オートバイは、「初心者だから運転が下手」とか
「長年乗っているから運転が巧い」とかいうの
は一切ない。
私などは16才の最初からこのような運転だ。

ただ、ヤーノ・サーリネンがやり始めてほんの
数年後だったので、国内では殆ど見なかった。
サーキットでは徐々にこれが出始めていた。
しかし、国内の峠などではほぼ見ないし、股開き
のリーンイン(ハングオンという言葉は存在しな
かった)は遅いので良くない、などという大嘘が
まことしやかに分別顔で巷間囁かれていた。
いわゆる「良識派」を自認する箸にも棒にも
引っかからないような連中によって。
現実的には物理的に速い。そうせざるを得ない
速度だからそうしているのだし、その速度でなく
とも物理的なカラクリから車体をできるだけ立た
せて駆動をかけようとするとこの車体と身体の
角度関係になる。
物事が解ってない連中はさかんに今でいうハング
オフを否定していた。
今でもそういうのがいるが、根本から考えが浅
過ぎる。
自分はそこまでの状況を採らないからやらない、
という見識ではなく、ハングオフの存在や選択
そのものを否定してそれが正しいことであるか
と盲信して人に上から目線で物を言う。
愚かな不見識を曝して楽しいのかなあとは思う
が、その手あいは裸の王様なので自己検証など
はできない。そういう類の奴らには耳を貸さな
いに限る。
うちの高校にはもう一人だけこういう乗り方を
する男がいた。
いつの間にか親友になったが、向こうも私の事
をある意味で認めていたのだろう。
めちゃくちゃ気の強い奴だったが、こちらも人
のことは言えない。
ただ、二人で走るのは面白かった。
奴は全日本選手権でポイントを取るのが上手く、
すぐに国際A級になった。高校では同じ特進S
クラスだったが、奴は大学に行くのをやめて
レースに専念して正解だった。
ある事実がある。
経験により、走りに磨きをかけることはあって
も、最初の頃と私はさして変わってはいない。
80年代頭の学生時代、高校時代のクラスメート
の国際Aの奴に手伝ってよと言われて数年ぶりに
筑波に行った。
F3レーサーを2台積んでいたので乗らせてくれ
るのかと思った(笑)。いや、私の筑波ライセン
スもMFJライセンスも失効していたので、それは
無かった(笑)。
その時、友人の走りを見たが、高校1年の頃と
変わらなかった。二人で走っていた頃と。
私自身も変わってはいなかったことにそのすぐ
後に気づくことになる。
現実の真実を言うと、磨きをかけて走りの中身
に輝きが増すことを上達と呼ぶならばそれは
そうなのだが、それは精度を増したり、対処の
抽斗が増えるだけで、最初から技法としては今
と乗り出し初期ではほぼ変わらない。
これは現実だ。
バリバリ伝説のグンとミィにしても、ヒデヨシに
しても、免許を取って1年以内の高2であれだ。
あんな走りを「免許初心者」がやっている。
あれは、絵空事ではなく、現実に存在するので
ある。だってクラスメートの奴と私がそうだっ
たのだから。
このことは実は武術にもスポーツにもいえてい
る。
できる人間は最初から突き抜けてできているの
だ。
たとえば、武道などでは、段位というものがある
が、初段と七段でやることは同じだ。中身の内容
の内実が異なるだけで、やっていることは別な
業をやっているのではない。
従って、初段であっても古流などは奥伝まで知っ
ているのはあったり前のことだ。できるできない
は別として。
しかし、レベルが低い捉え方をしていると、低段
者は物を知らなくて良い、というような誤った
認識に陥りがちだ。
学校の勉強ではないのだ。
小学生でも因数分解は知っていてもよいし、逆
に高校生に九九を教えるのが正しいとか思いこむ
愚を犯すのは、暗愚を超えて話にならないのだ。
スポーツや武道という身体を使う事案には、全て
「同列の定理」が働く。
小学生のサッカーもプロのサッカーも、やって
いることはサッカーであり、別なものをやって
はいない。
そして、そのプレーヤーの中でも、出来る奴は
最初から突き抜けて出来る。歳は関係ない。
野球にしても、長年やったら誰もがイチローや
ダルビッシュのようになれる訳ではない。
よく、バイクでヘボい運転をしたら、それを
「初心者だから仕方ない」とか言う奴がいる。
大間違いだ。
初心者だからと危険は勘弁してくれるとでも
言うのだろうか。
全て「同列、平等の定理」が働いている。
できるできないの範囲を知ることがとても大切
なのだ。
初心者だからと、外したことに対してきちんと
向かい合わないのは、それはその人間が駄目に
なる、駄目にすることであるのだ。
誰もがイチローにはなれない。
でも、野球をやるのなら、野球をやりましょう
よ、という話なのだ。キャッチボールはとても
大切だが、キャッチボールは野球ではない。
ゴルフでもスイングは重要だが、スイングだけ
やっていてもそれではゴルフにならない。
それなのにキャッチボールやスイングのみを
いつまでも誰に対しても指導したりしているの
は、それは大きな履き違えをしている。
ここは「同列、平等の定理」の誤認解釈が作用
しやすいので非常に厳格化が自己内部に要求さ
れる。
まあ、オートバイに関しては乗れる奴は最初
から乗れているし、乗れない奴は百年経っても
乗れない。そもそも認識の齟齬をそれは凌駕
するという厳しい現実がある。
ただし、空間移動者については私は知らない。
乗れようが乗れまいが自己認識からして実り
ある走りとは関係のない人たちだからだ。
彼らはその技能の内実と同様に認識という知的
思惟においても一切の進化を見せない。
猿が時間が経てば人間になるということはあり
得ないのである。
移動者に能力は必要ない。運転免許さえあれば
移動は完結できる。
しかし、移動者にも高技能者にも危険は「同列、
平等」に降りかかる。
「長年乗っているから運転が巧い」とかいうの
は一切ない。
私などは16才の最初からこのような運転だ。
ただ、ヤーノ・サーリネンがやり始めてほんの
数年後だったので、国内では殆ど見なかった。
サーキットでは徐々にこれが出始めていた。
しかし、国内の峠などではほぼ見ないし、股開き
のリーンイン(ハングオンという言葉は存在しな
かった)は遅いので良くない、などという大嘘が
まことしやかに分別顔で巷間囁かれていた。
いわゆる「良識派」を自認する箸にも棒にも
引っかからないような連中によって。
現実的には物理的に速い。そうせざるを得ない
速度だからそうしているのだし、その速度でなく
とも物理的なカラクリから車体をできるだけ立た
せて駆動をかけようとするとこの車体と身体の
角度関係になる。
物事が解ってない連中はさかんに今でいうハング
オフを否定していた。
今でもそういうのがいるが、根本から考えが浅
過ぎる。
自分はそこまでの状況を採らないからやらない、
という見識ではなく、ハングオフの存在や選択
そのものを否定してそれが正しいことであるか
と盲信して人に上から目線で物を言う。
愚かな不見識を曝して楽しいのかなあとは思う
が、その手あいは裸の王様なので自己検証など
はできない。そういう類の奴らには耳を貸さな
いに限る。
うちの高校にはもう一人だけこういう乗り方を
する男がいた。
いつの間にか親友になったが、向こうも私の事
をある意味で認めていたのだろう。
めちゃくちゃ気の強い奴だったが、こちらも人
のことは言えない。
ただ、二人で走るのは面白かった。
奴は全日本選手権でポイントを取るのが上手く、
すぐに国際A級になった。高校では同じ特進S
クラスだったが、奴は大学に行くのをやめて
レースに専念して正解だった。
ある事実がある。
経験により、走りに磨きをかけることはあって
も、最初の頃と私はさして変わってはいない。
80年代頭の学生時代、高校時代のクラスメート
の国際Aの奴に手伝ってよと言われて数年ぶりに
筑波に行った。
F3レーサーを2台積んでいたので乗らせてくれ
るのかと思った(笑)。いや、私の筑波ライセン
スもMFJライセンスも失効していたので、それは
無かった(笑)。
その時、友人の走りを見たが、高校1年の頃と
変わらなかった。二人で走っていた頃と。
私自身も変わってはいなかったことにそのすぐ
後に気づくことになる。
現実の真実を言うと、磨きをかけて走りの中身
に輝きが増すことを上達と呼ぶならばそれは
そうなのだが、それは精度を増したり、対処の
抽斗が増えるだけで、最初から技法としては今
と乗り出し初期ではほぼ変わらない。
これは現実だ。
バリバリ伝説のグンとミィにしても、ヒデヨシに
しても、免許を取って1年以内の高2であれだ。
あんな走りを「免許初心者」がやっている。
あれは、絵空事ではなく、現実に存在するので
ある。だってクラスメートの奴と私がそうだっ
たのだから。
このことは実は武術にもスポーツにもいえてい
る。
できる人間は最初から突き抜けてできているの
だ。
たとえば、武道などでは、段位というものがある
が、初段と七段でやることは同じだ。中身の内容
の内実が異なるだけで、やっていることは別な
業をやっているのではない。
従って、初段であっても古流などは奥伝まで知っ
ているのはあったり前のことだ。できるできない
は別として。
しかし、レベルが低い捉え方をしていると、低段
者は物を知らなくて良い、というような誤った
認識に陥りがちだ。
学校の勉強ではないのだ。
小学生でも因数分解は知っていてもよいし、逆
に高校生に九九を教えるのが正しいとか思いこむ
愚を犯すのは、暗愚を超えて話にならないのだ。
スポーツや武道という身体を使う事案には、全て
「同列の定理」が働く。
小学生のサッカーもプロのサッカーも、やって
いることはサッカーであり、別なものをやって
はいない。
そして、そのプレーヤーの中でも、出来る奴は
最初から突き抜けて出来る。歳は関係ない。
野球にしても、長年やったら誰もがイチローや
ダルビッシュのようになれる訳ではない。
よく、バイクでヘボい運転をしたら、それを
「初心者だから仕方ない」とか言う奴がいる。
大間違いだ。
初心者だからと危険は勘弁してくれるとでも
言うのだろうか。
全て「同列、平等の定理」が働いている。
できるできないの範囲を知ることがとても大切
なのだ。
初心者だからと、外したことに対してきちんと
向かい合わないのは、それはその人間が駄目に
なる、駄目にすることであるのだ。
誰もがイチローにはなれない。
でも、野球をやるのなら、野球をやりましょう
よ、という話なのだ。キャッチボールはとても
大切だが、キャッチボールは野球ではない。
ゴルフでもスイングは重要だが、スイングだけ
やっていてもそれではゴルフにならない。
それなのにキャッチボールやスイングのみを
いつまでも誰に対しても指導したりしているの
は、それは大きな履き違えをしている。
ここは「同列、平等の定理」の誤認解釈が作用
しやすいので非常に厳格化が自己内部に要求さ
れる。
まあ、オートバイに関しては乗れる奴は最初
から乗れているし、乗れない奴は百年経っても
乗れない。そもそも認識の齟齬をそれは凌駕
するという厳しい現実がある。
ただし、空間移動者については私は知らない。
乗れようが乗れまいが自己認識からして実り
ある走りとは関係のない人たちだからだ。
彼らはその技能の内実と同様に認識という知的
思惟においても一切の進化を見せない。
猿が時間が経てば人間になるということはあり
得ないのである。
移動者に能力は必要ない。運転免許さえあれば
移動は完結できる。
しかし、移動者にも高技能者にも危険は「同列、
平等」に降りかかる。