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韓国の「愛知村」を追って (2)引き揚げ者の再訪(蒲郡通信局・木下大資)

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 「地元を挙げて歓迎してくれた。反日感情なんて全然なかった」。一九七〇~八〇年代に計三回、韓国南部の麗水(ヨス)を訪問した愛知県蒲郡市の本多常雄さん(71)の記憶だ。

 麗水からの引き揚げ者とその家族でつくる「麗水会(れいすいかい)」で七六年に戦後初めて現地を訪れた時のこと。麗水で生まれた父親の利雄さん(故人)が約三十年ぶりに再会した韓国人と「俺だ。トシだ」と涙ながらに抱き合ったのを、同行した常雄さんは覚えている。

 船大工だった祖父は戦前に蒲郡の漁師らとともに麗水の「愛知村」へ移住し、終戦を迎える頃には朝鮮人を含む四十人の従業員を雇っていた。常雄さんらが訪韓した際は、昔の従業員たちがまだ健在だった。

 元従業員の中には、韓国の独立後に祖父をまねて造船業で成功した人もいた。麗水会の訪問団は現地の学校や市役所に寄付金を配って回り、地元紙も「麗水生まれの日本人が来た」と好意的に報道したという。

◆漁村繁栄を懐かしむ

 常雄さんの証言からは、麗水では日本人から朝鮮人へ漁業や造船の技術移転が行われ、両者が心を通わせる関係があったことがうかがえる。

 麗水以外にも、日本人の移住漁村は朝鮮半島の沿岸各地にあった。一昨年に出版された書籍「近代日本漁民の朝鮮出漁」によると、日本人が引き揚げた後に過疎化が進んだ漁村では、日本統治期の繁栄ぶりを懐かしむ韓国人も少なくなかったらしい。早稲田大などで非常勤講師を務める著者の神谷丹路(にじ)さん(61)は、約三十年前に韓国の漁村を回って聞き取り調査をした。その経験に興味を抱き、本人を訪ねた。

1970年代に麗水会が訪韓した際は、戦前に愛知県の漁業者らが住んだ「愛知村」の建物が改築され残っていた。今は再開発で姿を消した=韓国・麗水市で(本多常雄さん提供)

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 「植民地というと『虐げられた暗い日々』というイメージを抱くけど、漁業がすごく良かった時代。農村は日本人の収奪がひどくて暗い話ばかりなのに、漁村には景気のいい話が多かった」。彼女は興味のきっかけをそう振り返る。

 神谷さんは八〇年代に韓国へ留学し、日本の植民地支配をテーマにしたテレビドキュメンタリーの事前調査員として、植民地期を経験した世代を訪ね歩いた。目を輝かせて「当時は良かった」と語る多くのお年寄りに出会った。中には険しい表情で証言を拒む人もいたという。その後、朝鮮半島へ漁業移民を送り出した瀬戸内海沿岸の漁村など、日本側の関係者からも聞き取りを重ねている。

 そんな体験を持つ神谷さんに、私が抱いていた疑問をぶつけた。

 -引き揚げ者が戦後に現地へ行ったら歓迎されたという話がある。日韓が「侵略した側・された側」という視点と、どう切り分けたらいいでしょう。

 「私が感じたのは、世代による経験の違い。終戦を子どもで迎えた人は、自分が生まれた所なのですごく懐かしくて戦後に行ったりしているけど、大人として迎えた人は『二度と朝鮮には行かない』と言う人もいた」

 神谷さんが話を聞いた日本人の中には、順調だった朝鮮での生活が八月十五日を境に暗転し、使用人だった朝鮮人から石を投げられるといった体験をした人も少なくない。「懐かしいだけでは済まされない、実は日本人がどれだけ恨まれていたかの一端を知って引き揚げてきた人たちがいる」のだという。

 戦後七十五年を数える今、戦前の証言を直接聞けるのは、終戦時に子どもだった世代にほぼ限られる。「今生きている人が語る話がすべてではないだろうな、と私は想像しますけど」と神谷さん。

 そういえば冒頭の本多常雄さんは、七一年に他界した祖父について「朝鮮でずいぶんもうけた人だけど、朝鮮の話は一切しなかった。よほど苦労があったのか…」と語っていた。

◆世代で異なる対日観

 一方、韓国人の対日観も世代によって異なるようだ。神谷さんが留学した八〇年代には、植民地期を生きた大人がまだ大勢いた。「当時の韓国の大人たちは、等身大の日本人を知っていた。『朝鮮人を犬ころのように扱うやつもいれば、あそこの誰それさんは、それは良い人だったよ』とか。若い人の日本観のほうが厳しかった」

 韓国社会は自国の近代史を「日本帝国主義への抵抗」として記憶しており、植民地期を体験していない世代はそうした教育の影響を強く受ける。日本が米軍による空襲や広島、長崎に投下された原爆の記憶を学校教育などで受け継いでいるように、「被害の記憶」は継承されやすい。

 日本による朝鮮半島の統治は、果たしてどんなものだったのか。神谷さんは強調する。「とにかく実相を知るということが大切。それを通して、お互いにその時代を確認し合うことができるから」。私はまだ多くを知らずにいた。

 

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