超大昔の元レーシングライダー同士二人で走る。
軽く流すだけでも、コーナーを走ってみると、
「あ、乗り屋だな」と互いにすぐに判る。
これは判ってしまうものなのだ。
峠族ともちょっと違う独特な雰囲気があるのだ
が、判る者は判ってしまう。
相方の友人は自分の2019年型の新車のZ900を
岡山国際サーキット(コースレコードはアイルト
ン・セナ)に持ち込んでテストしてみたいと言っ
ていた。
あ、しばらく前に広島市内のクシタニに行ってみ
たというのはそれだな、さては。
ただし、リミッターをカットしないと、コースで
は走れないような気がする。
ちなみに、2ストクォーターには速度リミッター
は無い。
私の249ccのKR-1はノーマル45PS仕様では、
「ゼロヨン12.16秒/最高速202.5km/h」
のデータとなっている。
私のは軽量化してパワーも上げているので、
もう少し出る。
サービスマニュアルでは、チューンドで68PSと
なっている。
110kg台の車体で68馬力のマシンがどんな
ものであるのか。
それは、リッター換算270馬力だけでは語れな
い。競技車両のレーサーなみに車体が軽いのでパ
ワーウエイトレシオが半端ないからだ。
例えるならば原付バイクに1300ccのパワーがあ
るようなものだ。
レーサーレプリカはSS=スーパースポーツではなく、
まさしく競技車両=レーサーに保安部品を付けた
ような車であったのだ。
しかし、カワサキ自身は最後まで「レーサーレプ
リカ」という単語は使用しなかった。カワサキは
独自路線で「SS」としていた。スポーツカーが
レーシングカーのレプリカではなく、公道用の
オリジナルコンセプトを持つカテゴリーである
ように、カワサキもレーサーレプリカではなく、
公道用のスーパースポーツバイクという位置付け
だったのだろう。
しかし、KR-1はそれまでのKRとは異なり、明ら
かに当時の公道市販車改造レースであるT Tフォ
ーミュラ3=F3の競技車両のベース車として設定
していたことは明らかだ。
新型無敵V型エンジン搭載のマシン開発は青写真
まで完成したところで、根こそぎ他社に持って
行かれて途方にくれたカワサキがV型を登場させ
るまでの中継ぎで急遽投入したのが、ノウハウの
蓄積があったパラレルツインだった。
同時に刺客としてのワークスレーサーを密かに
開発し、それは90年にX-09としてテストが開始
されたが、92年のカワサキ重工による小排気量
グランプリクラスのレースからの撤退により新型
ワークス250ccクラスのレーサーは露と消えた。
そのカワサキの奮起の端緒となって登場したのが
パラツインのKR-1だった。
実はKR-1はパラツインながらも、ホンダNSRよ
り優っている部分もかなり多かったが、サポート
の体制の脆弱さからマネーパワーとマンパワーと
マシンパワーのホンダの牙城を崩すまでには至ら
なかった。
裏事情としては、マシン開発だけではない、かな
りどす黒いせめぎ合いがメーカー間にあったのが
1980年代のバイクシーンだったのである。
クリーンなやりとりだったら、1980年代中期以
降は、かつて250、350で世界の天下無双だった
カワサキが王者になっていたことは確実だ。
だが、カワサキは、汚い裏政治に手を染めな過ぎ
だったが故にか、軒を貸して母屋を乗っ取られる
ような憂き目を見てしまった。
そこで、真の意味でのリベンジのために、2スト
GP250ccとF3クラスで、再度覇者を目指した。
F3においてはZXRの投入により、ホンダのNSR
王国を完全に撃破した。
だが、GP250クラスでは、マシンの開発熟成が
進む中、突如本社からのレース撤退方針により、
開発が中止になってしまった。
ZXRを開発した漢(おとこ)は社籍を剥奪された。
川崎重工は、対外政治よりも社内政治には大企業
ぶりを遺憾なく発揮するようだ。
それはヤマハがあたかもトヨタ体質そのもので
あるかのように社内の人は大切にしないが如く。
ホンダは社内人材は大切にするが、対外的には
二輪にも四輪にも絶大な力を持ち、それを行使
する。F3制度を作ったのもホンダだし、2スト
レースを消滅させたのもホンダだ。
後年、世界グランプリの後継であるMoto2クラス
でホンダのエンジンワンメークという信じがたい
制度は、ホンダが思い描いた通りの絵の実現だっ
たことだろう。
ホンダは宗一郎さんが「世界中のオートバイを全
てホンダにしろ」とショッカーのようなことを
本気で言っていた、そのような企業だからだ。
オートバイそのものは楽しく素晴らしい物だが、
それは企業の製品である限り、どす黒い企業営利
活動の象徴であるという負の側面は払拭できな
い。企業は利益は愛するが人は愛さない。
ホンダとヤマハとアプリリアを撃墜するために
開発されていた幻のカワサキX-09。
私自身はKR-1で今コースを走る気はない。
なぜなら、絶対にレースをやりたくなるという事
が見えているからだ。
レースはレジャーではないので、ピクニック気分
で足を踏み入れてはいけない世界だ。
だが、高性能車は公道では最高速のテストや実走
行はできない。
となると、それらの検証はクローズドコースしか
なくなる。
友人は、自分のマシンの動力特性とポテンシャル
を確かめたいのだろう。
私とて118kg67PS250ccの能力を確かめたい気
持ちはあるが、いかんせんパーツがゼロ。
これは大切にすらすらスイスイ乗りをして行くし
かない。ガチンコ攻めは控えないと、マシンが
「ほな、さいなら」状態になりかねないのだ。
しかしなあ。30年前の車のほうが現代車よりずっ
と速いというのは、どういうことよ(笑)。
オートバイのライトウェイトクラスは、確実に絶
版車のほうが現代車より動力特性が高かった。
乗りこなせない人も結構多かった。
だが、ホワイトベースの二宮氏が言うように、
「人が乗りこなせる排気量は125ccまで。250
でさえ乗りこなしてる奴はいない」というのは、
かなり的を外している。
それはレベルが低すぎる次元を見てのことで、2
ストクォーターでも2スト500ccモンスターの
レーシングマシンでも、乗りこなしている人間は
この世に存在する。
「圧倒的大多数」を以ってそれらの低いレベル
を基準として断定するのはよくない。
私にはそれは「100メートルを10秒代で走れる奴
などいない。誰も走れない」と言っているのと同
じに聞こえるのだ。現実にはいるのだから。
現実とは異なることを言い出して断定するのは、
それは真実を語ることにはならない。
オートバイ乗りにとっては、この認識はかなり大
切な部類になる。
理由は、脳内妄想に基づく判断でそれを真実・現
実と思い込んで車両を走行させるのは、かなり危
険だからだ。
これはオートバイだけでなく、乗用車もだが。
確実に言えてることは、ヤキトリ乗りをしている
限り、オートバイのライディングについて語る
には限界値がかなり低い、ということだ。
これは、現実的には技法の限界値がかなり低い位
置にあるので、認識能力もそれに比例するという
ことになるからだ。
これは確実なことだ。
なので、いくら語っても、話の内実がグリップせ
ずにスリッピーすぎてしまうのだ。
ドリフトで乗り切れればよいのだが、大抵は乗り
方も視点も読解力もヤキトリなので、スリップダ
ウンで飛ぶ。
自分から転んでどうするの。
転ばずに走ろうぜ。オートバイは。
正鵠を射るためには、正確な判断から。
これ、間違ったことは言ってないと思う。
判断力においても、トラクションの感知が不在と
なってしまっては、マシンを確実に走らせること
は叶わない。