スタンピードの裏側
お父様のターン。
ざわりと空気が揺れる。
一気に緊張感がその場を支配する。中には顔を青ざめさせる人も多くいるけど、私の中には飛び跳ねて踊りだしたいくらいの喜びがあふれていた。
顔を上げて謁見の間の入り口――重厚な黒檀に王家の紋章の黄金のレリーフが施されている。そのレリーフは精緻であり荘厳。その真ん中から縦に割れるように扉が開く。
周りが息と生唾を飲む中、颯爽と一人の美丈夫が現れる。
アッシュブラウンの髪に叡智と冷徹さを秘めた宝石のようなアクアブルーの瞳。絶世の美貌を湛えた顔立ちは、鼻筋が綺麗に通り表情の読めない唇が真一文字に引き結ばれている。それだけで、美しい美貌が近寄りがたい程となっていた。
長く蒼いマントを翻し、勲章をいくつもつけた胸元には私の手作りしたくす玉が――ない。その名残だろう、魔石と組み紐が揺れていた。
お父様だ。でも、いつもと酷く様子が違う。いつもなら隙の無いほどきちんと整えられている身なりが乱れている。髪は崩れ解れ、顔に幾筋もかかっている。頬に煤か何か分からないものがついていて、マントは長さがずれ綻びや、何か鋭利なもので切れたように不自然にはためいている。足元は酷く何かが飛び散った形跡があり、脹脛や腿、脇腹や胸から肩、腕にも何かにより引き裂かれた跡がある。
お父様が、あのお父様が何者かに攻撃を受けた?
「あ、あぁ、お父様っ、お父様……っ」
譫言のように声を震わせ、お父様に駆け寄ろうとしたらミカエリスに止められた。
「アルベル、まだ駄目だ。耐えて」
囁くように耳打ちされる。その声は優しく、慮るものだった。でも、お父様に近づいてはならないと止めるものだと思うと思わず非難するような眼差しを向けてしまう。
動揺したのは私だけではない。
サンディス王国の軍師にして、第一線で活躍する魔法使い。その中でもずば抜けた魔力と功績を持つお父様が、怪我をして戻ってきたことに謁見の間は酷い動揺に包まれている。
「帰還いたしました、陛下。事態は一刻を争うので、挨拶の口上は省かせていただいても?」
有無を言わせぬ迫力がある。
苛立ちさえ感じる強い青い目に射貫かれ、動揺を押し込めてラウゼス陛下は顔を引き締めます。
大臣や宰相は後ろめたいことでもあるのでしょうか? 顔を青ざめさせ後ずさり。
うちのお父様は猛獣ではございませんことよ? 早く手当てをして差し上げたいのですが、前にはミカエリス、横にジブリールとどめの後ろにキシュタリアが肩を掴んでいる。一歩も動けませんわ……
「あ、ああ。構わぬ。何があった。お前ほどの実力の持ち主に……」
「魔獣と魔物の討伐は恙なく。ですが、軍の中で禁じられた呪物を持ち込んだ兵がおりました。
その呪具は寄生型。持ち込んだ第五師団小隊のジョガル・ライナー伯爵子息は既に飲み込まれ、同小隊隊員4名を呪具に巻きこみ、第五師団と我が第一師団の隊員のうち総数312名死亡。
魔力が多いものが次々取り込まれ、討伐に随行した魔法師団は壊滅しました」
ざわり、と周囲が騒ぐ。呻きと悲鳴が漏れる。
「我が息子は!? ベルティエッカ侯爵家から長男のラインハルトが此度の討伐に参加しております!」
「死んだのではないかな? 生存者のその名に覚えはない。生きている人間より死者のほうが多いので」
「他人事のようにおっしゃられておりますが、今回の討伐の指揮者は貴方ですよ! ラティッチェ公!」
「腹立たしいのはこちらだ、ゼルベス公爵。本来不要な第五師団は貴方が今回の討伐に無理やり不要なひよっこどもをねじ込んできたからでしょう。ジョガル・ライナーは貴方の奥方の甥だったはずです。
私の参加する討伐の後列へついて回り、碌に戦闘には参加しない。経歴で箔をつけるのは勝手ですが弁えて欲しいものです。どうせ今回も魔獣の一匹も倒していないのでしょう。
使用されたものは軍どころか、国で禁止されている魔道具……しかも呪具など持ち込まれ、我が師団も酷い損害を受けました。
自称後援部隊などという連中のお守はうんざりだと再三申し上げていたはずですが?」
お父様に責任を負わせたいのだろう人たちが一睨みされては委縮し、ズバリと容赦なく論破されます。
ゼルベス公爵以外にも、目を逸らす人がいっぱいいます。お父様、何度お守り役をやらされていましたの?
「それにしても被害が大きすぎるのでは?」
ひやりとした一言をさらに浴びせるのはダレン宰相。
お父様の睨みに僅かに肩が揺れます。疚しいことでもあるのでしょうか。
「第五師団がギリギリまで隠蔽していた。帰還中、いきなりしんがりのほうから呪いに寄生された連中が襲い掛かってきた。
本来、素材になる魔物を入れる檻や馬車に隠していたようだ。大方、後で王都に戻り、金でどうにか治させようとしたんだろう。
増殖しきった呪いにやられた元兵や元騎士を相手にする羽目になったこちらはいい迷惑だ」
「貴方なら同胞兵であろうが魔法で始末するでしょう」
「私は、な。だが先日まで会話していた戦友を倒すのを躊躇うのは兵にも多く、その分対処が出遅れたのは否めない。
しかも、寄生の呪いは傷を媒介に感染する癖に、寄生された後は下手なアンデッドよりしぶとい。寄生主の魔力次第でかなりしぶとさが変わる。特に魔力が強い魔法使いだった場合は、徹底的に焼き払わないと屑肉からでも再生しようとする性質の悪さだ」
どこまでも絶望的に、冷たく響くお父様の報告に、皆は青ざめていく。
お父様が反撃を食らうほどの強さって……
というより、なにそのチート級のバイオハザードな呪い……メギル風邪並みに質が悪いわ。
ですが、こんな危険な代物にお父様がやられなくてよかった……
「そんなことよりラティッチェ公爵! そなたの娘のことだ!」
老害引っ込んでなさいませ!
ひっそりと睨みつけているが効果なし。
「そんなこと? 国家の危機に随分とお耳が遠いようですね。
第五師団は、暴走するまで私に隠していたと言っていたでしょう?
隠し切れず、魔物の暴徒となるまで黙っていた。
私は気づいたのは潰しましたが、中には呪に感染した仲間を隠匿して王都や市街に連れ込んでいる可能性があるのですよ――王都には貴族や官僚のタウンハウスがごまんとあります。魔法の研究所もあるし、魔力持ちがごまんといる。
普通の人間に呪いが寄生なり感染なりしたなら、精々魔物程度だが魔力持ちに当たったら災害クラスの魔物になります。そんなものが王都中に溢れてもよろしいのであれば、どうぞ、心行くまで糾弾しては如何ですか?」
鼻で笑うお父様。
ちょっと危ないヒール役みたいですわ……
なんてダークなお父様にどきどきしていたけれど、周りはすさまじい悲鳴と怒号が上がった。
「仕留めそこなったというのか!?」
「報告を怠り、挙句我が身可愛さに脱走した兵が第五師団にいたならそうですね」
「す、すぐに王都を閉鎖しろ! 第五師団に関わる領地にも、逃走兵がいないか伝令を送れ!」
「ついでに検問もお忘れにならぬよう。積み荷に隠して入れてくる可能性もありますから」
「だからどうしてお前は他人事のようなんだ!?」
「第五師団が勝手にやらかし自爆したのに、我々は巻き込まれただけです。
第五師団といえば家柄だけの放蕩子息の寄せ集めでしょう。スタンピードの討伐軍に参加したというのに、物見遊山にでも来たような連中の尻拭いまで何故私がせねばならないのです?」
「ラティッチェ公爵は元帥だろう!? 討伐軍を引いていたのはお前だろう!?」
「第五師団を連れて行く条件は、手を出さず一切こちらが責任を持たない――それが条件のはずだが? 書面で契約書を交付させていただいたのをお忘れか?
スタンピードより質の悪い問題を起こされ、想定外の戦闘に巻き込まれたのはこちらだ。
家柄と血筋だけの盆暗の実績作りなどという下らない慈善事業に付き合わされているこちらに、何故そこまでやらねばならないのか。
もとより、こちらの連絡も、そちらからの連絡も妙に小細工されていたようなのですが? 碌に王宮に伝令が届いていないのがいい証拠です」
「だからといって前途ある若者たちを見捨てたのか!?」
「まともな人間なら、実力に見合わぬ道具など使わない。ましてや曰く付きの物など正気の沙汰ではない。
馬鹿どもの代わりに、本当に実力ある兵たちを潰せというのですか? どちらが国のために有益かなど考えなくても解る。
そもそも解呪は魔法適性が非常に左右されるものだ。生憎、私はそういったものは不得手ですので、被害が最小になるように努めるのが最善でした」
お父様……超とばっちり。酷い人災ですわ……お父様のお怒りもごもっとも。
なのに、何故お父様ばかりが責められるのでしょう。
わたくしが苦々し気に周囲を見渡すが、周りも不自然にお父様に尻拭いをさせようとしているのを察してか顔を顰めている。
お父様が第五師団とやらが勝手についていくのはいいが、手助けはしないという条件を結んでいるならばお父様に責はないはずだ。じゃあ第五師団は何のために? 完全にピクニック……? たしかに、他の師団にしてみれば非常に腹が立つだろう。命張って戦っている横でボンボンたちが物見遊山とか嫌ですわ。
「クロイツ伯爵、ヴァニア卿。魔法学や呪物に詳しいものを集めて対策を。
一部ではあるが呪詛に侵された遺体の一部や、魔物化したものを採取してある」
「感染型の呪物……接触感染タイプか。範囲型ではなく、一度かかると精神も肉体も乗っ取るのか。だいぶ強烈だな。視認型や播種型よりましか?
現代ではないな……古代種やロストアーツ系? 聖水や魔溶液の在庫はあったかな。領地から資料を取り寄せないと」
「はーい、クロイツ伯爵。ストップぅ~。考えるのは研究室でねぇ~。魔溶液の在庫はちゃんとあるよー!
しっかしエッグイ呪いだね! 災厄級じゃない? 魔王公爵がいたところで起きてよかったのか、悪かったのか!」
白衣のようなものを着た銀髪さんに後ろから頭をペチンと叩かれた金髪の方、ちょっとお父様に似ているような? ご親戚かしら?
「ノイ・ガレス時代? 呪いが全盛期なのはクワトレア帝国後期が黄金期だが、魔法具が最も盛んなのは中期。最も魔法技師の権威が多くいたと聞く……生体に寄生となると、相当複雑な闇魔法のはずだし。
その手の遺跡を発掘した国は多くはヴァレンシュタット帝国だが……我が国の領土でも200年前ほどはいくつも見つかっている。隣国のゴユラン国はどちらかといえば死霊や悪魔を用いたものが盛んであったし……」
「あ、ダメだこれ。こりゃ魔法に完全に脳みそもってかれてる。執務はちゃんと引き継いでからきてよー?」
ぶつぶつと何やら呟いている金髪お父様モドキさんは完全に思考が没頭しているみたいですわ。
それをちらりと見たお父様は、私を見てようやく目を和ませた。
わたくしの大好きなアクアブルーが向けられる。ずっと待っていた、青い宝石のような優しい眼差し。
「待たせたね。さあ、帰ろう。私の可愛いアルベルティーナ」
読んでいただきありがとうございました。
でもまだ謁見の間のお話は続きます。
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