いつも行く峠で撮影した一葉。
ほら、このような小石の落石があちこち
にあるのよ。
バンク中にこれを踏むとタイヤが横に
飛ぶ。
これはですね、首都高で路面の継ぎ目の
鉄帯部分を踏んでタイヤが高速走行時に
横に飛び流れるのよりも恐ろしい。
パン!と足払いを食ったような現象が
起きるからだ。
フルバンク中にこれらの小石を踏んだら、
まず狙ったラインはトレースできずに
数センチ横飛びする。
数センチ横飛びすると、旋回途中だと
限界近くの速度とバンク角で攻め込んで
いたら、旋回行動を貫徹できずにアウト
に膨らむことになる。
結果ドカン!ガシャン!ドテ、ポキ、
グシャ、となる。
この「ドテ、ポキ、グシャ」は松本零士
先生の造語だが、東本昌平センセはそれを
踏襲して少し変えて「ドテ、ボキ、グ
シャ」を多用していた。
あれが松本零士氏へのインスパイアかつ
パロ表現だと、どれだけ『キリン』を
読んでいる読者が気づいているのだろう。
さて、私がよく行く件の峠では、この画像
に見られるようなほんとの小さな小石だけ
でなく、小さいおにぎり位の大きさの石が
よく転がっている。
あと恐怖の落ち葉。
これもバナナの皮踏みと同じことになり
やすい。
昨日も、その峠で見えなかった小石を
踏んで前輪が跳ねてかなり焦ったが、
大きな石は旋回途中で発見したので、
ラインを変えてよけた。
これは限界走行をしていなかったから
できたことだろう。
大体、私は今は峠は限界が10だとすると
6以下の走りに抑えるようにして走って
いる。
80年代、サーキットで飛ぶのはある事
とはいえ(あってはならないが)、公道
でも限界近くで走っていたので、安全
マージンが極端に少なく、対処しきれず
によく転んだ。
何度も死にそうになった。
よく死ななかったと今思う。
対向車が来ていたら即死だったね、という
状況もかなりあった。
すべて左コーナーで飛んでいた。
ある時などは、左コーナーで50で250を
ぶち抜いてフルバンク中に前輪がチャタ
リングを起こして対向車線に吹っ飛んだ
ことがあった。
ガードレールに引っかかって谷底には
かろうじて転落しなかった。
下り6速で吹け切っていたから確実に
90km/h以上出ていたことになる。
対向車が来ていたらまず死んでいた。
バリ伝のヒデヨシのように。
そのコーナーでの本来のライン。
しかし、こうなった。
スリップアウトの後、ドガシャン!と
ガードレールに挟まって崖下にはどうに
か落ちなかった。
谷底はかなり深い。
対向車が来ていたら死んでいただろうし、
谷底に転落しても、まず死んでいただろ
う。
ここで私は一度に二度、死をどうにか
免れたことになる。
これ以降も何度も関東の峠や街中で飛ん
でいたのだから、もう救いようがない
バカだった。
だが、ある時からビタリと転ばなくなっ
た。
それはマージンを多く取ることだけでは
なく、乗り方を変えたのだ。
乗り方を変えたよりも、もっと変えた事
がある。
それは、根本からライドについての考え方
を変換したのだ。
危険についての私の本当の認知はその時点
から開始された。
それまで死ななかったのは、たまたま運
が良かっただけだ。
たまたま天が気まぐれで味方してくれた
だけのことなのである。
それに気づいてからは、気まぐれな運任せ
ではなく、自分自身で全制御下に全てを
置けるような走りの組み立てとマシン選び
と走行の実行を形成するように姿勢を変換
させたのだ。努力として。
きっかけは、あるバイクの交通事故死に
直面した事だった。
三原市内が見える峠。
公道の峠は生活道路だったり観光道路だ
ったりする。
限られた者だけが走れるクローズドコース
ではない。
しずしずと走るのが賢明だ。
