オーバーロードweb版〜続編風〜   作:愛美タトゥー

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学院ー10

◆◆◆スレイン法国

 

謎大きスレイン法国。その中でも特に極秘扱いとされ、入ることはおろかその存在さえ知るものが限られているスレイン法国の最奥の部屋。

 

見事に清められたこの部屋は特殊な結界で守られ、虫などはおろか、チリやホコリの侵入すら許さない。そしてこの死角も隙間もない部屋の奥には、法国が神として崇める6体の”プレイヤー”の石像が並ぶ。

 

そんな神聖な空間に総勢12名の……全裸の老人たちが並ぶ。

 

一糸まとわぬ生まれたてのその姿は、神の御前で一切の隠し事をせぬという誓いの表明であった。

 

さらには、あらゆる穢れを持ち込まぬようするため、前日から入念な準備も行われる。特殊な聖水による湯浴みで身を清め、飲食物も肉や魚を制限することで、身も心も徹底的に浄化する。

 

それを終えてようやくこの部屋に入ることを許された総勢12名──火、水、風、土、光、闇に分かれる六大神の各宗派の最高責任者を務める6人の神官長、法国の司法・立法・行政のトップを務める3人の大臣、新たな魔法や魔道具の研究・開発などを行う最高魔法責任者、人類の守り手として人間種最強の集団と謳われる法国軍の総司令官を務める大元帥、そして彼らを束ねる最高位の存在、最高神官長らが集まる。

 

そして、この場所でこの面々により開催されるこの会議こそが、スレイン法国最高の議決機関だ。

 

この会議の結果によっては、人類全体の命運すら大きく左右されかねない。ある時は、人間の脅威となる存在を取り除くために六色聖典が派遣され、またある時は、冒険者組合の設立が取り決められた。それはかつて、帝国や王国の建国を承認した時も同様だった。

 

人間という弱小種族が生き残るために、神々が残せし秘宝の力を用いて、敵を殲滅する。そこには一切の躊躇もなければ慈悲もない。帝国や王国から周辺国家最強といわれているが、それは神の血と秘宝があればこその力であった。

 

「神よ、わたしたちを祝福し、あなた方への奉仕を続けるために、どうかそのお力と知恵をお貸しください。わたしたちの主──によって」

 

最高神官長がゆっくりと口を開き、6体の石像に向かって言葉を紡ぐ。

 

「マントゥーラ」

 

最後に横に並んだ他の面々が、一糸乱れず唱和した。全員の深々と下げられた頭は床に強く擦り付けられ、額に血が滲む。かなりの時間が経ったが誰も頭を上げようとはせず、しんと静まり返った空気がいつまでもその静寂さを告げていた。

 

どれほど時間が経っただろうか……、ようやく1人が頭を上げると、それに習うようにして他の面々も頭を上げた。

 

彼、彼女らには、上下関係というものは存在しない。人は神の前では皆、平等であり、等しく無力なのだ。だからこそ、人類は己の繁栄のために、協力し合う必要がある。

 

「ではこれより御前会議を開始致します」

 

口を開いたのは、今回の会議の進行役を務める風の神官長だ。

 

「まず最初の議題は、エ・ランテル近辺に突如として現れ帝国の一大貴族となった魔法詠唱者、アインズ・ウール・ゴウン辺境侯に関してです」

 

他国の一介の貴族を、法国だけでなく人類全体の未来を左右しかねないこの最重要会議で、まず最初に取り上げるなど普通ならありえない。これは法国史上でも類を見ない異例の出来事であった。

 

しかし、そうせざる得ない事情があることを、この場の全ての者たちは既に理解している。もしその程度の理解も追いついていなければ、そもそもこの場に立つ資格はなかっただろう。

 

その事情とは、まず辺境侯が骸骨の姿をしたアンデッドであること、強大な魔法詠唱者であること、王国の軍を壊滅させたこと、軍勢として数多のアンデッドたちを使役していること、使役するアンデッドの中にデス・ナイトが一体はいること……などである。

 

「だから、あの戦争は見過ごさずに介入すべきだったのだ」

「……今さら何を言う。伝説級のアンデッドであるデス・ナイトを、最低でも1体使役する魔法詠唱者と敵対するのはあまりにも危険だという意見で一致しただろう。後からごちゃごちゃ文句を言うな。だったら、その時に意見を出せ。……しかし、あの王国がこうもあっさり敗北するとはな」

 

一同が揃って頷く。

 

「現在の帝国はどのようになっているのだ? あの魔法詠唱者の力をうまく取り込むことができたのか? それとも魔法で操られでもしているのか?」

「……後者の方が可能性は高かろう。あのパラダインが寝返ったというのだから」

「では、あの皇帝は何らかの手段ですでに洗脳されてしまっている、と考えていいのだろうか? 帝国はゴウンという魔法詠唱者の手に落ちたのか?」

「そこまでの詳細は、まだわからん。他の者で何か手がかりだけでも掴んだ者はおらんかの?」

 

全員の顔を見渡すが、誰からも特に反応はない。

 

「……帝国の貴族たちにゴウン側に付く者は、今のところ少ないようだが、時間の問題かもしれぬ」

「ならばせめて、神殿勢力と帝国臣民をこちら側に引き込むプランを実行に移しても良いのではないか?」

「さて──」

 

その時、パンという手を打ち鳴らす音が響き、一瞬で場に静寂が戻った。

 

「各々方、情報を集められているかと思いますが、ここで漆黒聖典の”占星千里”から齎された情報を、皆様にお伝えしようかと思います」

 

いつもより勿体ぶったその言い方に、僅かな違和感を感じた者が首を傾げる。

 

「まず、これより彼女が王国と帝国の戦争で目にした内容を記述した用紙を回します。後で判明したことは一切書かれていない、戦場を目にした彼女の言葉だけによるものです」

 

口頭で伝えればいいものを面倒なことをする、と思いながらも、各々は黙って回ってきた用紙に目を通す。

 

そこに記載された内容を読んだ者の顔は──驚愕、不信、怒り、恐怖など様々な表情へと移り変わっていった。

 

用紙を配った風の神官長は、その変化を微かな笑みを浮かべつつ眺める。それはめったに表情を変えることがない面々が、自分の予想通りに動揺した姿を浮かべたことへの満足感か、はたまた自分と同じ苦痛を味わった仲間が増えたことへの安堵感かはわからない。もしかすると、その両方かもしれない。

 

やがて1人の神官長が、ずり落ちた眼鏡を気にする余裕もなく、まくし立てるように風の神官長へ叫び声を上げる。

 

「嘘だ! このようなことが……あってなるものかっ!」

「先程も言いました通り、これはあくまで彼女の発言内容をそのまま、記述しただけのものになります」

 

その言葉を聞いて、声を上げた神官長は黙り込む。その意味するところは、それだけ彼女の能力への信頼度が高いということだった。

 

「スケリトル・ドラゴンに騎乗したデス・ナイトが数百──最低約200。それぞれ単体でも強大な魔物であるのに、騎乗することで互いに連携し、さらにそれらが大軍として押し寄せてくるなど……悪夢以外の何物でもないな」

「こんなものが攻めて来れば、ほとんどの国は一瞬で攻め滅ぼされる。もはや戦争にすらならない、単なる虐殺の場となるだろう。我が国とて無事では済まされまい……」

 

スケリトル・ドラゴン。推定何度48以上。第6位階以下の魔法の無効化能力という強力な魔法耐性を持ち、スケルトンとほぼ同じ特性──刺突無効や状態異常の無効化などを持つ。

 

デス・ナイト。推定難度100以上。強靭な体力と攻撃力、俊敏性を併せ持つ伝説級のアンデッド。敵を倒すことでスクワイア・ゾンビを作り出し、その従者たちがさらにゾンビを作り出す。ゾンビ自体の戦闘能力は低いが、より強いアンデッドの自然発生につながる可能性がある。

 

それぞれ一体でも都市や下手をすれば小国を滅ぼせるほどのアンデッドだ。

 

幻術などで誤魔化している可能性を考える者もいたが、即座にその可能性を振り払う。その程度も見抜けぬようでは、そもそも漆黒聖典に選ばれていない。

 

「どうする? 人類の守り手として、我々ができることはなんだ?」

「兵力にして小国400個分だと? ふざけているのか? こんなものもはや、一貴族が持っていい兵力ではなかろう」

「問題は兵力を何に使うかだ。単なる防衛戦力か? にしては過剰すぎる」

「ならば王国との戦争のように、今後も侵略のための戦力として使われるということか? そうなれば人類の破滅ぞ」

「とにかく情報が少なすぎる……今はまだその問題に対して結論を出す時ではない」

「我国は大丈夫なのか? そのモンスターに漆黒聖典で対処は可能なのか?」

 

大元帥が疑問を投げかける。漆黒聖典とはスレイン法国の最強の切り札。英雄たちで構成された特殊部隊。神々が残したとされる複数の武具をその身に纏う。実力だけでなく装備も一流の、まさに国家の威信をかけた超エリート部隊だ。

 

それでも勝てないのなら大儀式により最高位天使を召喚、もしくは”神々が残せし秘宝”を使うしかない。

 

だが、相手の戦力の全体像がはっきりしないうちに、最後の切り札をきるのはなるべく避けたい。今はまだ相手の戦力を見極める時と、この場の誰もがそう考える。

 

大元帥からの質問を受けた神官長はふっと笑う。動揺する者たちを安心させるかのようなその笑みに、他の者たちは一瞬安堵する。

 

「無理ですな。不可能です。そのような魔物の大軍を相手にするなど、愚者を通り越してもはや狂人としか呼べません」

 

絶望的な現実を突きつけられ愕然とする面々に向けて、今度は異なる種類の笑みを向ける。

 

「ですが……神人は別です」

 

おお、と歓声の声が上がった。

 

「かの者であれば、スケリトル・ドラゴンとデス・ナイトが何体攻めてこようが、容易に対処が可能でしょう」

 

問題が解決したことで、一気にその場は安堵の空気に包まれ、皆は安心しきった様子を見せた。

 

しばらくの沈黙の後、進行役の神官長から溜息が零れる。それはまるで、これから告げなければならない新たな真実を聞かされる者たちの心情を、憂いてのことのようであった。

 

「……何を隠している?」

「この場所での隠し事はご法度ぞっ! 神への誓いを破るつもりか!!?」

「……いえいえ、何も隠しているわけではありません。むしろ、ようやく皆様に全てを打ち明けられることに、安堵しておりました。……私だけで抱え込むことは……もはや限界でしたので」

 

 

 

 

一瞬にして場に静寂が満ちた。

 

 

 

 

この場の全ての者の心を、恐怖が支配する。

 

 

 

 

これ以上のことがまだ何かあるのかという恐怖、一人の人間としてそれを知りたくないという個人的感情と、法国を治める者として知らねばならないという理性の、葛藤が生じる。

 

少し間を置いて、覚悟を決めた様子の面々の顔を確認してから、進行役の神官長はゆっくりと口を開く。

 

「王国と帝国──いえ、王国とアインズ・ウール・ゴウンの戦いに関して皆様は、どの程度聞き及んでいますか?」

 

少し顔を見合わせてから、最高神官長が代表して口を開く。

 

「アインズ・ウール・ゴウンが強力な魔法を使用したと聞く。それにより王国軍は瓦解し、敗北した。その結果として開戦前の話にあったようにエ・ランテルを帝国に譲渡して、帝国の皇帝が新たな貴族であるゴウンに、その土地を与えたとまでは聞いているな」

「死者の数は?」

「そこまでは聞いておらぬ。私の元にも上がってこないのだから、皆も同じではないか?」

「はい。そうです。戦後の混乱などもあるためまだ危険であるとして、誰もエ・ランテルには向かってはおりません。そのために真偽の不確かな噂程度の話しか、入っては来ません」

「……そうですか。……それではこの後、占星千里が見た戦争の一部始終を書いたものをお渡しします」

 

手渡された紙を見終わった後、誰も何も話そうとはしない。

 

そこに書かれていた話を疑うものは、もはやこの場にはいない。だからこそとでも言うべきか、その顔には心の内が鮮明に現れていた。

 

 

 

 

そこにあったのは、”絶望”であった。

 

 

 

 

それはまるで天災のような圧倒的な力を前にして、己の無力さを悟り、全ての抗う意思を投げ出してしまった非力な者の目をしていた。

 

抵抗しても意味がない。逃げる以外の選択肢が思い浮かばない。だからといって、どこに逃げればいいのかさえもわからない。果てしないと思われた地平線が続く雄大なこの大地が、限りなく広大だと信じていたこの大陸が、ちっぽけで逃げ場のない檻のように感じてしまったのだった。

 

「私は…信じたくないぞ。たった1つの魔法で、約13万人もの人間の命が奪われたなどと」

「片翼……約8万人もの命を一瞬で奪い、それらを生贄に醜悪な化け物を召喚か……」

「これはもはや、この世界の存在が成し得ることではないな……となるとアレか」

「……神の降臨か」

「かの神に似た姿と書かれているが、その可能性は?」

 

六大神には骸骨の姿をした死の神、スルシャーナというものが存在する。

 

闇(死)を司るスルシャーナは光(生)を司るアーラ・アラフと共に、四大神より上位の神として信仰されている。

 

他の5人の神が次々と亡くなる中、最後の一柱として存在していたが、口伝によれば500年前に転移してきた八欲王に殺害された。

 

「それは直接確認してみないとわからんだろう。しかし一体誰がそれをする?」

「見ただけではわからんだろう。スルシャーナ様のお姿を直接見たことがあるものはおらんのだから」

「神の証明など、未だかつて誰もやったことがない前例のないこと。どのようにすれば良いのか想像もつかん」

「その辺の調査は、これから行っていくとして、まずは最悪の可能性から検討していこう。今回、この者が新たに現れた神だとすると……およそ200年ぶりか?」

「口伝からすれば、ちょうどそれくらいだな。しかし我々にはまだ備えができておらん…」

「あの王国の馬鹿どもが!」

 

王国はもともと、地理的に非常に恵まれた場所に誕生した国であった。いや、創られたと言うべきかもしれない。

 

安全で肥沃な土地で、大勢の人間が生まれる。その中から優秀な者が数多く現れ、その者たちが人類の救い手となることを、法国は期待していた。

 

 

 

ところが、現実は違った。

 

 

 

人々は、堕落したのだ。

 

 

 

たいした努力をせずとも豊富な食料が手に入るため、魔法などに頼る必要がなくなった。それゆえに、帝国のような魔法詠唱者の育成は、王国ではほとんど行われていない。

 

魔法はこの過酷な世界で生き抜くために、絶対不可欠の技術であったにも関わらず、その価値を王国の者たちはほとんど理解しようとすらしなかった。

 

戦力として、生産力として、都市の開発力として活かされるはずだった魔法という知識と技術は王国では広まらず、人々は現状の生活を維持することだけで、満足してしまったのだ。

 

しかし、国力を維持し続けるためには、本来は多くの努力なしには成しえない。努力しない者はより強き者が現れた時、喰われるだけである。最初は強者という地位であったはずの王国が、その地位に溺れ滅びの道を歩んだのは自業自得とも言えた。

 

法国も同じ人間の国家として、この怠慢な王国を再度自国に取り込み、法国の力で発展させることも考慮した。

 

けれどもそれをすると、評議国という亜人の国と国境を接することになる。それはなんとしても、避けねばならなかった。

 

法国は昔から国の方針として、人間種以外の生物、亜人や魔獣は滅ぼすべき存在だと掲げてきた。もし亜人の国が隣にあれば、決して見逃す事などできず、和解も停戦も絶対に許されない戦争へと発展することは明らか。

 

国民は生まれてきた時から、亜人を滅ぼすことが絶対の正義と信じ、国もそれを常識として長年かけて刷り込ませてきたのである。

 

しかし、評議国は強い。複数の竜王を筆頭に、数多くの強力な支配者が存在する強国。

 

そんな国と全面戦争になれば、国家を繁栄させ人類を強化するという本来の目的を達成できないどころか、逆に弱体化しかねない。国が焦土と化す可能性すらある。

 

けれども、現実を知らない国民はどう思うだろうか。亜人は人間を食料とする。そして法国は強い軍事力を持つ。ならば、和解なんかせずに戦って倒すべきだと言い出す人が大勢出てきてもおかしくはない。

 

そのため、どうしても王国を取り込むことが、法国にはできなかったのだ。だからこそ帝国を誘導し、王国を取り込ませようとしたわけなのだが、あまりにも対応が遅すぎた。

 

「期待していた王国は腐敗し、優等生であった帝国は優れていたがゆえに、いち早くゴウンの危険性を察知して、その力を自国に取り込もうとしたか……」

「やはり帝国がゴウンなる者の力を制御できている可能性は低い……。神にも等しい力の持ち主ぞ? 人の手には余る」

「ならばせめて、対等な協力関係を築けていることを願うばかりだな」

「帝国とゴウンがどのような関係にあるのか、本当に取り込まれているのか、皇帝に軽く接触してみて確認する必要があるだろう。可能ならゴウンの目的も知りたい」

「危険すぎる。それは結果がどちらであれ、戦争の火種になりかねん」

「そうは言ってもな……とりあえずは、帝国内の神官を使って調べてみるか」

「どちらにせよ、今はこれ以上の戦線を増やすわけにはいかぬ」

 

瞬間、敵意が膨れ上がった。

 

「あの薄汚いエルフどもめ」

 

法国は南方の大森林に存在するエルフの国と戦争の真っただ中だ。元々、法国とエルフの国は停戦協定を結んでいた。仲は昔から良くないが、同じ人間種であるため法国としては争う必要がない。しかし、その約束はエルフにより突然破られ、法国は持てる力を持ってして今までずっとエルフとの戦争を続けている。

 

「奴らとの戦争を一時中断するか?」

「馬鹿を言うな、一体どれほどの血が流れたと思っている。今さら引けん」

 

エルフは法国の民と同じ人間種であるため、互いに交配が可能。そのため、見目麗しく長命で神秘的なエルフを狙う輩は多い。

 

しかし、そんなものを放置しておけば、国際問題に発展するのは明らか。そこで、法国は国を挙げてその取り締まりを懸命に行ってきた。

 

それなのに、よりにもよってエルフは国王自らが、人間を攫っていたことが発覚したのだ。理由を問いただすと、「強そうな雌だったから」などと意味不明な返事を寄越してきた。被害者の返還を求めても応じないどころか、拉致を未だに止めないので、戦争へと発展してしまった。

 

「しかも、今はそれだけではない。アベリオン丘陵の問題もあろう」

「そうだったな……。本当に頭が痛い」

 

アベリオン丘陵とは、スレイン法国の西にある山岳地帯だ。以前からここには、大量の亜人が住み着いており、度々討伐隊を送っているのだが、たいした成果は得られていない。

 

その危険地帯で、最近なにやら不穏な動きが出てきているというのだ。調査隊の報告によると、どうやらこれまであった亜人たちの複数の小国や部族を、何者かが一つに束ねたことで、この地に亜人の新たな大国が生まれようとしているらしい。

 

「すぐ隣に亜人の新たな大国が誕生か……最悪から数えて何番目のシナリオだ、これは……」

 

小国の時ですら手こずっていた亜人たちが、一つにまとまったとなれば、それは国を揺るがすほどの大問題となるのは必然。

 

亜人の世界というのは、単純な腕力がものいう世界。ゆえに、人間社会とは異なって多くの者を束ねるには、それだけ圧倒的な力が必要となってくる。

 

にも関わらず、かつてない程の数の亜人たちが一つにまとまったというのは、あの場所にとてつもない強大な力を持った亜人が誕生した、とも言い換えることができるわけだ。

 

「アベリオン丘陵についてまだ詳しいことは、ほとんどわかっていません。しかし、ゴウンほどの大問題ではない……と願いたいものです」

 

今の法国はあまりにも不安定であり、これ以上の戦線や調査にリソースを割くことは、難しいのが現実だ。

 

ただでさえ、トブの大森林周辺など人間の国の近くで活動する亜人や魔獣の取り締まりで忙しいというのに、それに加えてエルフの国との戦争、崩壊しかかっている王国の監視、アベリオン丘陵への警戒、活発化するビースト王国への対応などもある。当然、ゴウンへの対策が最優先なのは言うまでもない。

 

「今はとにかく手が足りんな」

「あぁ、もう少し王国がしっかりしていてくれればな……」

「ないものをねだっても、仕方あるまいて。今あるものだけで、何とかせねばな」

「こうなれば、一度あの竜王に使者を送って、相談してみるのもいいかもしれん」

「どれほどの要求をされることやら……」

「仕方あるまいて。それで人類が救われるのならば」

 

この場にいる全員が、同様に頷く。

 

「そういえば、かの元神官長殿はいかがされるのか?」

「わからぬが……おそらく動くだろう。もしかしたら、元第9席次の疾風走破であれば、知っていたかもしれんが」

「困ったものだな。彼女はもうすでにここにはいない」

 

何人かが、溜息を漏らす音が聞こえる。

 

「とにかくこのままでは、戦力が足りん。一時的にでも、引退した聖典たちに戻ってきてもらうのはいかがか?」

 

老いなどで引退した聖典が、国内には多数いる。全盛期の頃や現役の者と比べれば劣るが、それでも普通の人間と比べればはるかに強いのは間違いない。

 

「一応、各員には現状と要望をお伝えしましょう。しかし、どれくらいその呼び掛けに応えるかはわかりません」

「当然だ。承諾してくれた者には、望む額の報酬を支払おう」

「そうだな、儂ら並に報酬を払わねばな」

 

皮肉の笑い声が上がる。

 

彼らの給料の低さは、笑い話の種の一つだ。

 

法国において、給料はある一定の地位から上がらなくなり、むしろ下がることもある。

 

これは上に立つ者が、私欲にまみれた人間ではならないという自浄のためだ。そのため、この国の上に立つ人間は、利益よりも仕事へのやり甲斐を求める人間が、残るようになっている。

 

笑い声が止んだ所で、最高神官長が口を開く。

 

「それでは、そろそろ次の議題へと移るとするか。進行役、よろしく頼む」

 

こうしていつ始まったかもわからぬ侃侃諤諤の議論は、夜が明けても続いた。


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