渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

尾道 三原

2019年12月22日 | 公開情報
 





この映画館に行ってみたい。

尾道でズドドンと飲み、三原でズンドコ
飲む。
神奈川県連盟も土曜日が納会のようだ。
 
三原組の締めはここ。三原で一番美味い。




締まらなかった。
さらに新規開発で知らない店に飲みに
行った。
帰宅は朝4時半だった。
 
三原の繁華街で行き倒れを救出。
若者のようだが、放っていたら凍死する。
同行者のバイク乗りのZマンが応急看護師
なので救急対応。
警察を呼んで保護して貰った。
救急車ということにはならなかった。
第一発見者は私だが、最初死体かと思っ
た。
 
救出活動の際、いあわせた見知らぬ通行
人の介護士の女性が「もしかして〇〇さ
ん?」とZマンのことを呼ぶ。
Zマンは三原では有名な看護師なのだ
そうだ。できる看護師として。何名もの
介護士の女性が言ってた。
講演などもしているらしい。
あいや〜。
飲んで頭ペシペシ叩いたりしてたけど、
Zマンは偉い人だったのね(笑)。
知らなかったよー。空がこんなに青い
なんて。
 
 
私は1993年の夏の夜、新宿区の路地裏で
外国人に馬乗りになられて襲われている
警察官1名を現場で救出したことがある。
犯人の持つ刃物を蹴り飛ばし、即完全
制圧した。過剰防衛であるほどに。
警官の銃が奪われそうだったので咄嗟に
状況を判断して、周囲に仲間らしき者が
いないのを確認してから突撃した。
犯人は血みどろでのびていた。
PC到着後、犯人逮捕協力者として身元を
明かすように言われて正確に告げた。
また、2001年には、高速道路で大破横転
した直後のバンから、若い両親と乳児を
救出した。タイヤも足回りももげて空中
に飛散する大事故だった。
乗車していた人は母親が赤ちゃんを深く
抱き、当時珍しく後部座席でもシート
ベルトをしていたので死亡せずに済んだ。
運転席の父親は自分ではシートベルトを
外せず、死亡してはいなかったが車両が
何度も回転したため、頭を打ったのか、
意識が網羅としている風だった。
まず、遠距離発煙筒により交通を規制し、
爆発するなと祈りながら駆け寄って即
出したが、駆けつけた時の状態はそれ
だった。
横になった車の上から横ドアをスライド
させてどうにか開き、中の母子を最初に
脱出させた。
その次に父親の運転者だ。
救出後に安全(ではないが)な路側帯内側
まで3人を避難させて座らせてから、再度
交通を誘導し、警察と救急が到着してから
状況説明をして親子3名を引き渡したのち
私は現場を立ち去った。
しかし、それらの私の行動は警察からは
私の場合は表彰はされない。
私の親戚には警察庁官僚もいるが、日本
警察私を表彰することは、今後も絶対
あり得な
理由は私はショッカーの地獄大使だから
だ(笑)。ライダーだけど。
ホントは世界の股にかける国境なきエロ
団です。別名、国際旅団。
観光旅団だけどさ。
まあ、旅団てのは旅館の親戚すね。
知らんけど。
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