楽園の先に現れるもの―『Fate/hollow ataraxia』、「Realta Nua」
坂上:村上くんの方から『hollow』の話が出ましたが、あれは色々な意味で解釈の難しい作品ですよね。
奈須:先ほど武内が言ったように、桜ルートを理解してもらえなかったという不安が僕の中にあり、それに対するアンサーやリベンジの意味も込められた作品になっています。ユーザーから“ファンディスク希望!”の声が予想以上に多く、ではファンディスクを作ろうという話になった時、単なる後日談のようなものはやりたくないと思った。『月姫』のファンディスクである『歌月十夜』においては、日常の断片を描いてファンディスクが永遠に続くんだと思わせておきながら「それでも終わりはあります、お祭りは終わるんですよ」という構成を作った。しかし、それをやってしまった以上、いざ『Fate』のファンディスクを作るとなった時に、同じテーマは使えない。それでもユーザーがここまで愛してくれた以上出さないわけにはいかないというジレンマに悩まされていました。そうやって考え続けた結果、ひとつだけやり残したことに気付いた。アンリマユを描いていなかったんです。そこで士郎のカウンターとしてのアンチ・ヒーローのような形でアンリマユという男の話を書いてみたいと思った。同時に、『hollow』という作品自体がファンディスクの完成形でありながらも、ファンディスクを否定する二重構造として作れるのならやる価値がある。一年半もかかったのは想定外でしたけど(笑)。しかし、当初のコンセプトを貫けた渾身の作だと思ったら、意外と“ファンディスクの決定版にして否定”というコンセプトが伝わらなかった。実はこれが奈須きのこにとっての最大の挫折で、それからの一年間は自分が何をやっていたか覚えていないんですよ。そのくらい、自分に対する無力感が強まった時期でもあります。
武内:『hollow』の企画会議の時に、士郎が出ないって言われた時はやっぱりビックリしました。
坂上:視点は基本的にバゼットか、士郎の擬態をしたアヴェンジャーのもので、士郎本人は最後にちょこっと出てくるだけですね。
村上:実際『hollow』は相当にインパクトのある作品だったと思います。アヴェンジャーとバゼットを中心にして物語がぐるぐると回転した挙句、最後には片われが消滅してしまうという話ですから。
奈須:ゲームである以上、面白いアイディアを盛り込もうという気持ちがありました。たとえば、実質的なラスボスであるアンリマユに開始直後から会いに行くことができるんですよ。けれど絶対に勝てない。しかし、少しプレイしてグラフィックルームに行くと、天の杯の形をしたステンドグラスがあってそこにCGが埋め込まれていくことが分かる。「欠落があるかぎり、この世界は回り続ける」とアンリは事あるごとに言います。そこで勘のいい人はイベントを全部見ないとアンリマユを打倒できないんだと気付く。要するに、全ての可能性を潰すことによってしか、この世界に別れを告げることはできないというメッセージをシステムからでも語ろうと。90年代前半まで、18禁ゲームというのは物語を楽しむのではなくCGを埋める目的でプレイされていた側面があります。CGをコンプリートしないとみんな気持ち悪くてやめられないんですよね。しかし、世界の終わりを知るということはその世界を殺し、次の世界=新作ゲームへと無慈悲に進むことなんです。それだけの情熱をもってコンプしたゲームは、その瞬間に忘れ去られる。僕が『hollow』でやりたかったのは、それを踏まえた上でひとつの世界に永遠に留まるか、それとも進んでいくのかを選択してもらうことでした。そしてアンリマユが考える正解は後者です。ある世界を食いつぶして先に進むことは尻軽な話ではなく、人が生きるということ自体がその繰り返しなんだから胸を張って食いつぶしていけ、というのが彼の言いたかったことなんです。だから、最後にバゼットと背中を合わせて別々の方向に走っていくというのは、思い出を永遠にするな、常にそれは更新されていくんだから自分の生き方にいじけたりするなというメッセージでもあります。しばしばその終わり方について「書を捨てよ、町へ出よう」的なオチだろうと言われたんですけど、全く逆というか……オタクでもいいじゃん、「外を捨てて書を読み続けろ」みたいな。お前らひたすらゲームをやり続けろってことですね(笑)。お前らがやり続ける限りは、俺たちも永遠に世界を作り続けるぜ、ということを発信したかった。
村上:『hollow』においてはイリヤの存在も重要だったと感じます。奈須さんの作品ではお姉さんキャラが強い場合が多いと思うんですけど、イリヤというのは士郎にとって姉でも妹でもあるという特殊な存在です。しかも彼女の場合はそれに加えて突出した母性のようなものを持っている。それが最も顕著だったのが、『hollow』のラスト付近でアヴェンジャーを送り出す際に、「あなたは哀れに消えるしかないのね、でも行くしかないならしょうがない」という台詞を発するシーンだと思います。このシーンが、『Fate』における桜ルートを補完するような話になっていたことで、より一層イリヤというキャラクターの奥深さを感じました。そのあたりについて奈須さんはどこまで考えていたんでしょうか。
奈須:『Fate』の頃には姉でもあり妹でもあるという点を強く意識していましたね。それが『hollow』においては、物語の中で例外的にアヴェンジャーの存在を認識していながらも見送らざるを得ないというポジションにカレンとイリヤが存在するんです。あの二人は永遠の楽園を外から俯瞰している人物です。報われない人生を送ったアヴェンジャーが自らの意思で楽園を去っていくという時に、留まっていいんだよと本当は言いたいんだけど、本人が選んだ以上その選択を尊重する。その意味で本当に母親的な存在なんですよね。その結果として『hollow』におけるイリヤは『Fate』とは違う意味合いを持つようになったんだと思います。『Fate』の頃にはこうした母性については考えていなかったので。ただ、『Fate』でも最後に扉を閉じるのはイリヤだし、彼女の肉体を使って士郎が転生するという話になっていたりと、母性的な役割を結果として担っている部分はありますね。
村上:アンリマユが胎児のイメージになっていることで、より一層『hollow』におけるイリヤの母性が際立っている部分もあるのかもしれませんね。それと、ファンディスクとは少し違いますが、PS2用のソフトとして『Fate/stay night[Realta Nua]』(以下『レアルタ』)が出た際に、ラストエピソードが追加されていますよね。アーチャーが歩き続けた果てにセイバーと再会するというのは、前に進むことで何かを得てもいいじゃないかという奈須さんの気持ちが反映されていたのかなと思うんですが。
奈須:当時『レアルタ』を作ることが決まった際、武内がプレイステーション版特典を付けようって提案したんですね。そこで「もう付けるものないよ、マジ勘弁」って言ったら彼が「セイバールートのトゥルーエンドを作るんだよ!」などと言いだして一日喧嘩になりました(笑)。僕としては「何言ってんの! あのセイバーエンドを汚す気!?」という思いがあって。それでもユーザーがそれを求めているのも確かだし、武内は引く気はないしということで、どうにか本編の軸がブレない方向で、正義の味方へのご褒美を足した結末を考えたという次第です。ラストエピソードの初めのタイトルって「Robot man」だったんですよ。真っ暗な画面に「Robot man」という文字が白抜きでシンプルに出てくるというものでした。士郎というのは『オズの魔法使い』で言えばブリキの木こりに当たる存在なんです。そんなブリキの木こりが人間になるという形で『Fate』は終わるわけですが、ロボットのように、プログラム的に理想を求めて人間の喜びを捨てた男が、その生き方を愛してくれる存在によって死後人間になれる……という話なら、「Fate」として成立するだろうと。
武内:『レアルタ』で『Fate』の世界をプレステに広げられるとなった時に、凄く高いモチベーションで挑んだんですね。誰もやったことない移植をしようと思って、大幅にCGを追加したりもしました。その上で『Fate』という物語に完全なエンドマークを付けるにはどうしたらいいかと考えた時に、やはりセイバーのトゥルーエンドがひとつの顔になるのではないかという思いがあったんです。それは同時にいい加減『Fate』から脱却しようという決意の表れでもありました。
奈須:あの頃はひとつの作品にここまで時間をかけるのはまずいなという気持ちもありました。けど、『hollow』の挫折感から一年くらい経った時に、一生付き合っていく作品があってもいいんじゃないかと考えられるようになった。虚淵玄さんにはしばしば、「『Fate』はサザエさんになればいいじゃん」と言われるんです。それはどういう意味ですかと訊いたら、「あなたが生きていく限り永遠に続くものだから」と言われる。「それはきついわー」と返すんですが「俺はそのモチベーションで『Fate/Zero』を書くからね」と返されて、もう「そうですかー」としか言えなくなる(笑)。以前の僕はひとつの作品に長く付き合うことが嫌だったんだけど、2008年辺りからは続けられるうちは続けるっていうのはいいことだよなと思うようになりました。ただしそれは、『Fate/stay night Ver.2』を出したりCGやキャラクターを単に追加するということではなく、『Fate』という世界観を使いながら完全に新しいものを出していくというイメージがあっての話です。「ガンダム」のようなものを想定して成り立つ理想ですね。新作も勿論出すけれど、求められるうちは『Fate』という世界を回したいと今は思っています。
武内:虚淵さんはそのことをかなり早い段階から言ってたよね。アメコミにしちゃえばいいじゃん、って。
奈須:僕は彼の言っていることがよく分からなかったんだよね。あの男はキュゥべえだから(笑)。やっぱりキュゥべえのことを理解するのは人間である僕には難しかったんだけど、2008年くらいになって「貴方の言うことにも一理ある。俺も魔法少女になるわ!」という方向に進めました。
4/7ページ 奈須きのこの世界観――IFを含んだ箱庭、感性と理性、壊れた主人公
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