異世界に転生させてあげるから今すぐ死になさいっ!

曽根崎マイ子

第1話

「……ッざけんな!!」


 郵便受けに入っていた封筒を開けるや否や微塵になるまで破って紙吹雪の如くばら撒く。ゴミはゴミ箱へ? ゴミ箱は3ヶ月も前からいっぱいになってんだよ。なめんな。

 足の踏み場もない床の僅かな空白を紙片が埋めていく。潰れてしまえばいい、こんな会社は。


「ン!?」


 服に張り付いた紙片に何やら数字が書いてある。ああ、見なくても分かってる分かってる。今自分がいくら借金してるかなんて、分かってる。


「150万の借金がなんぼのもんじゃい!!」

 ドサーッ! 横になる。横になるといっても、布団なんてないのだが。横になってすることも、まあ、ネトゲしかないのだが。


 ボッサボサの髪の毛が口の中に入ってきてそのあまりの臭気にえづく。


「おっ、オエエッ……くっっっせえ〜!! 誰だよこんなくせえ髪生やしてるやつ!!」


 ひらめいた。


「『ワイ、自分の髪の臭さに髪生えるwww』これは伸びる!」


 カタカタカタ、と掲示板にスレッドを立てる。


 見事に流れる。流れるというか、滑っていった。


 誰からも見向きもされず、滑っていきやがった。


「ふ、フフフ。まあ人生ってそんなもんですわ。さて、久々にシャワー浴びるかな」


 ほっ、ほっ、ほっ。


 物があふれかえっているから、部屋の中を移動するのにもひと苦労。うっかりフィギュアなんて踏もうものなら流血沙汰だ。ま、ちょっとした筋トレだ、これは。


「フンフンフ〜ン」


 否応なく鏡に俺の体が映る。小さく悲鳴を上げた。


「俺ってば、いつの間にこんな太っちゃったわけ……?」


 自分の体ながら、醜悪そのものである。この部屋内籠へやないこもる、齢28にして既に栄養失調寸前でありながら肥満体。死相が出ているようにも見えるし、死兆星は何度も見つけている。


「……さっ、シャワーだシャワー」



 見ない方がいい、こんなものは。


 ユニットバスに蔓延った黒カビや、いくつもの空になったシャンプーやボディソープのボトルたちを白い湯気がかき消していく。鏡も曇って、醜い自分の姿はかき消えていった。


 おっ?待てよ……俺ってば足だけは細いんじゃね?


 この足の細さと髪の長さを利用して女装するのもアリだな。それでユーチューバーになって稼ぐの。天才でしょこれ。


「ブ……ブンブンハローユーチューッブ!! わはははは!!」


 ああ、死にたい。


 死にたい。


 死にたい。


 ……なんせ今の世じゃ、死んだら異世界に転生させてくれるらしいじゃん? 俺そんなアニメとかネット小説観たことあるし。そんで現実世界の知識を使ったりして無双すんの。いや、転生した時点でチートってのもアリだな。


 脂ぎった髪はどれだけシャンプーを馴染ませても泡が立つことはなかった。申し訳程度に体を洗うといつ使ったとも知れないバスタオルでガシガシ水気をふき取る。俺は思った。ただただ思った。


 いつまで続くんだろうか、こんな生活。


 大学受験に失敗し、両親の反対を「都会の良い予備校に通うんだ!」と断ち切ってここへ住み始めた。それからというもの、右肩下がりに転落するばかりだった。予備校にすらまともに通うことなく、両親の仕送りのほぼ全てを入金のあったその日のうちにパチスロでスり、家賃や光熱費の類は1ヶ月遅れがデフォとなった。


 このままではいけない、と日雇いのバイトに登録するも給料は雀の涙ほどで結局消費者金融に頼らざるを得ない事態。2年で払い終わるはずが、返していたのも初めのうちだけで、1年経つころには借入先が2社。ちなみに現在4社。延滞を重ねに重ねたため、信用情報は真っ黒。一銭たりとも借り入れることができない状況下、それでも闇金にだけは手を出さなかった。


 この歳で両親を頼るわけにもいかず……というかどうやって説明しろというんだ。母から届くメールは悉く無視、父の電話は留守電すら聞いていない。


 ……そもそも俺をこう育てたのはあの人たちだろうが。


「死ぬ前に一度でいいから女を抱いてみたかったな」


 洗面所に乱雑に置かれてある赤と銀の縞々模様をした、筒状のものを眺めて思う。


「人生どん詰まり。なんでこうなっちゃったんだろうな」


 ワンルームに上半身裸の男1人、ポツリとつぶやく様はあまりに滑稽すぎて笑えない。引っ越してくるときに母親に言われて持ってきた、幼いころから使っているカラーボックスも、口を半開きにしてややひきつっているようにも見えた。


 小さいころはこのボックスいっぱいにソフビ人形が入っていたものだ。それが今では、第2のゴミ箱と言っても過言ではなかろう。


「アッハッハッハ!!」


 次から次へと湧いてくる憂いや悲しみを打ち払うべく、笑ってみた。鼻の下に伸びた髭がチリチリと鼻孔に触れる。


「死にてえ!! 死にてえなあ!? こんなクソみたいな世界とおさらばして、異世界にでも生まれ変わりてえなあ!!」

「……すてき。それでこそわたくしの見込んだ『勇者さま』ですわ」


 ワンルームに上半身裸の男1人、のはずだ。


「な、なんだ……? 今女の声が聞こえたような……?」

「こっちですわよ、勇者さま」


 俺は声のする方を向いて、じっと目を凝らしてみた。第2のゴミ箱、もといカラーボックスだ。ポケットから眼鏡を取り出し、掛けてみてもカラーボックスだ。ひきつった表情を浮かべている。


 が、しかし気付く。


「ひ……ひきつってるってなんだよ!?」


 自分の思考の異常性に自らツッコミ。この現象をアニメや映画の表現を用いて言うならば、そう。


「空間が歪んでるじゃねえか!!」

「そ・の・と・お・り」


 歪みはやがて渦を形成し始めた。


 なんだよこれ……なんだよこれ!!


「わたくしはここでいう異世界から来ましたの」


 渦の中心から姿を現したるは。


 ゴシックロリータを彷彿とさせるドレス。縦ロールのブロンド髪に黒いバラの髪飾り。やや意地悪そうな、それでいて妖艶に吊り上がった明るい赤色の目。


 平たく言って、姫。盛って言うなれば美少女すぎるキャバ嬢。


「まずは自己紹介をさせてくださいませ。ヴァレンタニア王国の王女、スズコ・ヴァレンタニアですの」

「な……ななななな……」


 自称公称コミュ障な俺が言葉を出ないのをいいことに彼女は勝手にぺらぺら説明を始める。


「驚くのも無理はありませんわ、異世界人を見るのは初めてでしょうからね。わたくしがここへ来たのには、ごめんなさい、聞いていただけますか?」


 辛うじて首を縦に振り、近くのダンボールに座り直すことで話を聞く態勢を立て直した。


「……ありがとうございます。どうぞ楽にしてくださいまし。さて、理由なのですが、今ヴァレンタニア王国は所謂内戦状態にありますの。ここ日本にもありますわよね? 右翼と左翼というものが」


 あるある。俺はボソボソと答えた。


「ああっ、そんな委縮しないでくださいまし! 何故ならわたくしはお願いをするためにここにいるのです!」

「まさか……そ、その内戦を止めろって言うんじゃないでしょうね?」


 委縮しているわけではない。対面して人と話すなんていつぶりだろうか。どうしても声がかすれてしまう。動悸が激しくなる。

「そのまさか、ですわ。貴方がこの世界で死んでくださることを条件に、ですけれど。いうなれば、転生、ですわね。異世界転生。ご存知ですわよね?」


 ご存知ですわよ。むしろ異世界からいらっしゃったあなたがご存知すぎるのではないか。


 それにしても、死ぬ、か。


 悪くない提案だ、丁度死にたかったところだし。


 だが問題はそのあとだ。


「もし、生まれ変わったとして、俺が、その内戦ってやつ、止められる自信ないですよ」


 そうなのだ。今しがた浴室の鏡で確認したように、俺の体は貧弱を極めている。今なら小学生にすら負けそうな気がする。こんな体で一体何が出来るというんだ? 王国内の王女様……王女以下王政を執り仕切っているその他多数の人間が止められず、こちらの世界へ助けを呼びに来るほどの内戦を、俺が、果たして止められるのか?


「大丈夫ですわ。異世界転生した者は決まってチート級のステータスですのよ。ソースはわたくし」

「なにっ!? あなた、もともとこっちの世界の住人だったんですか?!」

「ええ、もちろんですわよ」


 道理でこちらの世界の事情を知りすぎているわけだ。スズコとかいう、やたら日本人的な響きの名前も頷ける。


「貴方のような、何のとりえもないようなお方でも勇者と成り得るのです。そして戦いの終わった暁には……わたくしと……」


 彼女は、紅潮しきった頬に手を当て、目を逸らした。


「勇者さまさえよろしければ、結婚して頂きたいのですわ」


 ……。


 はい。


 決定決定、けってーーーい。


 俺、転生します。転生して勇者やります!


「分かりました。死にます」

「その答えを待っていましたの!!」


 姫様は嬉しくてたまらないといったふうに部屋中を飛び跳ねる。その姿は俺の畏怖する女子高生そのものではあったけれど、絶世の美女なのだから……質が違う。


 いっそ俺も飛び跳ねようか。いや、やめておこう。フィギュアを踏んだら大変だ。


「いっっったいですわ!!」


 言わんこっちゃない。言ってないけどな。


 フィギュアを踏んづけたのだろう。スズコはゴミ山に座り込み、シミやくすみ一つない細足を投げ出した。


「あ、そうだ」


 ちなみにさっき驚嘆したおかげで、声はすんなり出るようになっている。


「俺、痛いのとか苦しいの嫌なんですけど。何か良い死に方ありませんか?」

「フフ……そう仰ると思いましたわ」


 姫様は髪飾りにしている黒いバラの花弁を1枚、千切って俺に手渡してきた。


「これは?」

死の黒薔薇デスローゼス……これを飲み下せば、静かなる死が勇者様を包み込みますわ」

「……? 分かった」


 中二病の延長線でしかない言葉の端々には疑問を抱くばかりだが。


 なるほど、このバラの花びら1枚、飲み込めば俺は死に。


 異世界で勇者たらしく転生するわけだ。


「さあ、ひと思いに飲み込みくださいませ。勇者さま!」


 ……。


 ……終わるのか、ここで。


 ……いいのかそれで、って良いに決まってるだろ! このまま生きてても何もいいことないって分かりきってるじゃねえか! 絶対転生したほうがいいって!


 俺は……その花弁を、カサカサの唇で咥える。


 ああ、ああ、そうだ。


「ごめん、姫様」

「どうかなさいました?」

「水飲んでいい?」

「え、ええ……いいですわよ」


 蛇口から水を直飲みしたあと、水垢まみれのシンクを見下ろす。そういえば腹が減ったなあ。


「姫様、俺は飯が食いたいです」


 彼女は信じられないといった様子で「今から死にますのに!?」と、ツッコんできた。


「まあそうなんですけど、異世界でこっちと同じような飯が食えるとは限らないんで……」


 もっともらしい言い訳をして、姫様と町へ繰り出すことにした。目指すは、最後の晩餐にふさわしいご馳走。

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