【評伝 大林宣彦さん】幼少期の戦争体験が原点 映像の魔術師、無邪気さも
「映像の魔術師」と呼ばれ、日本映画界で異彩を放った大林宣彦さんが亡くなった。がん闘病中の昨年11月、広島市中区での広島国際映画祭に車いすに乗って現れた。戦争と広島の原爆を描く「海辺の映画館―キネマの玉手箱」の先行上映に登壇し、「戦争は明日にでも起きるが、平和をつくるには400年はかかる。やり遂げましょうね」と語ったのが、故郷広島への「遺言」となった。
尾道で代々続く医者の家に生まれ、幼少期におもちゃの映写機で遊んだのがきっかけで、映画に興味を持つように。第2次世界大戦の末期、父は軍医として長年戦地に赴いた。近所で親しかった人たちが戦争で次々と亡くなった。「幼少期に感じた死者の気配が映画づくりの原点」と自ら語っている。「私が描くのは虚実のはざま。生きているのか死んでいるのか分からない人が登場する」
1980年代に一世を風靡(ふうび)したヒット作をあらためて見返すと、画面に潜む「死者の影」に気付く。原田知世さんが主演した初期の代表作「時をかける少女」。アイドル映画の先駆けとされるが、時空に隔てられた悲恋のテーマが重く横たわる。大林監督は「戦争で亡くなった知り合いの少女を重ねた」と語っている。
晩年はがんと闘いながら、反戦、平和を訴える渾身(こんしん)のメッセージを作品に込めた。戦争前夜を舞台に、若者の刹那的な生き方を描いた「花筐/HANAGATAMI」。「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」。自ら脚本を手掛け、登場人物のせりふに思いを託した。
「花筐」や「海辺の映画館」などに出演した常盤貴子さんは「監督が命を削って訴え続けてくださった二度と戦争なんて起きない世の中になるよう、私たちは映画の力を信じ、その思いをつないでいきたい」と追悼文を寄せた。
撮影所での下積みを経た映画監督ではなく、自主映画とCM業界で名をなして商業映画に進出した先駆者でもあった。「自分のプロダクションで映画を作ってきたパイオニア。後進に新たな道を切り開いた」。大林チルドレンと呼ばれる犬童一心監督は敬意を込めて語る。
帰省中に尾道市立大を訪れ、学生の短編映像を講評するなど、熱っぽい語り口で指導した。若者の可能性に期待し、「次世代の映画人に託したい」と繰り返していた。大林作品をきっかけに映画の道に入った樋口尚文監督は「学生服で撮影現場を見学に行くと、シーンを解説してくれた。感動した」と慕う。
「自分の撮りたい映画だけを撮ってきた。終生アマチュアの映画作家」と、広島国際映画祭で自らの歩みを振り返った大林監督。「映画万歳!」と叫んだ無邪気な表情は、映写機で遊ぶ「大林少年」そのものだった。(西村文)
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