大林宣彦監督の訃報を知らされて、僕は、身体じゅうから何か大切なものが抜けてゆくのを感じた。僕を映画という魅惑的で危険な世界に引っ張り込んだのは、まさに大林さんだったからだ。
1960年代末、僕は寺山修司の率いる演劇集団、天井桟敷に在籍していた。演劇にそろそろ飽きてきた頃、同僚の萩原朔美と新宿の紀伊国屋ホールで不思議な映画を観(み)た。
『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』(196…
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