ドラフト候補カタログ【12】石川昂弥(東邦高)

センバツでは投打に活躍して優勝に導いた石川昂弥(東邦高)(写真:アフロ)

「野手では世代ナンバーワン」

 平成最初のセンバツでV、そして最後のセンバツも優勝で締めくくった東邦(愛知)。森田泰弘監督は、投打で活躍した石川昂弥をそう評した。投手としても5試合すべてに登板し、習志野(千葉)との決勝は3安打で完封しているとはいえ、石川本人は「入学したときは、ピッチャーをやるとは思っていなかった。投げるのも楽しいけど、やっぱり打つほうが好きです(笑)」。つまり、本人も監督もあくまで「野手・石川」なのだ。

 森田監督から「一人で投げて、一人で打ってくれ」といわれたセンバツの決勝では、大会タイ記録となる1試合2本塁打と、投げて打っての独壇場。度肝を抜かれたのはその飛距離だ。初回の先制2ランは、「完璧でした」と本人もいうように、打った瞬間それとわかる当たりがバックスクリーンに。2本目は右中間と、逆方向への打球が伸びる。そういえば「渋谷高校さんのグラウンドを借りて練習したとき、石川の打球が校舎3階のガラスを割ってしまい、謝りました。そんなのばかりです」と苦笑いだったのは、小嶋裕人部長だった。夏の甲子園には出場できなかったが、U18W杯では四番を務め、木製バットながらホームランを含む3割超の打率を記録。世代ナンバーワンを証明したといえる。

試合中、大会歌を口ずさんで……

 ずっと、エリート街道。小学生時代は、NPBの中日ドラゴンズジュニアに選ばれ、愛知知多ボーイズではNOMOジャパンの一員としてアメリカ遠征に参加した。東邦では1年秋から四番。秋の東海大会では、凡退なら試合終了となる三重戦で逆転弾を放ち、翌年のセンバツ出場をたぐり寄せた。そのセンバツでは無安打だったが、2年夏の西愛知大会では、決勝で敗れたものの四番・サードとして打率.737、12打点と大暴れしている。新チームでは、チーム事情から強肩を生かして投手も兼任。急造投手とは思えないほどの安定感で東海大会制覇に貢献し、センバツでも優勝投手となったわけだ。

 そのセンバツでは、なかなかおもしろい話をカメラマンから聞いた。石川君、5回終了時のグラウンド整備中のキャッチボールで、『今ありて』を歌っていますよ……。

 今ありて~ 時代も~ 連なり始める

 整備中に場内に流れる、阿久悠作詞の大会歌。真剣勝負で緊迫しているただなかのエースがそれを口ずさむのが、カメラマン席からわかるというのだ。楽しそうで、なかなかいい。本人に確かめようとしたのだが、なにしろチームの中心としてつねに報道陣に囲まれている。ヘタに質問しようものなら、とっておきのエピソードが知られてしまう。で、一計を案じて女房役の成沢巧馬捕手に確認してみると……。

「ああ……そういえば歌っていたかな。グラウンド整備の時間が、ちょうどいいリラックスになっていると思いますよ。楽しくやっているから、アドレナリンが出るんだと思います」

 そう。石川は、本当に楽しそうに野球をやるんだよなぁ。アウトを取ればガッツポーズし、野手からの声かけには笑顔で答える。さらに報道陣との受け答えも、質問者の目を見ながら表情豊か。たとえば広陵(広島)との2回戦では、好投手・河野桂からの一発含む2安打2打点、盗塁も決めて、

「ホームランは自分のスイングを心がけたおかげ。甲子園なんで、小さくならずに思い切って振ろうと思ったんです。ベースを回るときはもう、興奮状態でした。盗塁は、足に自信はありませんが、いける、というタイミングがわかるんです。走ると、ピッチングにとって体は疲れますけど、あたたまってちょうどいいです」

平成最後のスーパースター

 それにしても、東邦のセンバツ優勝はできすぎだった。平成最初の大会に優勝した東邦が、平成最後のセンバツ大会も優勝で締めくくるのだから。東邦のセンバツ56勝は史上最多で、5回目の優勝も単独トップ。スタンドから「平成最後のスーパースター」と声をかけられた石川は、こんなふうに振り返った。

「正直、大会前は優勝できるとは思っていませんでした。ただ、2回戦で広陵に勝ってからは、自分たちの野球ができればもしかしたら……と思ったし、実際に自分たちの野球ができたことが優勝につながったと思います」

 高校通算55本塁打は、「力まずに軽く打ってホームランになるのが一番いい。でも、狙っているわけではありません」と本人。理想とするのは「思い切り振っているようには見えなくても、ボールは飛んでいく」という大谷翔平のバッティングだ。そういえば、逆方向に驚異的に伸びていく石川の打球は、大谷とどこかだぶるよなぁ。