデッドではない。理性があり、知識もある。奴は、人間だった頃の記憶も全て有している。これは、通常のアンデッドではまず考えられない事だ。だからこそ恐ろしい。奴は人間の心を理解出来る化け物なのだから。まだ、人間の心が分からない化け物だったならば、対処の仕様もあっただろう。魔導王は人間の心を理解しているからこそ、上手く立ちまわる事が出来るのだ」

 

 ジルクニフの語った内容は、確かに納得のいく話だった。

 彼と会話をしている時の魔導王は、物静かで思慮深い人間のように見える。その外見が骸骨だというのに、それを意識の外へとやってしまうような、そこに一人の人間がいるかのように錯覚してしまうのだ。

 

「そんな化け物に真っ向から戦いを挑んだとして、この帝国が魔導王に勝てる保証は無い。あのフールーダよりも上位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だぞ? そんな化け物相手に戦ってみろ。すぐさまこの国は焦土と化すだろうな」

 苦笑を浮かべるジルクニフは、どことなく疲れが見えているようだった。

 だが、それを振り切るように、彼は鋭い眼差しをこの場にいる全てに向ける。

「私は、この帝国を未来へ残さなければならない。故に、あの男と手を組んだ。今回の戦争で、彼が何をしようと考えているのか、それはまだ分からない。だが、確実に目を覆いたくなるような惨状と化す事は容易に想像出来る。お前達は恐怖に震え、この場から逃げ出したいと思うかも知れない。だが、どうか耐えてくれ。正直言うと、私だって恐ろしい。だが、しっかりと記憶に焼け付けておかなければならないのだ。アインズ・ウール・ゴウン魔導王に歯向かうという事は、どういう事を意味するのか。そうならない為にも、私は彼と今後とも良好な関係を築き上げていくつもりだ。理解してくれると、助かる」

 

 そう告げたジルクニフは、今度は軽く頭を下げると、直ぐに顔を上げた。その瞳は、力強い輝きが宿っている。全てを背負った、王の目だ。

 

 彼はこの国の為に、たった一人であの男と対峙している。

 

 その事実に、騎士達は皇帝への忠誠心を今まで以上に膨らませた。

 ジルクニフの為に自分達が出来る事は、彼の意思を理解し、そしてその意思を貫く為に行動する事だ。

 

 全ての者が気持ちを一つにする中、基地の入り口から一人の騎士が小走りで駆けて来た。

「皇帝陛下! 魔導王陛下が到着なさいました!!」

「来たか……よし、そのまま通してくれ」

「ハッ! あ、あと、その――」

 何か言いにくそうに言葉を濁す騎士に、何があったのかとジルクニフは訝しむ。

「どうした?」

 ジルクニフの問いに、騎士はふるりと震えながらも答えた。

「はい。その、魔導王陛下が仰るには、もう一人ある人物を連れて来ているらしいのです。こちらは全く情報には無かったものでして、陛下は何かお聞きしていらっしゃいますか?」

「なんだと?」

 ジルクニフは、思わずニンブルとバジウッドを振り返った。

 二人も困惑気味に顔を見合わせている。

(一体誰だ? こちらに情報が回ってきていないとなると、直前まで情報が洩れる事を危惧していた可能性もある。それ程までに隠しておきたい人物だと――?)

 帝国にそのような人物がいるとは思えない。ならば、王国の民か? しかし、だとしたら一体誰なのか。王国にそこまで優秀な存在はラナーくらいしかいなかったと記憶しているが……。

「――ふむ。それは私も知らない情報だったが、今回は構わん。魔導王が信頼を置いている人物なのだろう。であるならば、我々も丁重に扱わねばなるまい。そのまま通すのだ」

「了解しました!」

 騎士はビシッと敬礼をすると、再び元来た道へと駆けていく。やがて、門が開く音と共に、二人の人物がコチラへ向かって堂々と歩いてくるのが見えた。

 

 その姿を見て、一同は騒然とする。

 

「あ、あいつは……!!」

 

 一人は勿論、アインズ・ウール・ゴウン魔導王だ。漆黒のローブを翻しながら、眼窩の灯火を力強く瞬かせている。手にはあまり派手では無い装飾が施された杖を所持していた。

 そして、その後ろ。

 彼に付き従うように歩いているのは、帝国でもその名は広く知れ渡っている戦士。

 

――ブレイン・アングラウス。

 

 青く染められた髪が、ふわりと風に揺れている。

 鋭い眼差しは、動揺に揺れている帝国軍をジッと観察するように眺めていた。

 口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。

 そこからは、圧倒的な自信を感じ取れた。

 

(何故あの男が魔導王の元にいるんだ!? どういう経緯で知り合ったのだ……!? くそっ!! これは完全に予想外だ……一体何を考えている?)

 ジルクニフは表向きは平静を装いつつも、内心かなり動揺していた。

 顔が引きつりそうになるのを何とか堪えつつ、アインズに笑みを浮かべる。

 

「ゴウン殿。ようこそ来て下さった」

 ジルクニフがスッと手を差し出すと、アインズは軽く頷きながら手を握り返した。

「うむ。もしや、少々遅れてしまったかな?」

「いや、時間通りだ。それより、貴殿の後ろにいるのは――」

 視線を彼の後ろにやると、アインズは「あぁ」と声を弾ませてブレインへと振り向いた。

「君も名前を聞いた事はあるだろう? 何せ、あのガゼフ・ストロノーフと互角に戦えた男なのだからな。紹介しよう。ブレイン・アングラウスだ。少し前から、彼に剣を教わっているんだ」

「……え?」

 ジルクニフは、アインズの言葉を理解するまでに多少の時間がかかってしまった。

――剣を教わっている?

 ジルクニフの困惑を尻目に、アインズの後ろに控えていたブレインが、アインズに促されて軽く会釈をした。

「お初にお目にかかる。俺の名はブレイン・アングラウス。訳あって、魔導王陛下に剣を教えているんだ。魔導王陛下は戦士としては素人だったからな。陛下の場合、ある程度は力技で押しきれるが、ここぞという時にきちんと構えて戦えるように指導したってところだ」

「ま、待ってくれゴウン殿! 貴殿は魔法で戦うのではないのか!?」

 驚きに声を上げると、アインズは「勿論」と頷いた。

「勿論魔法も使う。だが、以前言っただろう? 実験をすると。戦士として戦うのも実験の一つなんだ。自分の力がどの程度人間に影響を及ぼすのか。それを確認したくてね。ブレインと接触出来たのは幸運だった。彼程の戦士から指南を受けるとは、まさに光栄と言える」

 手放しに褒めるアインズに対し、ブレインが照れ臭そうに肩を揺らした。

「陛下、あんまり褒めないで下さいよ。俺はただ、自分の力を生かせる場所を見つける事が出来た。ただそれだけッスからね。俺は今まで、人に自分の技術を教えた事は無かったんですが、こうして陛下に出会って俺の技術を伝授した事で、それもまた己の鍛錬になるって分かったんです。誰かに教える事で、再度自分を見つめ直す事が出来る。それがきっと、今までの俺には足りなかったところなんですよ」

 そう言って笑う姿は、どこか達観した雰囲気を出していた。そして、現状に心から満足しているように見える。

(――成程。どうやらこの男は、完全に魔導王側の人間のようだな)

 二人の会話を聞いていると、互いに心から信頼し合っているのが分かる。どうやらブレインから剣術を指南されていた数ヵ月の間で、その距離は随分と縮まったようだ。

 まさかブレイン・アングラウスと手を組むとは思わなかったが、冷静に考えてみるとあのラナーがアインズに情報を与えた可能性が高い。一本取られたな、とジルクニフは歯噛みした。

 

 もしも帝国で、馬鹿な奴が魔導国に喧嘩を売った場合、真っ先にブレインが消しにかかってくるだろう。優秀な部下として、その役目を与えられるのは明白だ。それだけは避けなければならない。帝国の存続がかかっているのだから。

 国民達はアインズの存在を恐怖しているが、最近では徐々に受け入れ始めているように見えた。だが、アンデッドだからという理由で、この同盟に反対している者達が多い事も分かっている。その者達が下手な行動に出ないよう、釘を刺しておかねばなるまい。幸い、ジルクニフには騎士団という大きな力がついているのだ。武力行使に出れば、奴らも大人しく従ってくれるだろう。それでも反対するのならば、簡単な話だ。殺せば良い。

 帝国の将来を思えば、個人の思想など消し炭と同じなのだから。

 

「あぁそうだ、ジルクニフ殿。私が戦士として動くのは、初手で魔法を撃ってからになる。そこは当初の予定通りだから安心して欲しい」

 そう付け加えたアインズに、ジルクニフは慌てて頷いた。

「そうか。それなら助かる。それにしても、戦士として戦場に出るのならば、鎧が必要になると思うのだが……」

 尤もな疑問に、アインズは問題無いと軽く手を振った。

「私が習得している魔法に、上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)という第七位階魔法がある。それを使用すると、様々な武装を生み出す事が出来るのだ。だから今回は、その魔法を使って鎧や武器を装備する」

「だ、第七位階……」

 この場にフールーダがいたならば、それこそ矢継ぎ早に質問攻めをしていたに違いない。

 アインズは第十位階魔法まで使えるらしいが、そんなのはまさに神話の領域だった。ジルクニフの常識を根本から覆してしまう。

(いや、余計な事は考えない方が良い。下手に首を突っ込んでは、余計に頭を抱えそうだ)

 そう判断すると、ジルクニフはブレインへ視線を向けた。

「ところで、ブレイン殿も今回の戦いに参戦するのかな?」

 その問いに対し、ブレインはニヤッと口角を上げた。

「いんや、俺はただの付き添いですよ。何せ、魔導王陛下の初陣ですからね。しかと目に焼き付けておかないと、勿体無いでしょう?」

 そう笑うブレインの瞳は、これから始まるアインズの戦闘に心踊らせているのか、爛々と輝いている。

「――まぁ、上手くいけばガゼフと再戦出来るかもなとは思ったんですがねぇ……なんつーか、魔導王陛下にお仕えするようになったら、少し考え方が変わりましてね」

「ほう?」

 興味深そうに相槌を打つと、ブレインはふっと遠い眼差しを浮かべた。

「俺が目指していた強さってのは、ガゼフを倒したいって気持ちが強かった。だが、それだけでは駄目だって分かったんですよ。俺は魔導王陛下の元でなら、人間の限界まで己を鍛え上げる事が出来ると思った。俺が真に目指しているのは、強さの頂きだ。目の前の敵だけを見るんじゃなく、もっと大きな視野で考えなければいけない。その為に俺は、魔導王陛下に力を貸す事を決めたんです。そして、陛下自身も俺の力を必要としてくれる。なら、話に乗らない理由は無いって事だ。皇帝陛下、アンタには理解出来ないかも知れないが、戦士ってのはそういう生き物なんですよ」

 ブレインはジルクニフの背後に控えるニンブル達を見た。

 そして、自分達の目の前に整然と並び立つ騎士達をぐるりと見渡す。

「……帝国は正しい選択を取ったと、俺は思いますよ。元より、俺は王国に未練なんて更々無いんで、どうでも良いっすけどね。でも、彼らはきっと、後悔するだろうなァ……。魔導王陛下と敵対した事を」

 最後の一言が、やけに冷たくその場に響く。

 ジルクニフが何か言う前に、アインズがブレインの肩に手を置いた。

「ブレイン。お喋りはそのくらいにしろ。そろそろ準備をしなければ」

「おっと、そうでしたね!」

 パッと両手を上げて軽く笑みを浮かべると、ブレインはジルクニフ達に背を向け、アインズの背後に控えた。

「では、ジルクニフ殿。予定通り諸君らも軍を動かしてくれ。私も所定の位置に向かおう。それ以降の流れは私に任せてくれ。しっかりと実験をする為にも、お互いの擦れ違いは避けたいからな。間違って貴殿の騎士らを殺してしまっては、流石に後味が悪い」

 そう淡々と語る姿に、部下の騎士達が震え上がるのが視界に映った。

 恐らく、本心はちっとも悪いとは思っていないのだろう。

 だが、建前上こう言っているだけだ。

 要するに、自分の邪魔を決してするなという事。

「――承知した。我々は予定通り軍を展開し、その後の流れは貴殿に任せよう。ところで、今回の戦争にあの死の騎士達は動員しないのかい?」

 そう尋ねると、アインズは眼窩の灯火を一際強く燃え上がらせた。その獰猛な気迫に、思わずジルクニフは息を飲む。

「フフッ。それなんだがね。今回私は、実験の為にこの戦争に参戦している。それを考えると、死の騎士(デス・ナイト)達を引き連れて来た場合、逆に彼らが()()になるんだ」

 つまり、彼は単騎で王国軍を相手取ろうとしている。

 普通に考えれば、それは到底無理な話だ。何せ、今回王国が動員した兵の数はおよそ二十五万。それを一人で相手取るなど、狂気の沙汰だった。だが、このアインズ・ウール・ゴウン魔導王ならば、それがきっと可能なのだと思える。

 

 何せ彼は人間ではない。

 死の王、オーバーロードだ。

 我々人間の物差しで考えてはならない存在。一種の災害のようだとジルクニフは考えている。

 人間、いや、全ての生ある者は、この災害とどう向き合うかを考える必要がある。そして考えた結果、帝国はその災害へ正しい対応を取る事が出来た。だからこうして、彼と今、表面上でも対等に会話が出来ている。

(実際は、私達が遥かに下の存在であり、その気になれば帝国は直ぐにでも滅ぼされてしまうのだがな)

 全く、とんだ綱渡りだ。

 

「そうか。なら、これ以上私から言う事はないな」

 ジルクニフはニンブルとバジウッドへと振り返った。

「お前達。予定通り我々も動くぞ」

「了解です!」

「了解っす!」

 二人が敬礼をすると、それに倣って他の騎士達も敬礼した。

 それを見たアインズは、感心したように頷く。

「流石帝国軍。実に素晴らしいな。後々カルネ村に置いている死の騎士(デス・ナイト)達にも、もう少し軍の規律というものを教えておいた方が良いかも知れん」

 その言葉を聞いてジルクニフは、これ以上強くなって貰っては困ると冷や汗を浮かべていた。

 

 

   ・

 

 

 赤茶けた大地を、乾いた風が撫でていく。

 両軍は互いに睨み合ったまま、まだどちらも動き出そうとはしていなかった。

 今回、王国軍は約二十四万五千という、今までにない規模の兵を動員していた。

 三つの丘を利用し、右翼、左翼共に七万、中央十万五千と展開している。

 一方、帝国軍の数は六万。王国が動員した人数と比べると、圧倒的に少ない。

 だが、彼らはその差を全く問題視していなかった。何せ、帝国は王国と違って専業戦士である騎士達を動員している。付け焼刃の王国の兵達とは天と地程の差があった。

 そして今回。

 帝国にはあのアインズ・ウール・ゴウン魔導王が協力している。

 それがどれ程危険な事か、ガゼフは勿論理解していた。

 その身を王国の至宝に包んでいても、あの魔導王に己の剣が届く想像が出来ない。

 何か不可思議な魔法を使われて、気付かぬ内に死んでいた――そんなビジョンが脳裏を過ぎる。

 知らず身震いをしてしまっていたのが、着ていた鎧がガチャッと音を立てた。

「大丈夫ですかな?」

 その音に気付いたのか、隣に立っていたレエブン候が声を掛けてきた。

 戦場において、王が控える本陣。そこに、ガゼフとレエブン候はいた。

 昔ならば、レエブン候の真意を理解していなかった事もあり、彼に対してあまり好意的ではない態度を取っていたかも知れない。だが、バルブロ王子の件で、彼が心から王国の為に動いていたのだと王派閥の者達は知った。それもあり、ガゼフはレエブン候に対し一定の信頼を置いている。

「――正直、この至宝に身を包んでいても、あの魔導王に勝てるとは到底思えない。漠然とした恐怖心を抱いてしまってね」

 そう正直に告げると、レエブン候は仕方ないとばかりに苦笑を浮かべた。

「それが当然の反応ですよ、ガゼフ殿。私も、一応元オリハルコン級冒険者達を身辺警護に置いていますが、やはり不安は大きい」

 レエブン候の指した方向を見ると、そこには五人の人間達がいた。全員そこそこの年齢のようだが、それでも漲る覇気のようなものを感じる。彼らのような存在を側に置いたとしても、やはり不安を感じてしまう程に魔導王は危険な存在だった。

 何せ彼は人間ではなくアンデッド。

 そして、元人間だ。つまり、人間の善意も悪意も理解している。理解した上で、あの死の王がどんな行動を取るのか想像がつかないのが一番の恐怖だった。

「それにしても、帝国側は全く動く気配がありませんね。最終勧告は既に終わっていますし、直ぐにでも行動するのかと考えていたのですが……」

 もしや、何かの準備をしているのだろうか。

 恐らくそうに違いない。だとしたら、自分達はただ此処で向こうが動くのを待っているのが正しい行為なのか疑問に思ってしまう。だが、嘗ての戦争で帝国が動くのを待たずに、王国が先手を打った事があったが、その結果は悲惨なものに終わっている。当時の王国はそれが原因で多大なる被害が出たらしい。

 

 何かが来ると分かっていても、どうする事も出来ない。

 

 そのもどかしさにガゼフが眉を顰めると、不意に視線の先が動くのが見えた。

 どうやら帝国軍がようやく動き出したようだ。

「レエブン候。遂に動き出したようだ」

 緊張した面持ちでそう告げる。レエブン候は帝国軍の陣地へと鋭く目を向けた。

「あれは……」

 二人の視線の先。帝国軍は道を作るように二つに分かれた。

 そしてその中央。何人かの帝国の騎士達が、帝国のものとは違う紋章が記された旗を掲げ進み出た。

 それは、通常では考えられない事である。

 だが、そうまでしなければならない理由。それはたった一つ。

(アインズ・ウール・ゴウン魔導王)

 魔導国の紋章の旗を掲げた帝国の騎士達。彼らがある程度進み出ると、突如、彼らの前に黒い半球のようなものが浮かび上がった。

 どよめきと共に全ての視線がそれに集中する。

 そしてその中から、一人の男が現れた。

 ゆっくりと半球から巨体を揺らし現れたのは、恐ろしい骸骨の顔を晒したアンデッド。死の王であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王だ。彼はゆったりとした足取りで数歩進み出た。その眼窩の灯火は、まるで実験動物でも見るかのように王国軍を眺めている。

 これだけの距離が離れているというのに、彼から叩き付けられる『死の気配』がガゼフの心臓を締め付けていく。チラッと横を見ると、レエブン候もまた、同じように目を見開き、僅かに身を震わせていた。

 それは兵士達も同じだ。噂に聞く魔導王が本当に化け物だったと知り、腰を抜かしている者もいる。無理もない。自分だって、初めて見た時は恐怖と焦りで死んでしまうと思ったのだから。

 

 アインズはくるりと振り返ると、誰かを待つようにその場に立っていた。

 やがて、その半球の中からもう一人の男が姿を現す。

 その男を見て、ガゼフは驚愕に声を上げてしまった。

「――ブレイン・アングラウス!?」

「な!?」

 間違いない。あの男をガゼフが見間違える筈が無かった。

 レエブン候もそれに気付いたのだろう。信じられないとばかりに徐々に顔色が青くなっていった。

「な、何故あの男が魔導王側にいるのだ!?」

「分からん……分からんが、これは非常にマズイぞレエブン候。彼の実力は分かっている。彼は例え千の弓矢が飛んできたとしても、その全てを防ぎきる事が出来るだろう。そして、彼が持つ武技。それらも非常に優秀だ。だからこそ、その力が魔導王の為に使われるとなると――」

 ガゼフの言わんとしている事を理解したのだろう。レエブン候はゴクリと喉を鳴らした。

「ガゼフ殿。もし彼と戦う事になった場合、王国の被害はどの程度になる?」

 その問いに、ガゼフは目頭を押さえて低く唸った。

「相当数になると考えた方が良いだろう。まず、魔導王がどのような魔法を使ってくるのか見当が付かないんだ。彼による被害がどの程度になるかも分からない状況で、これ以上被害を考えろと言われても、正直、考えたくも無い」

 そう答えるガゼフに、レエブン候は何も言えなくなる。

 二人の間に、重苦しい空気が流れた。

 それを裂くように、彼らに声が掛かる。

「レエブン候! それにガゼフ殿!」

 それは、レエブン候の配下である元冒険者達だった。馬に乗った彼らは、焦りを浮かべながら駆け寄ってきた。

「あれがアインズ・ウール・ゴウン魔導王と呼ばれるアンデッドなんですね!? あれは危険過ぎます!! 冒険者としての勘が告げているんです、彼は、我々の想像を遥かに超えるレベルで危険だとッ」

 リーダーと思われる男が、そう叫ぶ。彼は首から下げた聖印を力強く握り締めながら、レエブン候に訴えた。

「ブレイン・アングラウスが彼の元にいる事も勿論大問題ですが、それよりも我らが考えるべきはアインズ・ウール・ゴウン魔導王の事です。あれは最早、神代の力の持ち主と言っても過言では無いでしょう。何せ、これだけ距離が離れているにも関わらず、私は今、死の恐怖で震え上がっているのですから!」

 冒険者達は互いに顔を見合わせながら頷いた。

「撤退をすべきです、レエブン候。もっと早くあの死の王の情報を集めておくべきでした。あんな者と戦おうなんて、正気の沙汰とは思えません」

 確かな実力を持つ元オリハルコン級冒険者達がそう言うのだ。

 レエブン候は意を決し、彼らの要求に答えた。最早、これまでなのだろう。

「撤退しよう。それしか生き残る術は無い。ガゼフ殿、すまないが王へ撤退の進言を頼みたい。私は自軍に戻る」

「了か――」

 ガゼフは最後まで言い切れなかった。

 アインズが、スッと腕を一振りする。それと同時に、彼を中心に十メートルはあるだろう巨大なドーム状の魔法陣が展開された。彼の隣に立つブレインもその中に包まれているが、特に異常を感じている様子は無い。仲間には影響を与えない魔法なのだろう。

 魔法陣は蒼白い光を放ち、半透明の文字や記号のようなものが浮かんでいる。それらはめまぐるしく形を変えて、一瞬たりとも同じ文字を浮かべてはいなかった。

 その光景を見た王国軍の兵士達は、一体何が起こるのかと恐怖で騒めいている。

「ガゼフ殿。出来るだけ被害を最小限に抑えて、エ・ランテルへ帰還しましょう。陛下やザナック殿下、それにラナー王女の守りはお任せします!」

 今回、この戦いには兵士らの士気を高める為にと、ラナー王女も戦場に赴いていた。彼女は王と共に本陣の奥にいる筈だ。ザナック殿下はたった一人残った時期国王候補である事から、直接戦場に出る事を王が反対していた。だが、王子としての立場を考え、出陣すると彼は言い張り、結局、一番本陣に近い位置に軍を展開する形となった。

 王へ進言しにいく途中で、ザナック殿下にも話をつけよう。そう判断し、ガゼフは馬に飛び乗る。

「了解した! どれだけ自分の力で守れるかは分からんが、陛下の御身は必ずやお守りしよう。脱兎のごとき撤退をするしかあるまい」

「えぇ、そうでしょうな。ではガゼフ殿、どうかご無事で!」

「貴方こそ、無事を祈りますよ、レエブン候!」

 言い知れぬ不安と恐怖を抱えたまま、彼らは慌てて動き出す。ただし――

 

――全ては、遅過ぎた。

 

 




時間がかかってしまいましたが、ようやく開戦しました。次回はアインズ様の楽しい実験タイムです。ブレインも横で「さすが陛下! 俺達に出来ない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる! 憧れるゥ!」ってなってると思います。

▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。