渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

カワサキの今後 〜時事放談〜

2020年01月21日 | 公開情報


カワサキが好きでカワサキに乗っている。
MS、SS、AR、KR-1、ZRとカワサキは
5台目だ。
最近のカワサキのバイクは知らない。
乗らせて貰ってもなんだかピンとこない。

私の友人に40年来のカワサキ乗りが
いる。
私はずっと2ストだったが、彼は4ストだ。
その友人とカワサキについて話をしてい
て「あー、やはり」という認識を持った。
カワサキの車の事についてではない。
カワサキの会社としての様変わりの事に
ついてだ。

まず、彼も指摘していたが、カワサキが
販売代理店に対してパーツを供給しなく
なった体制の変化についてだ。
カワサキプラザという直営店のディーラー
を開設し、一般代理店を排除する経営方針
にカワサキは変換した。
ついここ2年ほどの話だ。
こうしたやり方は四輪車メーカーが自動車
販売網の拡大において高度成長期にやって
きた。
最大はトヨタと日産で、下請けをいじめ
抜くことによって、生馬の目を抜くよう
にトヨタと日産は莫大な利益を上げるよう
になった。
しかし、そのどぎついやり方は社内に
おいてもえげつない社風を発生させ、
そのツケをすべて労働者に資本は被せた。
そのため、トヨタと日産の労働争議は
1970年代に熾烈を極めた。

今、カワサキは同じ動きを二輪車業界で
やろうとしている。
ホンダのドリーム店やヤマハのYSPとは
異なる完全な直営店主体に経営方針の
大鉈をふるってカワサキは舵を切った。
直営店であるカワサキプラザはディーラー
であるので、ユーザーが気楽にかつての
ようにバイク屋に行って店主と日常会話
しながら車両をみてもらうということは
できない。
しかも、カワサキプラザは、元々あった
バイク屋を直営ディーラーにしているケー
スが殆どなので、それまでの顧客は非常に
戸惑っている。
私の友人曰く、客離れが多くみられると
いう。
そうなるだろうし、事実、そうなって
いるようだ。

そして、そうした客離れを食い止めよう
と、カワサキ資本の本社サイドは、各
店舗に厳しいノルマと販売促進を課して
いる事だろう。
そのために新規顧客開拓のために、私の
ところにまで直電をかけてきて車両売り
込みをしたり、修理案件でも新車購入に
誘導したりしている。
現実的な出来事として、カワサキ本社が
どのような課題を直営店に課しているか
が伺い知れる。

カワサキの今の成功は、全国の数少ない
カワサキ代理店の力と根強いカワサキ
ユーザーファンの力によるものだという
ところをカワサキ本社は見失ってはいない
だろうか。
今、その代理店を切り捨て、直営店に
厳しいノルマを課し、これまでのユーザー
の定着を阻害することをカワサキ自身が
やり始めた。
既存車の厚いフォローも含めて直営店が
顧客へのメンテを通して、カワサキの車
を乗り続けてもらえるようにしないと
カワサキに未来はない。確実に急激に失速
することだろう。
新車も既存車も含めたトータルフォローを
しない自動車会社は、トヨタや日産のよう
な大企業にはなれても、顧客との有機的な
結合は薄く、銭金だけの付き合いになる。
カワサキがそれをしたら、二輪部門を
重工が閉鎖しようとまでした時に、二輪
部門の熱意でカワサキ車が復活したその
歴史的に稀有な功績も、また、不人気だ
った時代にもずっとカワサキファンであり
続けた人たちの熱意も踏みにじることに
なる。カワサキ自身によって。

この先、今のままの体制と対応ならば、
カワサキは企業として確実に凋落して
いく事だろう。
今のカワサキは資本の論理を使い過ぎだ。
元々が重工である中にあって、カワサキの
二輪部門は二輪界で一番熱い情熱の開発
販売陣揃いだった。
カワサキは車ではない。人でもっていた
のだ。
それを今のカワサキは忘れているのでは
なかろうか。

ユーザーのカワサキ離れがそろそろ始まる
ような気がする。
それはまず、カワサキプラザには寄り付か
なくなることに端を発して。
でも、他のバイク屋にユーザーが顔出し
するようになっても、そこにはカワサキ
は部品を出さない。
当然にして、ユーザーはカワサキに乗る
ことに決別していくようになる。
そうした図式が、全国で展開されていく
ような気がする。
ここのところのカワサキのカワサキプラザ
の開設の件数が異常だ。まるでコンビニ
開店のように数を急増させている。異様
だ。
異様な事というのは、何かしらの無理を
していることの現れだ。電気量販店の
大量出店と一挙的な閉鎖撤退を彷彿させ
る。
撤退というのは、そこでみているユーザー
を切り捨てるということであるのだが、
資本は利益は愛しても人は愛さないし、
自社製品さえも愛さないので、そうした
出したり引っ込めたりを平気でやる。
理由は、利益第一主義で経営方針を立て
るからだ。
そこには資本の論理こそが正義となる。
社員の締め付けなどもへのカッパだ。
そして、どんどん悪循環となり、衰退して
行く。生き残るためには、より一層辛辣
なことをしないとならなくなる。

カワサキが二輪車部門からの撤退を社内
の俎上に上げた時、カワサキ内部から
改革の狼煙が上がってカワサキ車の人気
を復活させ、収益においてもV字回復させ
た「カワサキの奇跡」は産業界の歴史の
中で燦然と輝いている。
それは、「人」が成した。人の思いを
大切にするカワサキの内部の人たちに
よって「カワサキの奇跡」はこの世に
実現できた。
今はどうか。

今後の産業界の中におけるカワサキの
動向に注目したい。
マシンはどんどん良いものが出来ている。
だがそんなことではない、大きな問題を
カワサキは自ら発生させて抱え込んで
いると思われる。
向こう5年以内にカワサキの「生か死か」
が決定的に方向づけられることだろう。
今のカワサキは打ち上げ花火のように
終わるのか。
あるいは線香花火のように終わるのか。
もしくは、再び「カワサキの奇跡」を
呼び起こすのか。
どちらに転んでも、カワサキから目が
離せない。
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