音楽文化の底上げを図る高円寺のレコード店、「EAD RECORD」

WRITER
白波瀬 達也

杉並区・高円寺は東京有数のサブカルチャーの発信地として知られる。小規模な自営業層が集積するこのエリアには個性的なレコード店も多い。今回紹介するEAD RECORDもそのひとつだ。以下で20余年の歩みを振り返りたい。

■ 島根・松江から東京へ

店主の組嶽陽三さん(1967年生まれ)は島根県松江市出身。音楽に没頭するきっかけを作ったのは長兄の影響だった。

「高校1年生のときに兄貴が東京に出ていて、松江に帰郷するたびに『こんなのが流行っているぞ』とBOB MARLEYやDEXYS MIDNIGHT RUNNERSなんかを教えてくれたんです。それで近所の『友&愛』というレンタルレコード屋で借りるようになりました。高校時代にはバンドをちょっとやっていたこともあって洋楽を熱心に聴くようになったんです。」

陽三さんは高校卒業後、美容師を目指して上京。専門学校在学中にクラブカルチャーと出会うことなる。

「18歳の時に美容師仲間に『クラブという場所があるぞ』と教えてもらって、新宿にある第三倉庫に行ったりしました。デザイナーズブランドが流行っていた時期で関係者がよく遊びに来ていました。僕は西麻布にはPピカソというクラブに通っていたんですけど、結局そこで働くことになって道を踏み外してしまうわけです(笑)」

当時、Pピカソでは藤井悟、大貫憲章、藤原ヒロシなど傑出したDJがレコードを回していた。陽三さんはそこで音楽の奥深さに触れ、さらに面白いカルチャーに触れようと1989年にニューヨークに渡ることとなった。

■ ニューヨークで受けたハウスミュージックの洗礼

渡米当初、陽三さんはレゲエなどを愛聴していたが、ニューヨークでハウスミュージックと出会い、人生が大きく転換した。当時のインパクトを陽三さんは次のように振り返る。

「ニューヨークのゲイカルチャーというかハウスミュージックに一瞬でやられてしまって。ハウスミュージックはジャンルの垣根がほんとないので、ヒップホップもレゲエもロックもニューウェイブも入ってくる。そのなかで遊んでいる気持ち良さを日本で感じたことはあまりなかったんですね。ハウスは2〜3時間踊り続けられるんです。エネルギーを爆発させるのとは違って、永続的に体が動いていくような音楽なんです。東京では一曲のパワーにみんながドカンと盛り上がるのをDJのカルチャーだと思っていたんですが。そこが大きな違いでしたね。ニューヨークはゲイカルチャーが自然に溶け込んでいてるのも面白かったです。」

陽三さんがニューヨークに滞在していた1980年代後半から1990年代前半はまさにハウスミュージックの黎明期。その胎動と広がりを現場で体験したことは彼の音楽観を形成していった。

「ニューヨークで遊んでいたハコはTHE LOFT、THE CHOICEが多いです。あとはTRACKS、SOUND FACTORY、SHELTER。この辺はよく行っていたかな。PARADISE GARAGEがクローズした後のLARRY LEVANはTHE CHOICEでよくDJしていました。もともとDAVID MANCUSOが持っていたハコを管理させた人がRICHARDっていう人でTHE CHOICEを運営していたんです。DAVIDが帰ってくるということCHOICEが終わり、THE LOFTがマンハッタン・イーストビレッジの3rdストリートでリ・スタートしたんです。その頃、LARRY LEVANのお世話をしていた友人からTHE LOFTが始まると噂を聞きました。THE LOFTが何か全く分からないまま、入り口まで行ったのですが、メンバーオンリーのためオープン初日は入れませんでした。次の週はメンバーの友人と初THE LOFTを経験して毎週通うことになりました。その頃の僕はレコードコレクターではなかったのですが、遊びに行くと良い曲がたくさんかかるので、欲しくなるじゃないですか。それで集めるじゃないですか。そうするとレコードの量も増えてきて知識もだんだんついてくるというか。」

■ 「ロックの町」に拠点を設けたEAD

陽三さんがTHE LOFTに通っていた1993年、現在のEAD RECORDの店舗に兄の博志さんが立ち上げた「古着屋EAD」が開業した(現在は島根を拠点に多角的な商売を展開している)。今でこそ100軒以上の古着店がひしめく高円寺だが、当時、周囲には4〜5軒しかない「古着ブーム前夜」。陽三さんは滞在先のニューヨークから古着を送っていた。

「ニューヨークにいる時に兄貴が古着屋の仕事を始めるんですよ。その古着の買い付けを僕が担当していて。『古着買って、レコード買って、古着買って、レコード買って』という生活です。当時買っていたのはハウス、ディスコ、ニューウェイブですね。ニューヨークの現場でかかる12インチが中心です。クラブで気になった曲があればDJの友達に教えてもらって、翌朝フリマに行って探して。そこにも知り合いがいるんで、『あれどう? これどう?』『〇〇がかけてたよ』みたいな話をしていて。週末は朝まで遊んで、その足でフリマに行ってガーッと探して。土日は大体フリマですね。レコードも見れるし、古着も買えるし楽しかったです。あの頃は本当に面白かったですね。」

その後、日本に戻った陽三さんは1997年に兄の博志さんが経営していた古着屋EADを引き継ぐ形で「EAD RECORD」を立ち上げた。

「古着屋の時も少しレコードを置いていたのですが、兄貴が古着屋の拠点を地元に移すタイミングでいっそのことレコード屋にしてやろうと思って。それで結構大変な思いをしてきました。もう20年以上経ちますけど。」

今でこそ様々なジャンルのレコード店がひしめく高円寺だが、開業当初、ここでハウスミュージックを中心としたレコード店を立ち上げることは大きなチャレンジだった。当時の状況を陽三さんは次のように述懐する。

「高円寺は一般的にはロックの町。ここでハウスのレコードをやるなんて狂っていると言われていました。『ハウスのレコードなんか売れるわけないよ』と。当時、ここで扱っていた商品の90%は12インチのシングル盤でした。ニューヨークで買い集めた中古がいっぱいあったんで。それをワーッと並べて12インチシングルの専門店みたいな感じでやっていたのでLPは少しだけでした。今は随分逆転しましたけどね。経営は心配されたとおり大丈夫じゃなかったですよ、全然。でも続けてこれたので何かしら魅力はあるのかなとは思います。」

このように謙遜するが、陽三さんの温和な人柄や個性的なキュレーションは無類の音楽好きたちから厚い信頼を集める。現在のEAD RCORDはダンスミュージックを扱いつつも、ジャズ、ソウル、レゲエ、ロック、ニューエイジなど幅広いジャンルの音楽が混在する。このような柔軟な音楽観の背景にはニューヨーク滞在時のDAVID MANCUSOとの出会いがやはり大きいという。

「DAVIDのパーティではアーティストにリスペクトを持ち、ハイエンドなサウンドシステムで再生するといった僕が感じていたクラブの常識とはかけ離れていました。ジャンルレスな音楽が聴けるんですよ。そこで遊んでいる時にジャンルレスな感覚が身についたというか。この店をやる上でもDAVIDの音学観に近づけたら良いなあと。もう少し店が広ければSTEVIE WONDER、ROLLING STONES、BOB DYLANなど、後世に伝えて行きたい定番コーナーを設けていきたいのだけど、そのスペースはないのである程度絞っていかないといけない。だから現場で使えるレコードをなるべく置くようにしています。ダンスミュージックだけでなく、リラックスできる、音にはまれるレコードも置いています。」

■ 音楽の本質を引き出す工夫

陽三さんがDAVID MANCUSOから受けた影響はジャンルの越境性だけでなく音楽の聴き方にも及ぶ。店内にはレコードだけでなく、レコード針やリード線が陳列されている。陽三さんは信頼する職人たちと商品開発に携わり、EAD RECORDで定期的に視聴会をするなど、その力の入れようは並ではない。

「結局こうやってレコード針やらリード線のことをやっているのも、何かしらDAVIDから来ているというか。オーディオの知識を利用して、カートリッジ周りを変えることでバランスが整い、音楽が本来持っている立体感がもっと伝わるようになると思います。DAVIDがTHE LOFTで使っていたシステムはものすごく高価なシステムですが、僕ら庶民でも手を出せる範囲で、音楽の持っている本質を感じられるような環境を作れないかと20年ぐらい思考錯誤してきたんです。バランスを重視したセッティングを考え、表現できたらと理想に近づけるかなと思っています。」

陽三さんは過度に金銭を投じなくても満足できる環境を作ることに余念がない。目指す方向はオーディマニアの世界ではないのだ。

「高価なMCカートリッジはすごく繊細な音が出ますし僕自身も使っています。できれば自宅ではMCカートリッジを使いレコードの再生力をみんなにも感じてもらいたいです。でも何か事故があれば修理するのにもすごくお金がかかります。」

こうしたジレンマを解決するものとしてEAD RECORDが推奨するのが定番カートリッジの活用だ。

「今、EAD EECORDでは独自に木製のカートリッジカバー『44 WOOD』を実用化しています。SHUREの定番カートリッジM44に取り付けるものです。M44はすでに生産終了していますが、レコード針メーカーのJICOさんが非常に良い品質の交換針を販売されています。独自の技術で新しい商品にもチャレンジされて世界的に注目を集めています。針のトラブルはこの先JICOさんがある限り大丈夫です。」

■ レコード人口の裾野を広げる試み

陽三さんがこだわるのは音質だけではない。44 WOODがそうであるように見た目の良さにも気を配っている。

「今までは本気で音楽を聴く人たちにアプローチしてきましたけど、ファッションで捉えている人たちにも実はアプローチしてみたい。せっかく良い商品を開発しても、注目されないとやっぱり一部の人たちが使うだけになってしまうので。その意味ではファッション業界の関係者など見た目の良さに反応する人たちに知ってもらうことも重要なんです。うちでも女性のお客さんが44 WOODの見た目に反応するんです。爆発するきっかけはそういうところだと思うんですよ。だからクラブやバーなど色んな場所に置いてもらうようにしています。」

このように陽三さんは自身が愛するレコード文化を底上げするために様々な角度からチャレンジを重ねている。

「レコードだけが売れてもダメなんです。全部が繋がらないとコレクターの世界で完結してしまう。だからレコード人口を広げる取り組みを進めないと。だんだんレコードって一部の人たちが買うものになっていると感じていて。ミュージシャンがレコードを作っても300枚〜500枚のプレスでは大きな収益にならない。作れば作るほど体力がなくなっていくような状況はよくないと思うんです。日本にはすごい才能のアーティストがいっぱいいるのに東京で子供を育てながら音楽を作っていける人たちって一握りになっていて。だから1000枚のレコードをバーンと作って一瞬で完売するようなシーンがないと。今はそれがさばけるぐらいのちゃんとした受け皿がない気がしています。新たにレコードを聴く人たちを増やさない限り回っていかないんです、今のままでは。そこが僕の大きなテーマになっていて。結局みんなが潤わないとシーンが活性化していかないですから。」

20年以上に渡ってレコード店を経営するなかで、たどり着いた考えがこの語りに凝縮されている。一見、レコードを聴くという行為は時代遅れのように思えるが、それでしか得られない特別な体験がある。とはいえストリーミングをはじめとする新たな音楽視聴のあり方に魅力的な対案を提示できない限りレコード文化の衰退は避けられない。こうしたなかEAD RECORDは私たちに質の高い音楽体験の入り口を用意してくれている。

■ 取材後記

EAD RECORDに行くと筆者は店主からオススメの盤をセレクトしてもらうようにしている。今回の取材時に陽三さんがプッシュしてくれたのが東京在住のアンビエント・ミュージシャン、CHIHEI HATAKEYAMAのLP「FORGOTTEN HILL」。EAD RECORDの優れた音響システムで鳴らしたこの盤は、道を行き交う人の声や鳥のさえずりと自然に混じり合い、心地よい空間・時間を生み出していた。

EAD RECORD

〒166-0003 東京都杉並区高円寺4-28-13
TEL 03-5306-6209
OPEN 13:00ー21:00(定休日:火曜日)
http://www.eadrecord.com

白波瀬 達也(社会学者 / フィールドワーカー)

白波瀬 達也(社会学者 / フィールドワーカー)
都市問題・地方文化に関心を持つ社会学者。主著『貧困と地域 あいりん地区から見る高齢化と孤立死』(2017年、中央公論新社)。大学時代は音楽研究部部長。「三度の飯よりレコード掘り」が信条。ジャズ、ソウル、ラテン、レゲエ、ヒップホップ、ハウス、アンビエントなどを好む。日頃は研究活動に従事しつつ、不定期で大阪や奈良でアナログレコードにこだわった音楽パーティを開催している。
http://collective-music.com
http://kunimikojicla6.tumblr.com

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