渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

バランタイン

2018年07月30日 | 公開情報


薩摩の刀友からもらっちゃったよー。
こりゃすげ。いいわー。深謝。

普段はこの1000円のバランタインだけどね(≧∀≦)


酒は値段じゃないとはいえ、17年はですね、深い
です。申し訳ないがバランタインファインストと
はまるで違う。
これは、バーボンのJ.T.Sが6年と10年で奏でる違
いとは別次元の違いを見せます。
まあ、言うなれば、ブレンデッドスコッチの至高
ですかね。
17年はね、なんてのかね、複雑なの、味が。
私はボトルはかなり久しぶり。
通常飲みはバーです。バー(笑)。ショットで。
バーでバーテンダーに仕事させないでストレート
はどうよとは思うが、私はウイスキーはいつも
ストレート。
撞球もガツンとオトコのストレートプールが一番
好きだし、あれこそがポケットビリヤードの本物
だと思っている。私のハイランは40点台で、
世界のレベルからは低すぎるが、まあ「一般論」
としては低いレベルにはいない。国内ならば、
ビリヤードのプロ試験は受ければ受かる。ボウラ
ードは、1.8玉穴台で260点台だし、その台で200
点を下がることはない。
しかし、プロの資格を持ったからどうなのだ、て
のがある。
プロで勝ち続けてそれで食える人は俺などより
遥かに高度な才能を持った人たちだ。

それでも、ポケットにおいては、エニーボール系
で全ての玉を入れ続けるのがポケットビリヤード
だ。
対戦相手の敵にはキューを握らせない。
それが撞球の究極だ。
ビリヤードプレーヤーは、つねに野球の投手でい
う「完全試合」を目指している。
ストレートプールが本将棋ならば、ナインボール
やテンボールは挟み将棋すね。

でもって、バランタイン17年の解説。




他のレビューやインプレもネット上にあるけど、
バニラがどうとかかんとかの表現はド正直なとこ
ろ、かなり好きではない。
まあね、甘いの例えでバニラはいいとしよう。
しかし、バニラといってもパテシエによって味は
まるで異なる。ウイスキーの味と風味の比喩で
はよく「バニラ」が出て来るが、私としては
バニラというスイーツを舐めてるのか?とさえ
思う。
そして、これは葉巻のレビューインプレと同様な
のだが、その感想を定型句の単語の引っ張りで
語っている限り、「陳腐」大集合で、中国地方で
言うところの方言で、極めて「つまらん」。
(中国地方の「つまらん」は「面白くない」では
なく、存在価値全否定の「死んだほうがよい」
というくらいの強烈な感情表現の方言である)

ウイスキーと葉巻のインプレやレビューは、はっ
きし言って「つまらん」。
てめえの言葉で一つも語ろうとせず、語るうちに
どんどん自己陶酔して来ているのが見えるから
だ。
もしかしたら、私のようにこんなことを言う奴は
いないのかも知れない。
だからね、奴らは「分かった」ふりして自分たち
の判断に追従しない人々を見下すようにしていちびって(大阪弁)るのよ。

美味いか美味くないか。
てめえの好みかどうか。
では、その個体の味に対して、自己の精神的接触
は何処にあり、その基底は何であるのか。
そうしたことをレビュアーは一切言葉に乗せな
い。
まるで埒もない「知識のコレクター」のように
みんみんと蝉のように鳴き叫ぶだけの取るに足ら
ぬ薄っぺらな寄せ集め「知識」を動員する。
知識とは自己との結節点がどこにあり、己はどう
であるのかを提示しない限り人の心を動かすこと
などは出来ないことを知らない。

文章を書くということは、己の自己発露の表現だ
けでなく、結果として人を動かすということだ。
文章ひとつで、人は感動し、喜び、泣き、笑い、
そして精神の解放に導かれる。
それとは逆に、文章ひとつで、人は傷つき、人に
よっては死んでしまう。

落ち葉を拾い集めたような「知識」を収集して、
その集め物の多寡が人の価値を決めるかのように
誤認している人間のクズは多い。
そして、みんみんと蝉鳴きをしていちびる。
人格的薄っぺらさと下劣さにこちとらは噴飯もの
ではあるのだが、彼らには共通する特徴がある。
それは、自分の言葉、自分の表現で語ることは無
く、「誰々がこう言った」、「どこどにはこう
書いてある」とかいうことをただ言うだけなの
だ。
クッソ下らないし、低級すぎて話にならない。
少なくとも、彼らの言は力を持たない。彼らの言
葉が人を動かすことはない。

ウイスキー。
さて、日本刀と極めて似ているこの悪魔の飲み物
をどこまで君は自分の言葉で語れるか。
実は、みんみんと連ねるやかましい蝉のような
「知識のコレクター」という自己消失の没主体性
の恥ずかしい人間の表層雪崩の薄っぺらな「言
葉」よりも、「うっ!・・・・」という感情表現
を垣間見せた人のほうが人の心を打つ事がある。
つまり、人としての大切な心を具備していなけれ
ば、人として言により人を感動させたり、人を動
かしたり、人の心を救済することは出来ない。
それが自己発露の結果としてであろうとも。

ウイスキー(および全種の酒類)と日本刀は語る
なかれ。
語るならば自分の言葉で。己の感性の極限として
語れ。命がけで。
他人の言葉を借りて、当たり障りない言質を並べ
ることの恥ずかしさを知れ。

だが、酒についても、日本刀についても、知らない人が多すぎる。
それは、「恥」について。
他人の褌相撲がいつまで経っても大量発生の現
代。
実はこれは江戸期からだ(苦笑)。
しかし、ほれ昔からも自己認容の逃げ道を得たと
思うなよ。
みんみんと騒ぐ蝉は、人としてどれほど恥ずかし
いことか。
「知識」自慢って、仮面ライダーカードやメンコ
の数自慢のいちびりとは違う、決定的な人格的な
欠缺なんだよね。例え古くて済まんけど。

面白いのは、ギリギリの命のやり取りが予想され
る際には、「自称武術家」は徹底した自己保身
のみに逃げ回ることだ。
スカですから、それ(笑)。
人間の生と死について舐めきっているね(苦笑)

ま、美味いウイスキーは美味い。
喰えないモノは人も含めて、どこまで行ってもい
ただけない。

てなこと書いてるうちにボトル半分空けてる俺が
言うのだから間違いない。
あ、ファインストのほうね。空いてるのは
(笑)。








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