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【書評】

一粒の麦死して 弁護士・森長英三郎の「大逆事件」 田中伸尚(のぶまさ)著

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◆権力に挑んだ波乱の生涯

[評]橘かがり(作家)

 明治天皇暗殺を企てたとの理由で無関係の人たちをも検挙、死刑に処した大逆事件。真の狙いは、でっちあげた陰謀を口実に、無政府主義者、社会主義者を根絶することだった。事件から半世紀後に存命者の復権と再審請求に挑み、膨大な記録を遺(のこ)した弁護士・森長英三郎(一九〇六~八三年)。その波乱に満ちた生涯を著者は丁寧に辿(たど)る。

 事件に連座して生存していた坂本清馬(せいま)と岡林寅松(とらまつ)の復権に協力要請されたのは四六年。被害者が生存しているのを森長はこの時初めて知る。二人の復権が実現後、再審も視野に入れるようになる。事件当時の弁護人は十一人、森長はこれに続く十二人目の弁護人との矜持(きょうじ)を示した。だが、弁護団の手弁当の活動もむなしく、六五年再審請求は高裁で棄却される。担当裁判官五人は皆、大日本帝国下の司法官試補を経た判事で、戦争責任を追及されることはなかった。(最高裁でも棄却)

 この間、森長は遺族や関係者に積極的に会い、墓参の旅を続けた。東京・新宿の富久(とみひさ)町児童遊園の片隅に、東京監獄・市ケ谷刑務所刑場跡があると知ればすぐに出向く。森長は全刑死者の慰霊塔を建てようと日弁連に提言。「ホトケになってからでもこうして慰めてやるのが弁護士の仕事の最終の仕上げだと思う」。弁護士という職業をここまで全うした森長に敬服するしかない。

 徳島の寒村に生まれ、無類の本好き、小学校を首席で卒業し、自由闊達(かったつ)な県立農学校に学んだ森長。作家を夢見て東京の明治学院に学ぶも除籍になり、山谷や浅草で放浪生活を送り、憔悴(しょうすい)して帰郷する。再上京後に心機一転、猛勉強して弁護士資格を得るが、動機は明らかでない。農学校で得た知性に、東京での理不尽な体験が澱(おり)のように堆積して、後に弁護士としての使命感に繋(つな)がったのではないか。

 刑場跡の児童遊園に私も立った。死刑判決が下りて間もなく、ここで十二人が処刑された。いつの世にも権力に都合の悪い存在が標的になる。歴史は過ちを繰り返す。本書は静かな怒りをこめて語りかけてくる。

(岩波書店・2970円)

ノンフィクション作家。『ドキュメント憲法を獲得する人びと』で平和・協同ジャーナリスト基金賞。

◆もう1冊

田中伸尚著『大逆事件-死と生の群像』(岩波現代文庫)

 

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