渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

なぜずっと2ストに乗り続けるのか

2019年08月14日 | 公開情報


1970年代の10代の時から、レーサー含めて、
ず〜っと2ストしか所有していない。
それの理由はいろいろあるが、まとめると二つ
しかない。

1.軽い
2.パンチ力

これのみ。
4ストは16の時に一時ホンダを2台所有(16才か
ら現在まで常に手持ちバイクは2台以上)したが、
すぐにメインは初めて乗った2ストに戻った。
以後、現在に至るまで、2スト一本槍だ。
当然、燃費のことなどは考えたことない。
エンジンの燃焼状態と燃料補給地点を見誤らな
いために燃費計算はしていても。
現在59才だが、ミドルティーンの頃から燃費の
為にバイクで走っているのではない。
よくバイクに乗りながらも燃費燃費と言う人が
いるが、俺からしたら意味不明。電気二輪車に
でも乗ってたほうがいいのでは、と。
自分自身がオートバイに求めるものは燃費では
ない。もっと別なものだ。
実際に、オートバイは別な事を与えてくれる。

あと、オートバイをカーゴ車と考えている奴は
タコだと思っているから、妙ちくりんなボック
スを着けて「機能美」だとか訳わからないこと
を言ったりはしない。
カウル付きのバイクにボックス?
ポルシェやフェラーリでリヤカー牽引してカッ
コいいとか言ってる感覚は俺は持ち合わせて
いない。
オートバイの機能美は、走る為にどれだけ研ぎ
澄まされているかだ。切れない包丁を機能美が
あるとはいわない。寝ぼけてはいけない。
二輪において走りを捨象する全ての贅肉や人間
の見誤りという誤認、浅い考えは、それは二輪
に接する人間の正しく物事を見極めない害悪で
しかないと思っている。
二輪車に罪は無い。いつも人間が本質を見誤る。

人それぞれ。
ただ、生き方としてイヤなもんはイヤなんでね。
なんでオートバイを「運搬車」としてなど捉える
ことができようか。

あと、もう一つ、ヤキトリかましてる昨今の大型
載り屋たちに疑問がある。
倒れたら自分一人で起こせない重たいバイクに
よく乗ってられますね。
起こす時、どうするの?
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