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表町通信
更新日:2020年1月18日 / 新聞掲載日:2020年1月3日(第3321号)

表町通信 ・1月 ―― ローザ・ルクセンブルクの頭蓋骨  

第3回
「貧民収容施設で」の骨量

それは死体の映像だった。特にその頭蓋骨の映像、彼女が殺され、運河に投げ捨てられた後数か月経って見つかり、ドイツ警察が撮影したとされる写真映像だった。遺体の首は髪が抜け、頬や唇の腐肉がそげてはいるが、まだ目も鼻も口も判別できた。左目は視線を高い遠い空に投げ、ややぼんやりと焦点が定まらないかにみえた。だが右目は潰されているようで、よく見ると虹彩に当たる暗白色がわずかに、だがくっきりと浮かんでおり、その目の下をたどると、口元をかみしめた時の強い線が、今なお頬から顎へ続いていた。明らかに、その死首は主人公や我々の行方を心配して見ていた。「首が飛んでも動いてみせるわ」(フランキー堺/花田清輝)という、ゆるぎない批評的意志が確かにあった。それなのに、仲間やバイト先の予備校生をあれほど雄弁に扇動しながら、主人公はこの写真に「ショックだ」「夢に見るよ」としか言えない。まるで黄泉平坂の伊邪那岐のように、死首とは「連帯」どころか、それをまともに見ることさえできていなかった。彼らが精緻にルクセンブルクを研究していても、結局議論が軍事技術や組織論への惑溺に陥って、それらに抗して彼女が主張した指導部の役割(=明快なスローガンの提示による政治的集中点の創造)を放棄した事実と、それは完全に並行するものだった。

だが初めてこの映画を見た時、私は殆ど理屈で考えていなかった。その時本当に連想し、本当に私をつかんでいたのは、同じ頭蓋骨でももう写真でない、自分の目で見て、手指で実際に握りしめた友人達の骨だった。それはまだ大麻にいた時と、物を書き始めてからの少くとも二度あった。正直、鈍い私はどの葬式でもけろっとしていたが、忘れにくい出来事も繰り返された。性別も年齢も体重も、民族さえも違うのに、二人ともその骨が妙にごつかったのだ。一つ一つの骨が硬くて、骨量もむやみに多い。遺体を置く台に担当者の上体がおおいかぶさる。焼いてすぐ後の、台からはみ出そうな全身の骨格を、木槌のようなもので、腰に力をため腕をふるって砕いていく。割れる時、骨片は何かと擦れるやや高い音を立て、そのいくつかが台をとり囲む我々の足元に飛び散ってくる。砕いた骨を最後に骨壺に入れるが、量がかさばり、あふれて全ては壺におさまらない。それは、指で触れると焼骨は砂のように崩れるという、こちらの事前の空想を割り裂くものだった。大麻の時、疑いなく私自身が「夢に出る」と泣いていた。だが二度目はそうでなかった。私はすでに、ルクセンブルクの次の一節を知っていた。彼女とけちな全共闘=新左翼の差異は明らかだった。


ふつうであれば、死体は、口をきかぬ、みにくい一個の物体でしかない。しかし、こうした死体が、らっぱよりも大きな声で語り、炬火よりも明かるい光を放つばあいもある。一八四八年三月一八日のバリケード戦のあとで、ベルリンの労働者は死者をたかだかともちあげ、宮城のまえまで運んで、そこで圧制者をして犠牲者のまえに脱帽せしめたのであった。いま、われわれも、血と肉をわけたわれわれの仲間であるベルリンの浮浪者の死体を数百万のプロレタリアの手で抱きあげ、あたらしい闘争の年に向かって運びこもうではないか。そして、このような惨事を生み出す忌わしい社会秩序を倒せ、と声たかく叫ぼうではないか。(「貧民収容施設で」現代思潮社版選集3、高原宏平訳)
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