四輪車や二輪車で多様されるトラクションとい
う用語は、英語では牽引力のことを指すが、別
な表現では駆動力とも解説されたりする。
だが、これらは用語の運用としては現実的な
イメージには合致しない。
咀嚼して分かりやすく説明するならば、トラク
ションとは、タイヤが路面に接地して摩擦によ
りタイヤがグリップ力を発揮して車を前に蹴り
進めるような作用のことをいう。
駆動力としてしまうと、それは厳密には、動力
伝達部位の車両側の機構や状態を指すことに
なる。車両の動力部で駆動力があっても車が前
に進まなければ意味がない。
トラクション=駆動力ではないことに概念上は
注意する必要がある。
トラクションは、タイヤが路面に食いついて車
体を前進させる摩擦力のことを指すのである。
駆動力という単語を使うならば、「駆動力伝達
成果」とするならば、現実的なトラクションと
いう表現の運用方法と合致するだろう。
また、減速時のトラクションの場合は、駆動力
減殺に伴う路面とのタイヤの密着状態のことを
指すので、駆動力とは切り離して概念を構成す
る必要がある。
「トラクション=駆動力」ではないと私が指摘
するのは、二輪車の挙動説明においては、その
ような内実が存在するからなのだ。
オートバイの場合、トラクションのコントロール
は従来はライダーが繊細な操作により実行して
いた。
ほんの僅かなスロットルの開閉によるチェーン
のたるみと張りの変化だけでもトラクションが
大きく変化する。
駆動力を後軸にかけている時が車は一番安定
するが、それは、路面からのトラクションが
有効に作用しているからだ。
そうした刻々と瞬時断続的に変化するトラクシ
ョンの状態をかつては乗り手全員が感知して
オートバイをライドさせていた。
しかし、現在では路面とタイヤの接地の様態を
コンピュータが検知して適正なサスの動きを司
令したりするトラクションコントロール機能が
備わったマシンが登場している。
レーシングマシンではその機構の搭載は常識的
になっているが、一般公道市販車でも高級機種
にはそのシステムが搭載されはじめている。
30年前と現代のオートバイでは、電子制御系に
おいては隔絶の差がある。
ただ、あまり度が進むと、自動二輪車は、本当
に自動で走行する二輪車になってしまい、人間
はコマンドを入力して跨っているだけになるか
も知れない。四輪車ではすでにその方向が実用
化されつつある。
電車やバスやモノレールでも使っていたほうが
いいのに、と思う。
車という物が、インディペンデントな人間の
アイデンティティと寄り添い、それが他者と
相互に協調し合って人の社会を構成する「個」
の集合体としてのパブリックなビークルでは
なくなるからだ。
四輪車もそうだが、オートバイが乗り手の意思
を微塵たりとも離れることが運行の一部を構成
する方向性は、私はこれを否定する。
そんなものはバイクでも何でもないからだ。
オートバイは、人が乗り、人がコントロールし、
人が前に進めるものだ。
進むも止まるも曲がるも転ぶも、全て人次第。
それこそがモーターサイクルだ。
私はモーターサイクルに乗りたいのだ。
自動運転二輪車に乗りたいのではない。
自立自走二輪車開発などは、愚かな科学力の使
い方であり、「作らざるべき物」を作っている
未来を見誤った知性の無駄遣いだと私は確信し
ている。