渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ライディングポジション

2019年03月15日 | 公開情報


焼き鳥ヤッキーではないホワイトベースの二宮
さん。背骨は綺麗に自然な弓なりになっている。
風圧とGを逃すような空力フォーム。

オートバイはこの二宮さんのフォームのように
オートバイなりのフォームで乗るのが当たり前
だが、前傾の強いセパハンのレーシーなマシン
でも、背中を真っ直ぐにして無理矢理上体を起
こして腕を突っ張ってハンドルに体重をかける
ひどいのが世の中には多い。


レーサーレプリカなどで軽く伏せるとこう。これ
でもまだ起きている。本物のレーサーマシンは
もっと前傾だ。ステップがノーマルなので下過ぎ
て窮屈だ。(メットのカラーリングから下を向い
ているように見えますが前を見ています)


レーサーでのポジション合わせの一コマ。1980
年代、富士スピードウェイにて。
レース用の極度な後ろ+上に位置するステップの
ためポジションは窮屈ではない。競技前傾+バンク
用のステップ&ハンドル&シートのライポジだ。


現代は上体硬直素人載りが多いといっても、国内
では1980年代の誰もがオートバイに乗った時代
にはそんな妙で危険な乗り方をする人を探すほう
が難しかった。
しかし、今の時代、そんな妙ちくりんな「載せ
られ方」をしている人たちばかりだ。
ライトウエイトだけでなく、特にビッグバイクに
多い。
いつ事故るかわからないようなおっかなびっくり
の顎出し上体硬直載り。
乗りでなく載り。
人間が操縦者ではなく積載物になっている。

ただ、二宮さんもこういうレーシーなポジション
を「きつい」と言っている。
それのみは些か認識不足だ。
「きつい」は主観でしかないからだ。
それに、これはドゥカティ250を模したパロ外装
だが、ドカにしろトラにしろノートンにしろ、
日本のレーサーレプリカにしろ、「拷問具」を
作っているのではない。
「きつい」という主観的言辞で物体を語るのは
レビューにならない。
これは、前傾ポジションが「強い」オートバイ
として表現されるべきだ。物理的なディメンシ
ョンの度数として。
事実、私などは、この手のライディングポジシ
ョンのオートバイを「きつい」と感じたことは
ない。

さらに、このマシンの前オーナーは、東京-宮城
間を何度も往復した、「すげえ奴!」とのこと
だが、乗れる人からすると何てことはない。
というより、根本に認識不足がある。
これまた私はレーシングポジションのオートバ
イで800kmを1日で走行するのも何ともない。
それは、それなりの正しい身体の使い方をする
からだ。
最近、身体メンテで整骨鍼灸院に通っている
が、院長によると58才という年齢からすると、
異様に肩甲骨が柔軟に私は動くという。まるで
10代後半のようなしなやかさとのことだ。
これ、実はモーターサイクルに乗るからなのだ。
正しくモーターサイクルに乗るからそういう身体
になる。
普段の姿勢は良い。それは江戸期の古流剣法を
やっているから。食事でも背筋首筋はピンと
伸ばしている。胸も張る。
しかし、オートバイのライディングでは肩を脱力
させて前に自然に落とし上体には一切余分な力
を入れず、柔軟に状況に即応させるようにして
いる。
それらは、すべて下半身で体勢を整えている。
あと、背筋が異様に発達し、老化していないと
のことだが、これもモーターサイクルを乗る為
の身体に肉体改造しきったからだ。1980年代
前半に。
疾病等で筋力が落ちても、快復後は再びその
オートバイライディング用の身体となってくる。
これは、乗り続けるとそうなる。人体は。
ただし、きちんと身体を使わずに、ただの「空
間移動手段」としてオートバイに載っているだけ
では身体に変化は起きない。
意識に変化がないのだから、身体に変化が起きる
要素がない。
オートバイに乗るには、オートバイに乗るため
の脳の働きとそれを実現させる身体の発達が
必要となってくる。
すべては「意識」から始まる。
モーターサイクルに自分がどう取り組むか、だ。

さて、現在、世の中勘違いが多いが、オートバイ
は、乗車姿勢が直立型よりも前に寝ている姿勢の
ほうが長時間は「楽」なのである。これは主観的
感想として。
そして、身体機能上からしても身体への負担は
少ない。
考えてもみてほしい。
結婚式の食事会の時のように背中をピンと伸ば
した姿勢で長時間椅子に座っているのと、トイレ
で座るような姿勢とどちらが楽なのか。
オートバイの乗車姿勢で、背骨を直立に伸ばして
下からの突き上げを直に脊髄で受け続ける体勢が
「楽」だとか思っていることは、根本的に身体に
関する認識が間違っている。
連続圧迫により坐骨神経痛になるぞ(笑)。
そんなんだったら、人間は起きたまま睡眠する
ような器具を考案するわいな(笑)。
前のめりか後ろ仰向け寝転がり。これが直立より
も身体負担が少ないことは明らかだ。

ただし、オートバイの場合は、後ろよっかかり
だとなかなか機敏な操作は出来ない。
アメリカ大陸をズドーンと行くようなバイクで
はあえてそのような体制で長時間乗れるライポジ
の車に仕上げるのがセオリーだ。
だが、大陸弾道直線ではないツイスティなロード
が続くヨーロッパでは、前傾姿勢で空力特性を
出すことで疲労を軽減させ、かつコーナリング
も軽快にクリアできる乗車姿勢のオートバイと
なってくる。なのでクリップオンにバックステ
ップとなるのだ。アメリカンと真逆の。
四輪車でも、背もたれシートに背中を密着させ
ずに、まるで学校で椅子に座って先生の訓示を
聴くように背筋を伸ばして上体直立していたら
車運転できますか?
でも、なぜかオートバイではそうした姿勢が
「正しい」だなどと大嘘の危険呼び込み姿勢を
推奨している団体や教習所や雑誌などが跋扈
している。
人を危険に晒すことを広報するので悪質だ。

日本製オートバイのライポジは、1970年代は
ヨーロピアンともアメリカンともいえない、
その両者の中間のどちらつかずのライディング
ポジションのオートバイだったが、それ以前の
1960年代の日本製オートバイは全てヨーロピア
ンタイプだった。
さらに以前はアメリカ合衆国のハーレーコピー
もあったが、戦後はヨーロピアンタイプのオー
トバイが日本で主流だった。
流れが変わったのは、ハンドル等の認可規制を
強化した1970年代で、そのため、中途半端な
変なライディングポジション=昔の白バイポジ
ションがあたかも「不動のセオリー」かのよう
にお上によって定められたのだ。世界情勢を無視
して。
それの雪解けは1980年代のスズキRG250ガンマ
の認可からだ。
フルカウルの認可、トップブシッジより上とは
いえ低めのセパレートハンドルの認可とアルミ
フレーム=レーシングフレームの認可。
これがどんな衝撃的なことであったか。
認可した窓口担当官は左遷されたとの話も聞く
が、このヨーロッパと同じような自動二輪車の
国家機関としての認可は、まさに歴史的な大事
件だった。
そこから一気に日本製オートバイの本場ヨーロ
ッパ的な作り込みが可能になった。
カウル付きではないオートバイもハンドルが
低くセットされ、「走り」を重視する本来の
モーターサイクルの動きが生まれた。
それまでは規制、規制、規制で、まともに自動
車=二輪車さえ作れない世の中だった。二輪車
だけが著しい差別を政府により受けていたので
ある。これ事実。「オートバイ=悪」の図式が
日本にはあったからだ。

その後、80年代後半から、さらに日本人の価値
観の多様化に沿うように、国産オートバイも
様々なタイプが作られ始めた。
日本のオートバイが、健全な意味で開花するの
は1980年代なのだ。
今のようにどこのメーカーかパッと見判らない
ような金太郎飴ではない。
その流れは2000年頃まで続いた。
バブル景気とは関係なく、オートバイの多様化
はキープされてきていた。
本格的に閉塞に向かったのはリーマンショック
以降だ。
また、その頃から海外の排ガス規制を日本でも
二輪車に適用し始めたことにより、かつての
名車たちはすべて消滅した。
段階的小出し規制が繰り返されて名車たちが
その都度消滅して行ったが、最終打撃は2018年
規制だ。
しかし、次はさらに2020年規制が待っている。
これにより、原付50ccバイクは消滅させられる
ことだろう。

オートバイのライディングポジションは、その
設計に深い意味がある。
オートバイのライポジについて「きつい」だの
「辛い」だのとかの感想は、根っこから乗り方
を間違えているからだ。
下半身で乗らず、ドテッとだらしなく足をステ
ップに載せているだけだと上体に力が入り、
ハンドル鷲掴みの腕張り肘張り顎出し背骨直線
硬直の姿勢となる。
それは二輪車を操縦操作運転する姿勢ではない。
やめましょう。
危険な焼き鳥の姿焼きのフォームは。
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