たまにはドイツの話をしようと思う。
連日話題になっている「桜を見る会」が最初に話題になった国会予算委で、「安倍後援会の人々には、どんな功績があるのか?」と聞かれ、安倍首相から「自治会やPTAなどの役員をしている方々など」という答弁があった。
PTAの役員ってのは、そんなに功労・功績が称えられる役職なのだろうか?
面倒なまとめ役を買って出た、という意味では功労がなくもないが。
そもそもPTAって、日本人にとって、どういうものなのだろうか。
私はドイツで暮らし、自分の子供が就学して、ドイツの保護者会(Elternbeirat)なるものをはじめて体験した。
役員の仕事自体は、たまの連絡役とか、日本のそれと大した変わらず、むしろ軽微なくらいだが、その「組織」のあり方が興味深い。
新年度、まずは〇年〇組の代表を決める。
ここは日本と同じ。
でも、その決め方が、ビックリするくらいドイツらしい(?)
ドイツの保護者会は、だいたい夜7時くらいから始まる。
共働き家庭を前提としているので、昼間に開かれることはない。
さて、年度最初の保護者会で、クラスの代表を決めるわけだが、まず「選挙管理委員」を2名選ぶ。
これは、すぐになり手がいる。
なぜかというと、選挙管理委員は、役員の候補者になれないからだ。
逆に言えば、「絶対に役員になりたくない人」は、ここで、いの一番に挙手をする。
それが決まると、ここからは、選挙管理委員が場を仕切る。
立候補・推薦問わず、複数の候補を挙げる。
2名以上の候補者が出たら、全員に学校のスタンプ入りの投票用紙を配る。
これは、すべての学校がそうしているかは分からないが、さすがにこれには、「不正選挙はないだろうに・・」と苦笑した。
で、開票して決定するわけだけれども、選管は、選挙結果フォームに候補者名、当選者名、票数、選挙日時、場所、選管のサインと、ほぼ正式書類を満たすほどの項目を記入し、使用済み投票用紙と一緒に担任教師に渡す。
こうして各クラスの代表者が決まるのだ。
さらに後日、各クラスから選出された保護者会代表が集まり、全く同じ手法で、学校の保護者会代表を決める。
学校の保護者会代表は、市内の各学校保護者会代表の集まりで、同様に市内の保護者代表を選出する。
市の保護者会代表に選ばれた人は、州都で開かれる州の保護者会代表会議に出席し・・・この先どこまであるのか、底辺の私にはよく分からない。
最後は全国代表まで選ぶのだろうか??
市や州では、教育・学校運営に関わる方針を、行政が変更したり改善したりするときは、こうした代表者からヒアリングをしたり、または代表者がなにかの決定に対して、ものを申したりする。
このように、ドイツの保護者会・PTAというのは、政治的な性質を持っているとも言える。
子供の保護者のみが参加できる組織で、全員が対象なのはもちろんだが、会費も取らない。
草の根からブンデスリーガまでが、縦に繋がっているドイツのサッカーリーグを思わせる。
一方で、実はドイツの学校には保護者会がもう一つある。
もう一つの「保護者会B(Förderverein)」は、参加者が必ずしも「保護者」である必要はない。
(といっても、現実的には、保護者でもないのに入会する人はいないのだが)
近所に住む、子供の祖父母が加入しているなんてことは、ひょっとしたらあるかもしれない。
「保護者会B」の主な仕事は、入学式や文化祭などで、保護者から寄付されたケーキなどの飲食物を販売して売り上げを上げたり、会員を動員して、学校イベントの設営を手伝ったりなどのヘルプをする。
だから、活動範囲が学校外に出ることはない。
こちらの方が、日本の保護者会に近い感じがする。
「保護者会B」の大きな特徴は、お金の出し入れがある点だ。
イベントで立った利益は、主に学校の備品を買うなどして支出することが多い。
日本の学校に比べると、ドイツの学校の備品は、涙が出るほどしょぼい。
去年、私の子供が通う学校では、この「保護者会B」が、売り上げから人体模型を寄贈した。
つうか、それまでなかったのかよ!って、話だ。
で、この「保護者会B」が、売り上げを管理するには、税務署に「非営利団体」として届ける必要がある。
もちろん、非営利なので課税されることはないが、年度の出納は当局のチェックを受けるのだ。
すさまじいまでに合理的だ。
こんなふうにして、ドイツの学校では、保護者が学校と関わっている。
以前、元教職の方々の前でお話をする機会を頂いたことがあるのだが、この話をした時は、みんな目を丸くして驚いていた。
保護者会を「政治面」と「運営面」で分けるシステムも意外なものだし、保護者会も保護者会Bも、決定のプロセスにあいまいなものが入る余地がなく、すべてが文書でもってはっきりしている、という点が非常に優れていると思った。
こういうことを、日常の中でサラリとふつうに実践している社会を見ていると、自分自身の感覚もいつの間にか大きく変化していることを実感する。
なので、栄典者を招待する国家行事の招待者名簿を見せられない、なんて言ってる日本政府には、ドイツのPTAにも及ばない民主性しかないのかと、心底ガックリさせられるのだ。