渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

モノを見る、ということ 〜吹け上がり〜

2019年10月17日 | 公開情報


「吹け上がりを見る」ということは、吹け上が
りを見ることだ。
アクセル操作の如何やアイドリングの高い低い
や音をチェックすることではない。
吹け上がりを見る、というのは、吹け上がりを
見るのである。
ピストンの動き、バルブの動きに淀みは無いか、
電圧の通電に異常は無いか、タコメーターの動
きはエンジン回転と同調しているか等を現認す
る事も介して、エンジンの吹け上がりの態様を
見るのが「吹けを見る」ということだ。
一切の私的評論などはそこに介在させてはなら
ない。

日本刀の見方と同じなのである。
好き嫌いとか、私はこのように「思う」とかは
真実を見るには邪魔者でしかない。
そこに錵(にえ)があったなら、その錵を認知する
のである。働きの物理的現出を見切るのだ。
現存するモノをプラグマティックに見るのであ
る。
でないと日本刀などは100年経っても見えて来
ない。

日本刀が見えるようになるためには、一切の
自我を排して、無垢になり、ただ刀のありの
ままの姿を客観的に見るのである。
それをしないと刀は見えない。
また、これはオートバイについても同じ事が
いえる。

2ストエンジンが吹けが良いエンジンと勘違い
している人たちも多いようだが、高性能の4スト
エンジンこそ、まるで加速装置が付いたように
エンジンが吹け上がる。
60年代レーシングマシンなどは、まるで映像
早送りをしているかのようにヒュンヒュンと
エンジンは回り、タコメーターが超速度で上下
する。
市販車においても、16バルブエンジンなどは、
ノーマルでもきちんと整備されていたら、2スト
などは比べ物にならない程に軽快にエンジンが
回り、タコメーターはピュンピュンと素早く動
く。

4ストエンジンと2ストエンジンは、同じ内燃
機関のエンジンであっても全く構造が異なるの
で、単純に比較はできない。ミカンとリンゴの
どちらにも優劣が無いのと同じである。
観念的なこととしては、2ストには2ストの楽し
みがあり、4ストには4ストの楽しみがある。
また、キャブとインジェクションでもそうだ。
物理的な実利は互いにそれぞれ持ち合わせて
いる。
ただ、確実なことがいえるのは、人が考案して
長年使用されて人類に貢献してきた生産物を
見下したりバカにしたりする事は、それは暗愚
な指向以外には体を成さないのである。

ポップ吉村は2ストエンジンを指して「ミミズの
ような出来損ないの下等生物」と称した。
エンジニアとして以前に、人間的な限界性をそこ
に見ることができる。
私はヨシムラの製品を例え4ストモデルだろうと
自分のマシンに装着することは無い。
どんなに技法だけ優れたエンジニアだったか知
らないが、思考発想の立ち位置が私とは全く異
なるからだ。

あのご老公からすると、ヤマハのエンジニア
たちなどは、必死に下等生物に取り組んでいた
出来損ないの下等な者ども、とでもなるのかし
らね。だとしたら、海原雄山みたいだ。
多分、エンジンや工業とかとは関係なく、御人柄
が骨の髄まで睥睨観に満ちているのでしょう。
でも、ヨシムラはメーカーではない。メーカーの
製品に乗っかって、それに付随するメーカーの存
在に依拠した製造物しか作らないし作れない。
つまり2ストをミミズと言うなら自分らは寄生虫
でしかないのに、斯界の天下の御意見番のように
君臨していい気になっていた。
私はね、どうもこの手の類が好きではなくてね
(笑)。
ポップは根本的なとこで心得違いしてたなあ、
と思うよ。
1980年代も今も、忖度の嵐が気持ち悪い現象が
あったけどさ。
それで勘違いしちゃって横柄に尊大になった、
てのもあるんじゃないの?
他者を見下して自己満足、というダークサイド
に心が行ってたというのは。
この記事についてブログを書く
« ハンドルブレース | トップ | 膝すり »