276話 謀
ペイス達モルテールン家の人間が一大発見をしていた頃。
神王国の王都では、一人の聖職者が憤っていた。
「モルテールンのクソガキめ!!」
オルンベルンスト=ロットロハウィ。ボーヴァルディーア聖教会プラウリッヒ神王国南部教区統括補佐にして、司教という地位にある男だ。
彼は肩書を見ればわかる通り、中間管理職ともいえる立場。教会という俗世から隔離された組織では、教会内の地位が全てだ。だからこそ、一部の聖職者は出世に人生をかける。
勿論、人々の心を安んじるため、神聖な教えを学び、そしてそれを広めていくという聖職者らしい仕事に意義を見出す聖職者は多い。大部分の聖職者が、神の教えの元に真理を求めて日々を過ごしている。心ならずも教会に放り込まれた人間や、神の言葉では野心を捨てきれなかったごく一部の人間が、出世競争に血道を上げるのだ。
オルンベルンストもそんな野心家の一人。親が敬虔な信徒だったことと、当人の幼少期の素行の悪さから教会に預けられ、そのまま教会で立身出世を目指すこととなった。
最も、当人の能力が優秀かというなら、疑問符が付く。勿論それなりに地位を得ていることから分かる通り、無能ではない。一般的な人間と比べるならば、賢い部類に入るだろう。しかし、規格外と呼べるほどに優秀ではない。
教会という組織は閉ざされた組織だ。基本的に生活に必要なものを自給自足で賄い、神の教えをただひたすらに学び、少しでも唯一絶対の教えの神髄に近づこうとする。より正しい、神の子のあるべき姿として身を慎み、神の教えのままに生活を営む。
神の教えなどというのは時代と共に解釈も変わっていくものだが、基本的なものは祈り。この世界に自分が居るのは神の御蔭である。生きていることに感謝せねばならない。奉仕と謝恩の精神を持て。こんなところだ。毎朝規則正しく起き、祈り、清掃と軽作業を行い、祈り、神の教えを学び、祈り、寝る。普通の人間ならば監獄の方がマシとも思える生活を喜びとする組織が教会だ。
つまり、価値観が世間一般とはまるで違う。俗世の人間が当たり前に欲しがるものに、価値を見出さない人間がゴロゴロしているのだ。
だからこそ、何でこんな優秀な人間がわざわざ、と思うような人間も居る。極稀にではあるが、超が三つも四つも付く優秀な人材が、教会に入ってくることが有るのだ。頭が、ある意味でおかしい、天災と呼ばれる人間。常人とは考え方が根本から違っている天才。彼らが普通の社会で暮らしにくいと感じた時、教会は別世界として受け入れる。
そして、当然ながらそういう優秀な人間は出世していく。当たり前すぎるほど当たり前の話だ。勿論人間である以上嫉妬や足の引っ張り合いは有るだろうが、貴族の様に血統で測られることもない以上、総じてみれば能力と地位が比例する。
だからこそ、オルンベルンストとしては忸怩たる思いが有った。能力が足りていないと自覚するがゆえに。
自分はどうすれば出世できるのか。
それを考える時、徹底的に上へ媚びへつらうことを考えた。これはと思う優秀な人物の傍に居て、とにかくゴマを擦り、補佐に徹し、自分も引き上げてもらう。
そうして得た地位が統括補佐。最重要な都市である神王国王都の、一区画を預かる統括。その補佐役だ。ここまでの地位になれば、例えば地方の町を預かる司教などはオルンベルンストに対して頭が上がらない。オルンベルンストに不敬を働けば、即座に中央の上層部に伝わってしまうからだ。
この地位を失いたくない。そして、出来るならばもっと上の地位に就きたい。
そんな思いを抱えていたところに降ってわいたのが、モルテールン家のドラゴン討伐の報せであった。
大龍の鱗は、時折魔の森から持ち帰る人間が居る。広大な境界線を持つだけに、魔の森に吶喊する無謀者は毎年何人かは居るわけで、何十年かに一人程度は、魔の森の産物を持ち帰る。他は戻ってこない。全ての領地に跨って組織があり、葬儀を扱う教会だからこそ把握できている事実だ。
そして極まれに。それこそ百年、二百年に一度。持ち帰るものの中に龍の鱗が混じっていることが有る。
虹色の光沢があり、非常に硬い物質。特別な金属だろうと、目端の利く人間が持ち帰るのだ。
未知の物質を手に入れた場合、売り払うにも正体を知ろうとする。この世界で一般人が頼れる知識階層といえば、教会の神父だ。
教会に持ち込まれた未知の物質は、教会が手に入れる。手段は様々だ。悪いものが憑いていると脅すこともあれば、未知の物質を研究するためと言って買い取ることもある。
そうして得られた龍の鱗から、軽金と呼ばれる特別な金属が作られているというのは、教会の上層部だけが知る超極秘機密だ。
そう、極秘機密。だからこそ、上層部と呼べる立場に一応含まれていながら、一番下っ端の立場でもあるオルンベルンストが、モルテールン家との交渉を任されたのだ。彼よりも低い立場の人間で、龍の鱗の価値を真の意味で知るものは殆どいない。
教会の秘密を知られることなく、龍の鱗を全て手に入れる。これが教会トップから直々の命令だ。上手くこなせば、間違いなく出世に繋がる。
決して、無茶な命令ではないだろう。価値を知らない世人にしてみれば、龍の鱗というのは物珍しさ以上のことは無い。多少の金を積むか、或いは教会の権威を背景に圧力をかける。それで上手くいくだろうというのが上層部の見方だった。オルンベルンストも、ほぼ確実にこなせる仕事だろうと思っていた。
だというのに、欲深いモルテールン家のガキンチョは、教会の申し出を突っぱねたのだ。
思う通りに行かなかったこと、そしてそれが子供のやることだったと、腹立たしさが収まらない。
「ええい!!」
ドン、と机が叩かれる。
簡素なつくりながら頑丈なそれは、見た目こそ極普通の木造り机に見える、高級品だ。一流の職人が素材を厳選した上で丁寧に誂えた品。
オルンベルンストの様に俗世の欲を捨てきれない人間からすれば、自らの虚栄心を満たすささやかな自慢の一品である。
普段であれば大事に扱い、部下でもある助祭たちには殊の外丁寧に磨かせる机だ。それを叩きつけるほどに、怒りの感情が溢れている。
「どうしますか?」
助祭が尋ねる。
彼はオルンベルンストの腰ぎんちゃくのような人間で、正直言って頭の出来は宜しくないのだが、その分実直に自分に仕えることから可愛がっている部下の一人。
その若者が、心配そうにオルンベルンストの顔色をうかがう。
声を荒げ頭に血をのぼらせ真っ赤になっている様は、聖職者たるものとしてはあまり褒められたものではないのだろう。
不安げに自分を見る助祭と目が合ったことで、オルンベルンストは若干冷静さを取り戻した。
「どうもこうもない。是が非でも龍体を手に入れねばならん。猊下のお言葉であるぞ」
神の代理人が直々に下した言葉を、そう簡単に取り下げられるはずがない。駄目でした、では済まされないのだ。
どこまでも現実的であらねばならない俗世とは違い、教会の中はどこまでも理想論の世界。唯一絶対の正しい教えがあり、正しいことは正しいのだ。神の言葉に間違いがあるわけがなく、何か神の言葉と矛盾することが社会にあるなら、社会の方が間違っている。より正しい世界を実現するためにも神の言葉を世間の人々は聞かねばならないし、聖職者は人々に正しい方向を示し、導いていかねばならない。それが教会という組織の在り方だ。
モルテールン家が教会の威光に敬意を払わず、思うように事が進まない。これはつまり、何かが間違っているのだ。
オルンベルンストは、モルテールン家が間違っていると断じた。
「無理やりに、というのは難しいか?」
「武闘派で鳴らした、血なまぐさい家です。強く出れば反発もあると思うのですが」
「そうだな」
モルテールン家に対し、強圧的な態度を貫き通せばどうなるか。
仮に他の家であれば、教会という組織を敵に回すことを恐れてある程度妥協の姿勢を見せるだろう。モルテールン家もそうであって欲しいとは思う。
しかし、それはあまりに期待しすぎというものだ。自分の腕っぷしだけで成り上がった乱暴者たち。自分の力を何処までも過信し、神の言葉を聞かず謙虚さを持てずにいる者に、力で押さえつけようとしても反発あるのみ。
となれば、搦め手で行くのが正解だろう。
「時間を掛けて、じっくりとやるか……」
幸い、期限は切られていない。どうにかモルテールン家の弱点を探りつつ、交渉材料を模索し、取引を成立させねばならない。金で動くだろうか。或いは土地を与えるべきか。はたまた数多くある情報を取引材料に出来ないものか。モルテールンと敵対する貴族の醜聞などは、もしかしたら上手く使えるかもしれない。
色々と次の手を模索するオルンベルンスト。伊達に今の地位に居るわけでは無い。神学の論争こそ天才たちに劣るが、その分聖職者らしからぬ大人の対応には慣れている。
どんな聖人君子でも、絶対に弱点は存在する。それは、教会という中に居る自分だからこそ骨身にしみているのだ。まさに聖人そのものと思えるような立派な人間が、僅かなほころびからぐずぐずと身を崩していく様を何度も目にしてきた。最初は立派な信念を持ち、理想に燃えていた人間が、堕落していく様も目にしている。
かつては賢才智謀を謳われた名領主が、年を取ることで明らかに衰えていく実例も知っている。
時間だ。時間を掛ければ、今手も足も出ない相手であろうと、必ず隙が生まれる。それを待てばいい。
「しかし、どうにも個別に売る気は無いようです。まとめて売りにだすという話もあります」
ところが、部下の一言で想定は崩れる。
オルンベルンストにしても、初めて聞いた話だ。
「何!? どういうことだ?」
「どうやら、王家の庇護の元、競売を執り行うとか」
オルンベルンストは一瞬目の前が真っ暗になった。
時間を掛けてじっくりと調略することが叶わないとなれば、打てる手が極端に制限されてしまうからだ。
モルテールン家が欲深い家である。そう信じるオルンベルンストだからこそ、きっとモルテールン家は強欲から龍の素材を手放したがらないと考えていた。
龍の素材に対し、モルテールン家が価値を見出していないのであれば、教会が多少いい条件を出せば素材を引き取れるだろう。高い価値を見出していれば、それはきっと収集欲のはずであり、手元に留めておきたがるはずだ。
そう考えていたからこそ、時間を掛けて調略できると思っていたのだ。
価値を認めていながら、手放すという可能性は有りえないと思っていた。前提条件が崩れてしまった以上、オルンベルンストとしては戦略を練り直さなければならない。
「何たること。神への奉仕を忘れ、精霊を蔑ろにするがごとき浅ましき所業だ。金を稼ぐにも節度を持つべきであろう。神の教えはどうしたというのか」
神の代理人の言葉は、神の言葉に等しい。それが教会の常識だ。
神は精霊を介し、教会に神託を告げる。少なくとも信者はそう信じている。その神の言葉を伝えたにもかかわらず、丸きり無視するが如き所業は、司教として無視できない。
「しかし、冷静に考えれば絶好の機会でもある……か」
個別の取引では首を縦に振らなかった。
しかし、モルテールン家が自分から手放すと言っているのであれば、後は金を積むことさえできれば、自分に与えられた命令はこなせる。
オルンベルンストは、目の前が急に開けたように感じた。
これこそ、神の導きである。自分は正しいことを為しているからこそ、神の加護があるのだ。
「教会が動いたとして、どれほど金を集められる?」
「さて……それなりに集まることは集まりましょうが」
競売で龍の素材を、特に鱗を独占するためには、最低でも万を超える金貨を集めねばならない。最低でそれだ。どれだけ集めても、絶対という保証にはならないだろう。
そもそも競売というのは競争を煽って高値で売ろうとする意地汚い俗世のやり方。教会が同じ土俵に乗り、金貨をバラまいて欲しいものを独り占めするというのは、あまりにも品が無い。そもそも、他の貴族達とまともに競り合って、値を釣り上げられてしまえば独占が叶わない。つまりは、命令を失敗したことになる。
拡散してしまえば独占出来ない。まだモルテールン家が独占していて、金さえ積めば全てを押さえられるチャンスがある今だからこそ、手を打つのも今しかない。
そこで、オルンベルンストは、考える。何とかして確実に龍の鱗を独占できないものかと。
金をある程度集めることは可能だ。なりふり構わないのであれば何とかなる。問題は、同じ様に金を積もうとしてくる競争相手が居ることだ。
「オークションにも、多少裏から手を回すか」
オルンベルンストは、龍の素材を手にするために、謀を巡らせるのだった。
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