渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ホンダNSR250R開発秘話

2019年09月26日 | 公開情報





















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良い記事だ。

本田宗一郎はポップヨシムラと同じく2ストを
忌み嫌っていた。
吉村に至っては、2ストはミミズのような下等
生物とまで言い切っていた。

エンジンの形式のみならず、己が手がけるシス
テム以外の構造を差別する心と性根は、私は嫌
いである。工業人として心根が不健全だからだ。
感情的な嫌悪感からは何も建設的な物は生まれ
ない。自分以外を見下すことで活力を得ようと
するのは、それは侵略者の発想だ。侵略者は
実は弱者なのである。
そこまで2ストを毛嫌いするのならば、ホンダは
ライバルヤマハのマシンを研究してそこからノ
ウハウを盗んだりせずに、ずっと4ストのみを
作り続けていればよかったではないか。
カワサキが「我関せず」で己を貫いたように。
結局は、ヤマハRZがアメリカの圧力で消えかけ
ていた2ストオートバイを復活させて中興の祖の
ようになり、超絶爆発的に売れたからホンダも
渋々2スト250オートバイを作っただけではない
か。
そこには、良い物作りをしようという工業人と
しての精神に立脚したスタートではなく、ライ
バルであるヤマハに市場を席巻されたことを巻
き返して名実ともに「天下のホンダ」になろう
という商業人としてだけの性根でマシンを手がけ
ようとしていた現実がある。
その発想の視座が私は好きではない。

事実、RZが売れに売れていた頃のホンダが出し
た2スト250は、愚にもつかない不出来なオート
バイばかりだった。これは車の内実が。
それはそうだろう。車作りのスタートが、対ヤ
マハという憤怒から始まっているから、出来上
がった車さえ不健全さを体現していた。

そのホンダの姿勢が変化するのは、やはり池ノ谷
さんが責任者に就任してからだ。
先達に学べ。
これを池ノ谷さんは断行した。
販売実績世界一、ロードレースで地球一、プラ
イド宇宙一のホンダにおいて、これを英断と呼
ばずしてなんと呼ぶ。
ホンダがヤマハのマシン、他社のマシンを研究
して、もっと良い物を作ろうという姿勢に転じ
た。
良い物から学ぶ。先達に学ぶ。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという事
を市販車2スト250モーターサイクルにおいて
ホンダは初めて実行し始めたのだった。
その大きな転換の末に生まれたのがNSR250R
だった。
それ以前にホンダが場当たり的に出したMVX
250とNS250Rの失敗作とは大きく異なってい
た。

それまでは、レース部門ではホンダは優秀な
2スト二輪車を作っていた。
市販ロードレーサーのMT125はヤマハが125
市販レーサーの製造を中断していた70年代中期
から80年代前半のレース界で不動の位置を得て
いた。
ヤマハ系のライダーたちでさえ、サーキットで
はホンダMT125に乗っていた。
車自体も非常に良い物だったし、続くRS125も
優秀だった。
しかし、ホンダは、250以上の2ストオートバイ
をレーサーも公道市販車も全く持っていなかった。
そこにヤマハがフラッグシップのRDを水冷化+
モノサス化した新型RDとして投入してきた。
日本国内向けネーミングを新たにRZと銘打って。
Zとは「究極の」「最終到達点」という意味が
込められている。
そのRZ250は1980年に登場した。

RZの登場により、世の中は一変した。
メーカーの市販ロードレーサー、世界グランプリ
を走るTZ250のノウハウをふんだんに取り入れ
た市販公道車が誰でも買えることになったから
だ。
実際に私も即乗ってみると、「あ、これはまる
でレーサーだ」と感じた。
それは奇しくも、ホンダの2ストレーサーの125
と発進時のパワーフィールや旋回感覚が非常に
似ていた。MT125を市販公道車にしたような妙
な感覚を感じた。
そして、その感知は、発想の連鎖を生んだ。
「これ、RZ350かRZ400というのが出たら、
それはレーサーTZ250に近い物になるのでは
なかろうか」と。
パワー的にも当時の125レーサーが市販車250
と近かった。250レーサーは市販車では400
クラスのパワーよりちょい上くらいだ。
動向を見て私は待つことにした。
すると1年後にRZ350が出た。
即買った。
もし、ホンダがMT125レーサーのような本腰を
入れた2スト350公道市販車を発表していたなら
ば、私はホンダの車を買ったかもしれない。
それほどMT125レーサーは素晴らしい物だった
からだ。

しかし、ホンダは、2ストは本当は作りたくは
ないというメーカーだった。
世界グランプリでも、世界チャンピオンの片山
敬済選手をヤマハからホンダに引き抜いたのに、
4ストレーサーの開発者としてしまうような事を
していた。
その3年間により、片山選手は選手のピークを
過ぎていた。
ホンダは同排気量の4ストでは世界選手権に勝て
ないため、やむなく2スト500レーサーを開発し
て片山選手と新人のフレディ・スペンサーに乗ら
せた。
そのNS500は初年度から可能性を見せた。
翌82年にはフレディが2勝、片山選手が1勝を
上げた。
そして、ホンダのその3気筒2スト500レーサー
は、1983年には不世出の名人、ヤマハのキング
ケニー・ロバーツと歴史的な一騎打ちを繰り広
げて、世界チャンピオンに輝くのだった。
ロードレースの世界が4ストから2スト車に代わ
って、世界の王者ホンダが全く勝てなくなって
から気の遠くなる程の年月が流れていた。
1983年のシーズンは、グランプリの優勝者は
ヤマハのケニーかホンダのフレディしかいない。
その二人のどちらかが常に表彰台の真ん中に立
っていた。歴史に残る名勝負の年だった。

世界グランプリで勝利したホンダだったが、
ヤマハがRZでやったようなレーサーを公道車に
落とし込むような車作りはしていなかった。
特に250に至っては、市販レーサーさえ製造し
ようとさえしなかった。
ようやくホンダが250の市販ロードレーサーを
発表するのは1985年のことだ。
市販車においては、全く2スト250などは本腰を
入れてなかった。
しかし、ヤマハの市場は奪いたい。ヤマハが
250の市場で名声を得ているのも許せない。
ホンダはヤマハ以上にレーサーを公道市販車化
することをついに選んだ。
そうして生まれたのがNSR250Rだった。

ヤングマシンの取材記事では、公表できない
多くの深い闇もあったことだろう。企業戦争と
して。戦争に謀略と悪辣はつきものだ。
ホンダは、2ストを忌み嫌うという二輪車工業人
としての心得違いと同じように、名機NSRの
開発においても、その出発点は「ヤマハの2スト
に勝利しろ」という不健全な社命からモノヅクリ
が開始されている。
私はホンダのレーシングチームは好きだが、ホ
ンダの社風や骨の髄までの体質は好きではない。
好きではないのではなく、嫌いである。その空気
が。
ホンダというメーカーそのものが嫌いなのでは
ない。その社風が嫌いなのだ。
創業者の「世界中のオートバイをホンダにして
しまえ」という発想も好きにはなれない。
「走る実験室」という、乗り人を検体として
捉える発想も好きではない。
本田宗一郎と二人三脚でホンダを作った創業者の
一人は私の高校の先輩だが、主として経営面で
ホンダを世界のホンダに育て上げた。本田宗一郎
のほうは技術畑だ。
まあ、でも、2ストはつかみどころが無い、方程
式が存在しないエンジン機構だったから、本田
は嫌ったのでしょうね。異星人のような2スト
というエンジンを。
ポップ吉村はミミズのような下等生物と言った
が。
なんで内燃機関を見下すのかなあ。
好きじゃないんだよ、他人や他組織や他の事物
を見下すことで自分の優位性や自分の存在を
認識したりアピールしようとする姿勢は。
その根性が私は嫌だ。

だが、ホンダのNSRは、年々完成度を増し、つ
いに1990年に「究極の」NSRであるMC21が
完成した。
毎年まるっきりの新型車が開発されていたのに、
MC21のみは4年間も同じモデルでマイナーチェ
ンジのみだった。それほど、ホンダの頂点に
90年型NSRはあった。
だが、奇しくも、それはヤマハのRZが、世に
出た時から既に完成されたマシンであったこと
をなぞらえる皮肉を歴史に刻んだのだった。
時に1990年。ホンダはヤマハから10年遅れて
いた。
果たして、ホンダは本当に天下を獲れたのだろ
うか。

その後のホンダは、ロビー活動等でレースの
ルール自体を変更させる等、政治的資金的な
ホンダパワーを駆使して、文字通り天下を獲っ
た。世界を牛耳るのはホンダとなった。
本田宗一郎が明言した二輪車の世界征服も見え
てきた感さえあった。
実質的に、レースの世界では、ホンダに有利に
作用するようなレールを敷くことには成功した。

そこで出てきた伏兵カワサキ。
かつてレースの世界では、4ストビッグバイクと
2スト250&350では天下無双、世界一のマシン
を作るメーカーだ。常にいつも「世界一」を
一発屋的に獲っていたメーカーである。
あまりの独自路線のため、80年代のバイクブー
ムにあっても、販売台数不振で二輪部門の閉鎖
さえ社内検討の俎上に上がっていた国内第4の
メーカーだ。
ホンダは対ヤマハ戦争に主力を割いて、カワサ
キについてはノーチェックだったのではなかろ
うか。眼中に無い、と。
あまり感情的になると情勢は見えなくなる。
しかし、ホンダだ。
今度はカワサキ相手に黙っちゃいないことだろ
う。
実際にCBR250RRを投入してきた。
また、得意の手法で、250でホンダ単独車種で
のレースに選手権を噛ませる政治力を発揮して
来た。
魔王ホンダはグリーンモンスターを敵に回して
復活の狼煙を上げつつある。
狙うは、再びの世界征服だろう。
自社が何でも一番でないと許せない、許されない
企業がホンダだ。
四輪界では先ごろホンダのみ独立資本となり、
ホンダ包囲網が完成されてしまったが、ホンダ
は二輪車部門で再起を狙っている。
我らがホンダはショッカーのように永遠不滅だ。

だが、企業の思惑はどうであれ、結果として
良い製品が世に出るのは乗る側としては願った
りかなったりだ。NSR250Rが良いオートバイ
であったように。
ただ、ホンダは忌み嫌っていた2ストでかつて
天下を獲った。
いわば、ヤマハのお株を獲る形で、2ストの力
を借りて世界一になった。
ホンダは元々は4スト屋だ。
今、その4スト二輪車でカワサキに大きく水を
開けられている。
このままでは済まないだろう。
ホンダはアッ!と驚くマシンを近い将来誕生さ
せる事であろう。
今度は、かつてヤマハを真似たことにより天下
を獲った時のようなことではなく、カワサキを
真似る事なく、ホンダのオリジナリティの本道
の4ストで真っ向勝負を正々堂々とやって欲しい。
しかし、それは「戦争」として設定すると、本
筋を見誤る。
戦争は汚いものだからだ。「聖戦」などはこの世
に存在しない。
他者を潰すのを主目的とはせず、製品として
「より良い物を作る」。
モノヅクリとは、それか基軸であるし、そこを
外れての覇権意識などの外連味が介入したら、
良い物などは作り出せる筈がない。
ホンダはきっと、内実共に良質なオートバイを
作ってくれることだろう。







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