こんばんはー

今日は原稿の続きを書いていますよ。

戦国武将の本の内容ですが、この前の下田に行ったときのこと

実は、ここのお城には

こわーい伝説があります。

伊豆討ち入りと言われ、

早雲が徹底的に立てこもった兵から妻子の関係者を

すべて殺したそうです。

 

 

キンメ電車やーと喜んで行ってた伊豆の道は

実は600年くらい昔は

戦場のあとでもあったわけです。

 

そういえば、下田の温泉に行ったとき

「湯女」という

ストーリーが浮かんできました。

それは、味方に裏切られた二代目の話。

逃げた先にはハニトラや、怪しい家老がいて

誰を信じたらいいのかすらわからない

そこに温泉に入ったら

洗ってくれる湯女が現れて

 

お背中流しましょうといいつつ、湯の中でアレコレと・・

そこで我を忘れると、また戦国のあの時代に戻ってしまう

なぜそんなストーリーが浮かんだのか、そのときはわからなかったけど

今は、武将たちの壮絶な戦いが

この伊豆で起きていたんだなあと思いました。

 

ちなみに、Miuがちょっと書いている内容ですが

こんな内容です。

素性がわからない人間が、天下を取っていた時代が戦国時代ですね。

それまでは、それなりに格のある人が政治も天下もとってましたが

将軍となると、信長や秀吉ではだめだったのか

このあたりのことはもう少し勉強したいですね。

しかし、今となっては素性がわからない歴史人物多すぎですよ。

実は、受験ではこの戦国時代、ほとんど出ないらしいです。

それだけ、夢や希望がありすぎて、真実が不明らしく。

 

・豊臣秀吉

「秀吉の父親は天皇だった!?誰も知らない素性はねつ造のみ」

 

「関白任官記」史料によると、秀吉があたかも天皇のご落胤がごとく記載。関白期に自分の位を保つためのねつ造だが、江戸期後期には日輪受胎説から、日吉権現の申し子とまで語られた。実は誕生日も生誕地も確定できておらず、30数回転職の末、秀吉自体がどこのだれかわかる者がいない。

 

・徳川家康

「本当は関ケ原は危なかった。天下分け目は主力が西軍裏切り隊」

関ケ原の戦いが徳川幕府の始まりのように思われるがそうではない。実は家康は関ケ原では戦いたくなかった。また短期決戦で西軍の裏切り部隊で成功したが、布陣としては、西軍の方が勝ち戦だった。

 

 

つまり、北条早雲もそうですけど

いっぱしの素浪人が、「苗字」をつけかえて

歴史まで変えて書物を作り

今の歴史常識になってると思うと

勝った方、いえ、書物を残せたもん勝ちじゃないか!

と思いますね。

 

この本大好きなんですが、よければ

日本地図で見るほうがよかったかなー

 

本当は著作権の関係から

内容は見せるべきじゃないけど

すごく勉強になるんで

小田原城が北条家の居城でしたが
有名な小田原城責めで、関東一円の北条の強さが落ちていきました。
しかし、大久保という名前、薩摩の大久保利通と間違えそうですが
譜代の名門の大久保氏だそうです。
そういえば、近藤勇も、大久保大和という名前にして
逃れようとしていたけど、京都の警備をしていたのが小田原藩だから
そういうことだったわけですねー隠れ蓑にこの藩に入り込んだのかな
それにしても、藩主の名前にするのはかなり度胸がいると思うけど・・
養子にしたんだろうか・・
 
さらに

・蜂須賀虎

「夫を毒殺した家康の養女 藩を安定させた賢い妻か噂が二分する嫁」

阿波の蜂須賀家は秀吉の昔からの友だった縁。家康の養女が嫁に入り、家の主を毒殺したというが、実は家康へのとりなしをした賢い嫁だったという。噂が二分するのはなぜか。

 

 

というのも書いてみました。

戦国のいろんな本を読んでまとめただけですが

こういう短文で謎を書いていくのは

文章の勉強になりますね。

駄文は長文

美文は短文

それは意識していますよ。