忙しい、忙しいと言いながら、オタクなぼくはアニメも漫画もゲームも止められず、暇を見つけては間々にやってしまう。この「The Last of Us」は五年前にPS3で発売されたサバイバルホラーゲームなのだが、PS4でリマスターされ、安く売っていたのを買い、そして今日クリアーした。

 

このゲームをプレイしていない人のために話の概要を説明すれば、アメリカにゾンビウィルス的な病気が蔓延し、そのために社会は壊滅状態に陥った。そんななかで生き残った主人公のジョエルは、ファイアフライという組織に頼まれ、ウィルスの抗体を持つ少女エリーを研究施設のある病院にまで無事に送り届けるよう依頼される。

 

ジョエルとエリーはなんとか病院まで辿り着くが、抗体を作るためにはエリーはその代償として命を落とさなければならない。そのことを知ったジョエルは、手術台に寝かされ意識のないエリーを病院からを運び出してしまう。

 

逃げ出した車中、意識を取り戻したエリーが何があったかジョエルに訊ねるが、ジョエルは免疫を持つ人間が何十人も見つかったためにお前が要らなくなり、そのうえ、ファイアフライはウィルスの治療法の開発を止めたため、今帰る途中なのだ、と見え見えの嘘をつく。

 

そして、エンディング。先を進もうとするジョエルにエリーは「待って」と呼び止める。

 

エリー「ボストンで、噛まれた時だけど、ひとりじゃなかったの。あたしの親友もいて、一緒に噛まれた。途方に暮れてたら、その子が、言ったんだ。『待ってればいいじゃない、どうせ最後はみんなおかしくなっちゃうんだから』って。あたしはまだ待ってるの。」

 

ジョエル「エリー……」

 

エリー「ライリーって子だった。あの子がまず死んで、それからテス、それにサム……。」

 

ジョエル「どれもお前のせいじゃない」

 

エリー「そういうことじゃないの!」

 

ジョエル「俺はな、生きるためにずっと戦ってきた。お前も、何があっても戦う目的を見つけなきゃダメなんだ。こんなこと聞きたくないのは分かってる。だが――」

 

エリー「誓ってよ!ファイアフライについてさっき言ってたことは、全部本当だって誓って」

 

ジョエル「誓うよ」

 

エリー「……わかった」

 

なんと意味深なシーンだろう。これはいろいろな解釈ができてしまう。まずエリーの「あたしはまだ待ってる」の意味は素直に受け取れば、自分の感染の進行はまだ止まっていない、ということだろう。彼女の抗体は病原体の進行を遅らせるもので、完全な免疫ではないということだ。

 

別の視点で観れば、エリーの親友だったライリーの「待ってればいいじゃない、どうせ最後はみんなおかしくなっちゃうんだから」という台詞から窺えるように、どうせ最後には人類全員が感染してしまうのだから、諦めればいいという解釈が可能だ。そうすると、エリーの「まだ待ってる」は、私はもう諦めている、ということになる。だから抗体開発のために犠牲になってもよかったのだと。

 

ライリーの言葉を別の解釈をすれば、どうせ皆死ぬのだから、覚悟を決めればいい、という意味にも捉えられる。そうなるとエリー台詞は、死ぬ覚悟はできている、ということになり、ここでも抗体開発の犠牲になる覚悟が固まっていた、と考えられる。どちらにしても、エリーは死を覚悟していたと解釈できはしないだろうか。

 

ライリー、テス、サム、近しい人たちが次々と死んでいくのを目の当たりにしてきたエリーにとって、死は身近なものであり、物語の最後にはいずれ自分にも降り掛かってくると、覚悟は出来上がっていたのかもしれない。

 

だから、このシーンでのジョエルとエリーの話は噛み合っていない。仲間が死んだのは仕方がないことで、エリーが気に病むことじゃない、「お前のせいじゃない」と、ジョエルはエリーを庇うが、エリーは「そういうことじゃない」と否定する。

 

しかし、ジョエルはここでエリーの言わんとするところに気づき、エリーを諭そうとする。ジョエルは生き延びるという目的と、物語の終盤ではエリーを守るために戦ってきた。この世界では生きること、すなわち、戦うことである。「何があっても戦う目的を見つけな」ければならないということは、つまり生きる目的を見つけて生き延びろと言いたいのだろう。

 

これにはジョエルの願望が込められている。彼は過去に、エリーと同じ年頃の愛娘を失っている。少女一人を犠牲にすることで、人類が救われるなら安いものだと、子どもでもわかる算数だ。が、ジョエルにとってエリーを失うことは娘を二度失うことに相違なく、耐え難いことだ。そのため、人類を捨ててエリーを取った。が、言うまでもないが、これは人類に対する重大な裏切りである。

 

エリーはジョエルが答えた、ファイアフライが開発を止めた、という嘘に気づいているだろう。ジョエルの嘘はそれくらい苦しいものだった。しかし、エリーはジョエルが自分に娘を重ねていることもわかっている。すべてわかってその上で、ジョエルに嘘を本当だと誓えと言う。

 

エリーにとってジョエルに嘘を本当だと誓わせることで、自分が人類を裏切って生きていくことの重罪をジョエルに負わせることができる。そうすれば、自分は素知らぬ顔でそれから免れ、世間的には自分は存じませんでした、と言い訳が立つ。病院からエリーを運び出したのはジョエルだから、その重罪をしっかりとジョエル自身がしっかりと受け止めろ、という意味で誓いを立てさせたのかもしれない。

 

しかし、ファイアフライが開発を止めたという嘘に気づかなければ、彼女の罪はないが、それに気づいている以上は罪は免れない。これでしれっと生きていてはエリーは卑劣漢ということになってしまう。それは、いくらなんでもあんまりだから、別の解釈としては、エリーがジョエルの犯した人類に対する裏切り行為の、その片棒を彼女も一緒に担いだというものだ。

 

エリーは嘘に気づいている。どれだけ世間に言い訳が立とうとも、自分自身に嘘はつけない。自分が生きることは、救えたであろう人類を裏切ることであり、その罪の意識は、彼女の胸にしっかりと刻まれている。そのうえでジョエルの嘘を彼自身に本当だと誓わせることで、完全なフィクション(虚構)を拵える。そのフィクションをフィクションと自覚しながらノンフィクション(事実)として飲み込む。つまり、エリー(娘)に生きてほしいという、ジョエルの願望を優先し、エリーはジョエルの人類に対する裏切りに加担したのだ。

 

双方が嘘を嘘とわかっていながら、それを本当だと誓う者も、誓わせる者も、完全な確信犯に他ならない。秘密の共有、あるいは罪の共有は、人と人とを強く結びつけるものだ。ジョエルとエリーとは、人類に対する大罪を共有することで、父と娘でもなく、パートナーという血よりも濃い関係になったのだ。

 

人類を裏切ってでも生きることは、まさに戦いだろう。それは人類に対してだけでなく、自分自身に対する戦いでもある。それでも生きようと戦い抜く姿は、心を打つものがある。エリーの「わかった」と言ったときの表情には、悲壮な覚悟が表れている。

 

 

 

追記

「プレイヤーによる解釈に任せる」というのが開発の公式見解だが、脚本の担当者は「エリーは、ジョエルが嘘をついたことに気づいており、そのことに失望している」と答えたそうだ。そして失望したエリーはジョエルの元を去っていくため、「The Last of Us(我々の最後)」というタイトルになるわけだ。脚本家によれば、ぼくの考察は間違っていることになる。が、ぼくはそう思わない、とだけ付け加えておく。

 

追記

エンディングの考察の補足と再考はこちら。

https://ameblo.jp/bambawest/entry-12426729172.html