自分ほど映画を観ている者はいないと語る人間が
昔いた。
ほう、と思い私は尋ねてみた。
「右岸派の果たした役割というのはヌーベルバー
グの中でどのように位置づけられると君は考える?」
と。
その男は固まったままキョトンとしている。
こちらが言っていることがチンプンカンプンのよ
うらしい。
「どんな映画を観るの?」
と訊くと、ドカーン、バキューン、チュドーンと
いうアメリカ娯楽映画しか観ないらしい。あとゾ
ンビもの。
ああ。乳母車が階段から転げ落ちるような映画は
騎兵隊が駆けつけて悪いインディアンをやっつけ
ないからつまんないや、意味わからねーし、てな
クチの人ね。
その男はかつて北海道でバイクで200数十キロ出
したことを自慢していた。
しかし、阪奈道路では原付に抜かれるらしい。
直線番長自慢と映画通自認の精神性には共通性が
ある。
それは、フェルディナンのように最後に自分に気
づくということは訪れないだろう、ということ。
気づかないまま爆死だろう、ということ。
あるいはそのまま自然死。
精神の覚醒は訪れない。
だが、この手合いは、現代ではそちらのほうが
マジョリティなのかも知れない。