渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

MCというもの

2018年11月24日 | 公開情報


あるスズキ隼乗りが、私のMCハチコマ=第8コマ
ンドの看板ベストを見て、カッコいいから欲しい
ので値段を教えてくれと言って来た。
組織の看板は売り物ではない。
MCの本看板はMC組織員以外は着用できない。
そして、MCとは、ツーリングクラブやライダー
スクラブや仲良しサークルではない。
TON-NAPの英国カフェレーサーたちとも、また
MCの本場といわれる米国のバイカーズたちとも
日本のMCは異なる。
日本のMCは米国のハーレー乗りMCの模倣ではな
い。
米国MCは今や半ば政治団体化してトランプを支
持したりしているし、政治的圧力の予備軍として
動いたりもしている。60年代には反権力の独立
精神の象徴だったような老舗MCがだ。
また、米国国内では反社会的な組織暴力にもそれ
らのMCは深く関与するようになってしまった。
それは、もはやMCではない。

日本のMCは、組織も世界観も価値観もインディ
ペンデンドだ。本来のMCのかつてあった姿を本
場米国を凌いで保っている。
そして、MCとは、モーターサイクルを中心に人
生観を捉える。
そのことは口だけでなく、「共に走る」ことに生
の在り処を見出す。
精神的には、誰からも干渉されない。
その外圧は断固として拒否する。
特定の政治団体などに与するなどはあり得ない。
それが日本のMCだ。

MC全般についての解説はこちらの解説が的を射
ている。
こちら

MC解説で「ハーレーに乗るライダー」と説明す
るネット記事も結構あるが、まるで解ってない。
というか馬鹿でしょ?書いてる奴は。
トライアンフなんてのは言葉も知らないに違い
ない。

ただ、それを書いてる奴のように、分別も識別も
つかず、仲良しの知り合いやトモダチ同士で走る
お仲間とMCとの区別がつかないバイク乗りの
人間も多いようなので、なんというか、結構、
MCである人間のほうが面食らう事は多い。





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