ひさしぶりに鳥取に行きます。およそ15年ぶりぐらい。「間取り図ナイト」開催のためと、みんなと鳥取市街を散歩するのが目的。「よみときあるき」という散歩イベントです。
とはいえ「よみときあるき」と銘打ってしまっているので、予習を。
(国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル5mメッシュ」をSimpleDEMViewerで表示したものをキャプチャ・加筆加工)
と、えらそうに告知してますが、なんせ15年ぶりでべつに鳥取について詳しいわけではないのですすみません。たぶん参加者の方が詳しいでしょう。みんなで楽しく歩ければいいな、ぐらいの感じです。
- 鳥取「よみときあるき」
- 2014年10月25日(土)
- 14:30~17:00
- 散歩場所:鳥取市街地
- 集合場所:パレットとっとり2F屋外テラス
- 定員:20名
- 参加申し込み:mdrz.night@gmail.com に「よみときあるき参加希望」とメールください
- 参加費:500円
とはいえ「よみときあるき」と銘打ってしまっているので、予習を。
(国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル5mメッシュ」をSimpleDEMViewerで表示したものをキャプチャ・加筆加工)
まずは地形図で鳥取全体を見てみた。「そりゃあここに城建てるよなー」っていう地形っぷり。平野が狭くてすごく山の立ち上がりが急。つまるところ千代川が削った平野に鳥取市街はあるわけだけど、こうして地形図で見るとやっぱり鳥取砂丘ってへん。山とは違う「盛りました!」って感じのテクスチャしてる。盛りっぷりといえば空港のそれもすごい。
(同じく国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル5mメッシュ」をSimpleDEMViewerで表示したものをキャプチャ・加筆加工)
市街地に寄って見てもおもしろい。千代川の東の中心市街地の地面は西に比べてヌメっとしている。川が蛇行して削った跡が見て取れる。古くからの街なので地形が使い込まれてるなー、という感じ。
一方西側の田んぼは見事にモザイク状。水平に水を張る必要がある水田がいかに大規模に土地を造成しているかがよく分かる。微地形で見ると田んぼの方が土地を改変している。
さらに面白いのは、山陰本線の北側流通倉庫群の地形。風景的には一変しているが、こうやってみると地形モザイクと地割りの単位は完全に田んぼを引きずっていることが分かる。あとバイパスが地形的に「バイパス」しているのも分かって面白い。
石川初さんは5mメッシュ地形図で都市を見ると「まるでレントゲン写真のように見える」と言ったが、ほんとそのとおりで、風景は変わっているが、実は地面にその来歴が記録されているのだ。
もっと市街地に寄るとその「レントゲン写真」によって鳥取の河川とのすったもんだの歴史が見えたりする。
(同じく国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル5mメッシュ」をSimpleDEMViewerで表示したものをキャプチャ・加筆加工)
もともと大湿地帯だったこの地に、江戸時代城が建てられた時に、城下を蛇行していたオリジナルの袋川を、より外側に引き直した。それが現在の「旧袋川」。オリジナルのほうは堀として利用された(薬研堀というそうだ。現在は暗渠になっている)。このオリジナルが地形図を見るとうっすらと浮かび上がってくる。山と旧袋川の間、市役所付近にが微妙に低い筋があるが、これだ。
(鳥取県立図書館蔵の古地図。制作年不詳)
古地図で見ると、オリジナル袋川たる薬研堀が描かれている。
で、たびたび洪水に悩まされてきた鳥取は、昭和の頭に、さらに袋川を付け替える。千代川にショートカットしたのだ。これが現在の袋川。
あと、旧袋川と千代川が接続している北のほうもすごい。蛇行しまくってた川の跡がまざまざ。
(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・測量1897(明30)・発行年月日1900/03/30(明33)・大日本帝國陸地測量部)
実際、1897年の地図を見るとこのエリアって川がぐにゃぐにゃでたいへんだったんだろうな、と思う。
という感じで、地形図片手に散歩をしましょう。地形図データはここにUPしてありますので、各自プリントしてきてくださいませ。
(同じく国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル5mメッシュ」をSimpleDEMViewerで表示したものをキャプチャ・加筆加工)
市街地に寄って見てもおもしろい。千代川の東の中心市街地の地面は西に比べてヌメっとしている。川が蛇行して削った跡が見て取れる。古くからの街なので地形が使い込まれてるなー、という感じ。
一方西側の田んぼは見事にモザイク状。水平に水を張る必要がある水田がいかに大規模に土地を造成しているかがよく分かる。微地形で見ると田んぼの方が土地を改変している。
さらに面白いのは、山陰本線の北側流通倉庫群の地形。風景的には一変しているが、こうやってみると地形モザイクと地割りの単位は完全に田んぼを引きずっていることが分かる。あとバイパスが地形的に「バイパス」しているのも分かって面白い。
石川初さんは5mメッシュ地形図で都市を見ると「まるでレントゲン写真のように見える」と言ったが、ほんとそのとおりで、風景は変わっているが、実は地面にその来歴が記録されているのだ。
もっと市街地に寄るとその「レントゲン写真」によって鳥取の河川とのすったもんだの歴史が見えたりする。
(同じく国土地理院「基盤地図情報数値標高モデル5mメッシュ」をSimpleDEMViewerで表示したものをキャプチャ・加筆加工)
もともと大湿地帯だったこの地に、江戸時代城が建てられた時に、城下を蛇行していたオリジナルの袋川を、より外側に引き直した。それが現在の「旧袋川」。オリジナルのほうは堀として利用された(薬研堀というそうだ。現在は暗渠になっている)。このオリジナルが地形図を見るとうっすらと浮かび上がってくる。山と旧袋川の間、市役所付近にが微妙に低い筋があるが、これだ。
(鳥取県立図書館蔵の古地図。制作年不詳)
古地図で見ると、オリジナル袋川たる薬研堀が描かれている。
で、たびたび洪水に悩まされてきた鳥取は、昭和の頭に、さらに袋川を付け替える。千代川にショートカットしたのだ。これが現在の袋川。
あと、旧袋川と千代川が接続している北のほうもすごい。蛇行しまくってた川の跡がまざまざ。
(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・測量1897(明30)・発行年月日1900/03/30(明33)・大日本帝國陸地測量部)
実際、1897年の地図を見るとこのエリアって川がぐにゃぐにゃでたいへんだったんだろうな、と思う。
という感じで、地形図片手に散歩をしましょう。地形図データはここにUPしてありますので、各自プリントしてきてくださいませ。