渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「2ストはミミズのような下等動物と同じ」(ポップ吉村)

2018年12月14日 | 公開情報


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そりゃ私も高校の時にはヨシムラの集合着けた
さ。
しかし、どうしても多くの人間が神と崇めたてる
あの偉そうなおっちゃんが好きにはなれなかっ
た。
その明確な理由が今判明した。
ポップ吉村はエンジンを差別する高圧的な目線の
人物だったのだ。
そのことは、人に対しても侮蔑感や差別意識を強
く抱くということを意味する。

エンジンはエンジンだ。
2ストロークも4ストロークもロータリーもレシプ
ロもジェットもない。
それぞれのエンジンは降って湧いたりはしない。
すべて人が努力の末に作り上げたものだ。
ポップ吉村は何かと言うと技術者技術者と言って
偉そうに踏ん反り返っていたが、それも鼻につく
一つの要因ではあった。
だが、本当に私が吉村を嫌っていたのは、別なフ
ァクターであることに今気づいた。
差別者なのだ。
己の関わる技術しか認めず、別方向のことを開発
する者を見下すことで自己の優越感を得る。
これでは、B29に敵わなかった頃の自己反省どこ
ろかレースでも勝てやしないだろう。
せいぜい、負けていながら他者を悪く罵って優越
感に浸っているのがオチだ。
その姿勢は旧日本軍から一歩も進歩していない。
私はそれを感じ取っていたのだ。このバイク雑誌
の1987年の記事の頃には。

私が愛したユーゾーや忠さんやうちの大谷さんな
どは、方式の違うエンジンを貶したりすることは
しなかった。
2ストも4ストも人間が開発したものだ。
多くの尽力がそこに詰まっている。
このバイク雑誌記事にあるポップ吉村の姿勢は、
それこそ技術者として下の下の最低の姿勢、最低
の発想だと思う。
ユーゾーさんも歯に衣着せぬ物言いだったし、う
ちの大谷さんもうすらとぼけた狸親父ぶりだった
が、決して特定エンジンを侮蔑感を以って見た
りすることはしなかった。
ユーゾーにしても、口は悪いが人のことを見下し
て悦に入って高みからのお説教みたいなことは、
絶対にしなかった。
あるレーシングライダーが死んでしまった時、あ
いつ死んじまったよう!と酒を煽って万年コタツ
で泣き崩れていたのがユーゾーさんだった。その
うちブツブツ言いながら寝てしまったので、私は
そっとして部屋を出た。
ユーゾー、忠男、大谷、三原、三井・・・各氏は
人や特定エンジンを睥睨して踏ん反り返るような
ことは絶対にしなかった。

1987年。
吉村がミミズのような下等動物と蔑んだ2ストロ
ークエンジンに勝てる4ストロークエンジンはこ
の世に存在しなかった。それは今もだ。
排気量のハンデをつけなければ4ストは2ストに
勝てない。
ポップ吉村が他システムのエンジンを侮蔑的に罵
って蔑んで悦に入るのなら、その見下したエンジ
ンに勝てるマシンを作ってからほざけ、と私は思
う。
ドンズバで言うならば、心根が卑怯である。
勝てない理由を、勝ったものを下等動物と見下す
ことで自分を納得させて処理している。
それは負け犬だ。B29に歯ぎしりした自己総括が
できていない。B29に負けながらアメリカを蔑ん
で自己満足を得ていた敗戦国根性を一つも脱皮で
きていない。
私はポップ吉村がどうしても好きにはなれない。
その根底に根強く存在する思想性が。
私には、到底、吉村を真の技術者としても認めら
れない。
日本刀作家なるものが、刀鍛冶のみが崇高で一般
の鍛冶職は下等と見下しているのと同じ臭いを感
じるからだ。
それは矜持でも何でもない。驕慢でしかない。
人の世に大切なことはゴッドハンドではなくシェ
イクハンドだ、たわけ。
これはありとあらゆる技術に対しても人に対して
も。
故人を悪くは言いたくはないが、オヤジ、推参
なり。
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