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世界地図の創り方③:『氷と炎の歌』に見る世界地図創作法

当記事は「世界地図の創り方」の第三章です。序文および目次はこちらから。

物語のための世界地図

 壮大なスケールの物語が描きたい、あるいは様々なロケーションが登場するゲーム作品を制作したいといった理由で、大陸規模の「世界地図」を創る必要があるとしたら、どのようにすれば良いのでしょうか?
 ここではジョージ・R・R・マーティンの『氷と炎の歌』シリーズの世界地図*1を見ることで、創作法として採り入れることが可能な方法論を探っていきたいと思います。
 さて、現時点で公開されている『氷と炎の歌』の世界地図は、下図のような形状をしています。

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『The Lands of Ice and Fire』収録「THE KNOWN WORLD」を基に作図。
Aがウェスタロス大陸、Bがエッソス大陸、Cがソゾリオス大陸。

 西に「ウェスタロス大陸」、東に「エッソス大陸」、南に「ソゾリオス大陸」という3つの大陸が存在しますが、この内、物語の舞台として用いられているのは、ウェスタロスとエッソスのふたつになります。ソゾリオスについては、作中においてもほとんど触れられておらず、世界の広がりを感じさせるためのフレーバー程度の存在に留まっています。
 未読の方に向けて軽く説明しておくと、『氷と炎の歌』の物語には、大きくわけて3つのストーリーラインが存在します。ひとつ目は、中世イングランド風の封建社会が築かれているウェスタロスにおける王位を巡る覇権争い。ふたつ目は、ウェスタロスの北端にある極寒の地から南下しつつあるゾンビに似た不死の異形との戦い。3つ目は、15年前の戦いの結果として、ウェスタロスからエッソスへと逃れていた前王の子供たちの流浪物語。これらのストーリーラインを成立させるための要素が、この世界地図には込められているのです。

ウェスタロス:グレートブリテン島を拡大

  ウェスタロスは、面積こそ南アメリカ大陸と同等レベルにまで拡大されているものの、そのシルエットは現実世界のイギリス、すなわちグレートブリテン島によく似ています。
 それもそのはず。先程紹介したストーリーラインのうち、ひとつ目の「王位を巡る内戦」は、中世イングランドの「薔薇戦争」をモチーフとしたものと言われているのです。薔薇戦争を参考にするからには、その舞台となったグレートブリテン島に似た土地を用意するというのは、至極まっとうな理由と言えるのではないでしょうか。
 さらに、ふたつ目の「北方からの脅威」についても、この大陸の形状に大きな影響を与えています。
 ウェスタロスの北部には、東西を貫くように巨大な氷の「壁」が存在し、そこに連なるように砦が築かれており、兵たちが南下を狙う蛮族の警戒にあたっています。そして、この壁と砦にもモチーフが存在します。作者であるジョージ・R・R・マーティンによれば、この「壁」はイングランド北部、スコットランドの境界線近くに今も遺る「ハドリアヌスの長城」から着想を得たものとのこと。
 下図の【A:現実のブリテン諸島】と【B:ウェスタロス大陸】を比較すれば一目瞭然、赤線で記したウェスタロスにおける「壁」と、グレートブリテン島の「ハドリアヌスの長城」の配置がよく似ていることがお解りいただけるのでしょう。

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A:ブリテン諸島、B:ウェスタロス大陸、
C:アイルランド島の配置を変えた図
赤線は「ハドリアヌスの長城」と「壁」を表す。

 ただし、現実との間には違いもあります。この「壁」についても、物語の規模感に併せてスケールアップされているのです。2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスが建設を命じた長城は、高さ4~5メートル程度のものでしたが、『氷と炎の歌』の「壁」の高さは、700フィート(約213メートル)という驚きの規模。前者の長城がケルト人の侵攻を警戒したものであったのに対し、後者の「壁」に押し寄せてくるのは、蛮族のみならず、群れをなした不死の異形たちなのですから、モチーフを100倍にしてなお足りなかったといったところでしょうか。
 このように、ウェスタロスはモチーフとする「現実世界の歴史」を再現しやすくするため、それが起こった地理についても参考にするものの、描くべき物語に併せて土地の面積や建造物の大きさをスケールアップさせるという手法を採っているのです。
 なお、ウェスタロスの形状については、単純にグレートブリテン島を拡大したのではなく、アイルランド島を逆さまにした上で拡大し、グレートブリテン島の南に配置したのではないかという指摘もあります*2。確かに図【C:アイルランド島の配置を変えた図】を見てみると、海岸線などに一致する部分が多く見られますね。 

エッソス:歴史的地形のモザイク

 ウェスタロスの東にあるエッソスでは、『氷と炎の歌』の3つ目のストーリーラインである前王の子供たちの流浪生活が展開されます。
 故郷から遠く離れた兄妹は、いつか生来の権利であるウェスタロスの王位を得るため、異郷の地で雌伏の時を過ごすことになります。つまり、エッソスに求められるのは、中世イングランド的世界観であるウェスタロスから見た「異郷」であることと解釈できるでしょう。
 この要件を満たすため、現実世界の地形をモチーフとする方法論は使えるでしょうか?
 答えはイエスでもあり、ノーでもあるように思います。
 グレートブリテン島の東側に隣接するユーラシア大陸は、東西に長く広がっていますが、この辺りは使えそうです。実際、エッソスは東西に長い形状をしており、その東端は描かれていないほどです。
 この内、第3のストーリーラインの主要な舞台となるエッソスの西部は、中世イタリアの諸都市を思わせる「ペントス」や「ミア」などの自由都市が配置され、少しばかり異文化を感じさせる土地となっています。
 しかし、作者であるジョージ・R・R・マーティンは、それでも不足と考えたのか、作中にモンゴルの騎馬民族を思わせる「ドスラク人」を登場させ、エッソスの異郷感をさらに盛ってもいます。これに伴い遊牧生活を営む騎馬民族を置くための大草原を、エッソスの中央部に配置する必要がでてきました。結果、現実世界のユーラシア大陸とは大きく異なる、モンゴルがヨーロッパ方面まで移動してきたかのような地図が完成したのです。
 ただし、中世イタリア的な自由都市が領するやや降水量が少ない地域と、モンゴル的大草原を隣接させるには、地理的にもひと工夫が必要です。一般に大陸の西側の海には、高緯度から低緯度に向けて「寒流」が流れます。そして、寒流は水蒸気を発生させにくい性質があるため、その沿岸部を乾燥させやすい傾向にあります。こうした地球上の理屈を利用して、エッソス西部をやや降水量が少ない土地としつつ、大草原「ドスラクの海(THE DOTHRAKI SEA)」との境に山脈と大規模河川、その流域に位置する森林地帯を設けることで気候の変化を実現。物語上でも、これらの地形を自由都市とドスラク人の支配領域とを隔てる境界として上手く用いています。
 物語に必要な位置関係を成立させるため、現実世界の地形をモザイクアートのように切り貼りする。エッソスでは、そのような手法が用いられていると言えるでしょう。

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エッソスの拡大図。主要な山系をオレンジ色で示した。
ドスラクの海が山脈で区切られているのがよくわかる。

ソゾリオス:描かないことで広がりを表現

 先にも少し触れましたが、現在公開されている『氷と炎の歌』の世界地図には、「世界のすべて」は記載されておらず、ウェスタロスの北端やエッソスの東端は描かれていません。ソゾリオスに至っては、その北端がかろうじて写り込んでいる程度で、南側に広がっているであろう広大な土地は不明のまま。
 『The World of Ice & Fire』の記述によれば、ソゾリオスは南北に長い大陸であり、浅黒い肌を持つ異民族が暮らしているとのことで、どうやら現実世界のアフリカ大陸をモチーフにした土地のようです。
 ですが、「その土地にルーツを持つキャラクターが登場する」といった程度の関わりしかないためか、世界地図における描写は、かなり限定的なものに留まっています。
 おそらく、このような「端まで描かない」という方針は意図的なものであると思われます。
 人工衛星が天上を巡る現代社会とは異なり、ウェスタロスの住人にとって未だ世界には「人類未踏の地」で溢れており、まさしく世界地図に描かれた範囲内こそが「既知世界のすべて」なのでしょう。そうした世界観が、この隅々まで描かれていない世界地図から読み取ることができるのです。
 情報が隠されることによって、「その先に何があるのだろうか」という想像を掻き立てる効果があるとも言えるでしょう。
 また、身も蓋もない話をすれば、仮に「ソゾリオスの南側」を描いた地図を作者が描いていたとしても、表に出すまでは「裏設定」に過ぎず、いつでもその設定は調整可能であります。いざとなったら、変更できるという点は、大きなメリットです。そうした点も踏まえれば、直接的に登場しない場所の地図は、描かないに限るのではないでしょうか。

*1:HBOのテレビドラマ版の世界地図と、小説の世界地図ではやや地形が異なっている。前者はジョージ・R・R・マーティンから提供された初期の構想に基づいて地図が制作されたが、後に『The Land of Ice and Fire』が発表され小説版向けの世界地図が更新された。当記事では、この小説版向けの世界地図を基準として解説を試みている。なお余談だが、作中のいくつかの地域については気候の描写も異なっており、たとえばウェスタロス南部にあるキングス・ランディングは原作小説では西岸海洋性気候として、HBOテレビドラマ版では地中海性気候として描かれている。これは撮影に利用されたロケ地の問題であると同時に、北部との豊かさの差を強調するという意図もあったようだ。

*2:北米の大手掲示板サイトredditにおける、あるファンからの投稿が話題を呼んだ。