「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah )
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日本メディアが報道しない情報最前線が見えてくる。
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《 いま注目の論点 》
★リベラル帝国主義 コロナに勝つ?――福井義高さん
★つくる会狙い撃ちの「不正検定」――藤岡信勝さん
★激化する中台「防疫外交」合戦――矢板明夫さん
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現在も岩波文庫に入っている『紫禁城の黄昏』はたいへんな欠陥商品です。映画「ラストエンペラー」が評判になったとき、岩波書店が話題に便乗して訳出した文庫本ですが、私はそれを手にして驚きました。満洲国の成り立ちや当時の政治状況(いいかえれば、満洲国は断じて日本の傀儡(かいらい)国家ではない、といった事情)がいちばんよくわかる第1章から10章まで省いてあったからです。
◆岩波書店の“文化的犯罪”を糾す
『日本を賤(いや)しめる「日本嫌い」の日本人』
【 渡部昇一、徳間書店、p199】
以上を要約すれば――1911年(明治44年)の辛亥革命で清朝が倒れ、1924年(大正13年)のクーデタで溥儀が北京を脱出し、そして1932年(昭和7年)に満洲国が建国されるまで、日本がシナ本土や満洲の地を“侵略”した事実など、ひとかけらもありません。
だから私は、『紫禁城の黄昏』を読まずして満洲を語ることなかれ、と声を大にしていいたいのです。
『紫禁城の黄昏』が東京裁判で証拠として採用されていれば、裁判それ自体が成り立たなかったと思います。しかし実際には却下されてしまった。その理由は、この本を証拠として採択すれば東京裁判の法廷を維持できなくなるからに決まっています。
《 岩波書店の“文化的犯罪”を糾す 》
この「紫禁城の黄昏」はそれほど重要な史料なのです。
ところが、現在も岩波文庫に入っている『紫禁城の黄昏』はたいへんな欠陥商品です。映画「ラストエンペラー」が評判になったとき、岩波書店が話題に便乗して訳出した文庫本ですが、私はそれを手にして驚きました。満洲国の成り立ちや当時の政治状況(いいかえれば、満洲国は断じて日本の傀儡(かいらい)国家ではない、といった事情)がいちばんよくわかる第1章から10章まで省いてあったからです。そして、満洲事変に直接かかわる第16章も省いている。満洲国の成立に関係した人の名前が出てくる箇所も、序章以下、虫食い状態で削っています。その結果、全体の約3分の1がカットされています。これはもう「欠陥商品」というより「文化的犯罪」というべきでしょう。
岩波文庫がなぜそんなことをしたかといえば、「満洲は中国の土地ではない」とか、「辛亥革命のとき溥儀が帰っていれば正統的な満洲国ができていたであろう」といったふうに、現在の北京政府に都合の悪い記述がたくさんあるからです。中国に遠慮して削ってしまったに違いありません。
ところが、訳者のひとりである入江曜子氏は「あとがき」で、「本訳書では主観的色彩の強い前史的部分である第1~10章と第16章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」と書いています。
こんなインチキな出版物は見たことがありません。「主観的色彩が強い」かどうかは読者が判断すべきことです。訳者が勝手に「主観的色彩が強い」からといって、その部分を削ってしまったら読者はその判断すらできません。そんな政治的編集をするくらいなら最初から訳出しなければよかったのです。そうした欠陥本が「岩波文庫」の名前で出るところに、いかに岩波書店が戦後、北京政府の手先になってきたかがうかがえます。
そこで完訳が必要だと考えた私は、中山理さんに翻訳を依頼しました。前に触れた『在支25年~米国人記者が見た戦前のシナと日本』も彼の訳ですが、英語が非常によくできる人ですから、とてもいい完訳本になりました。
この完訳本は私が監修をしておりますが、これを読んでもまだ、満洲国進出は日本の一方的侵略だった、といい張る人間がいたら、もう「寝ぼけ!」というしかありません。
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
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★つくる会狙い撃ちの「不正検定」――藤岡信勝さん
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現在も岩波文庫に入っている『紫禁城の黄昏』はたいへんな欠陥商品です。映画「ラストエンペラー」が評判になったとき、岩波書店が話題に便乗して訳出した文庫本ですが、私はそれを手にして驚きました。満洲国の成り立ちや当時の政治状況(いいかえれば、満洲国は断じて日本の傀儡(かいらい)国家ではない、といった事情)がいちばんよくわかる第1章から10章まで省いてあったからです。
◆岩波書店の“文化的犯罪”を糾す
『日本を賤(いや)しめる「日本嫌い」の日本人』
【 渡部昇一、徳間書店、p199】
以上を要約すれば――1911年(明治44年)の辛亥革命で清朝が倒れ、1924年(大正13年)のクーデタで溥儀が北京を脱出し、そして1932年(昭和7年)に満洲国が建国されるまで、日本がシナ本土や満洲の地を“侵略”した事実など、ひとかけらもありません。
だから私は、『紫禁城の黄昏』を読まずして満洲を語ることなかれ、と声を大にしていいたいのです。
『紫禁城の黄昏』が東京裁判で証拠として採用されていれば、裁判それ自体が成り立たなかったと思います。しかし実際には却下されてしまった。その理由は、この本を証拠として採択すれば東京裁判の法廷を維持できなくなるからに決まっています。
《 岩波書店の“文化的犯罪”を糾す 》
この「紫禁城の黄昏」はそれほど重要な史料なのです。
ところが、現在も岩波文庫に入っている『紫禁城の黄昏』はたいへんな欠陥商品です。映画「ラストエンペラー」が評判になったとき、岩波書店が話題に便乗して訳出した文庫本ですが、私はそれを手にして驚きました。満洲国の成り立ちや当時の政治状況(いいかえれば、満洲国は断じて日本の傀儡(かいらい)国家ではない、といった事情)がいちばんよくわかる第1章から10章まで省いてあったからです。そして、満洲事変に直接かかわる第16章も省いている。満洲国の成立に関係した人の名前が出てくる箇所も、序章以下、虫食い状態で削っています。その結果、全体の約3分の1がカットされています。これはもう「欠陥商品」というより「文化的犯罪」というべきでしょう。
岩波文庫がなぜそんなことをしたかといえば、「満洲は中国の土地ではない」とか、「辛亥革命のとき溥儀が帰っていれば正統的な満洲国ができていたであろう」といったふうに、現在の北京政府に都合の悪い記述がたくさんあるからです。中国に遠慮して削ってしまったに違いありません。
ところが、訳者のひとりである入江曜子氏は「あとがき」で、「本訳書では主観的色彩の強い前史的部分である第1~10章と第16章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」と書いています。
こんなインチキな出版物は見たことがありません。「主観的色彩が強い」かどうかは読者が判断すべきことです。訳者が勝手に「主観的色彩が強い」からといって、その部分を削ってしまったら読者はその判断すらできません。そんな政治的編集をするくらいなら最初から訳出しなければよかったのです。そうした欠陥本が「岩波文庫」の名前で出るところに、いかに岩波書店が戦後、北京政府の手先になってきたかがうかがえます。
そこで完訳が必要だと考えた私は、中山理さんに翻訳を依頼しました。前に触れた『在支25年~米国人記者が見た戦前のシナと日本』も彼の訳ですが、英語が非常によくできる人ですから、とてもいい完訳本になりました。
この完訳本は私が監修をしておりますが、これを読んでもまだ、満洲国進出は日本の一方的侵略だった、といい張る人間がいたら、もう「寝ぼけ!」というしかありません。