別れといっても別離ではない。
出会って、それぞれの道を行く時に「では
また」と別れる。
「ではまた」はいつどこでと約束している
している訳ではない。
出会いも「お」「おお」という感じで、
そのあたり東本昌平はよく捉えて作品で
描いているが、あれは現実世界でよく
見かけるシーンだ。
同好の士だからとベタベタしてはいない。
サラリとしている。爽やかだ。
誰にも媚びず、かといって尊大にそっくり
返ったりもしない。
ニヒって自己陶酔の世界に浸り他者を見下
すこともしない。
私は本物の乗り屋のその空気が好きであ
る。
でも、こういう雰囲気で何気なく何の
屈託もなく話しかけたり、話かけられた
りするのは、大抵は私と同世代だったり
するという現象がある。
80年代をバイク乗りで過ごして来た世代
には帯同する何かがあるのだろう。
SNSとかではなくリアル世界で「やあ」
「ども」「お」「おお」でスッと関係が
始まる。
そして、適度な距離感を保ちつつ互いを
認める。
それはもはや「気風(きっぷ)」とも呼べる
何かしらの一つの相似性の意識を無言の
うちに構成している。
乗り屋は乗り屋だと、見てすぐ分かる。
格好やマシンなどではない。
態度や醸し出す雰囲気が乗り屋独特の
ものを漂わせているのだ。
それは決して威圧的ではなく、静寂なる
佇まいとしての存在感がある。
これ、思うに、それぞれが確立した自主
意識と静かな自信があるからだと思う。
転んだ事もあるだろうし、入院した事も
あるだろう。
そうしたことを全てひっくるめて二輪車
と共に歩んで来た。
乗り屋がマシンから下りた時の佇まいを
見ると、誰もが落ち着いている。
見ていて清々しくなる。
特に年齢を重ねた人たちのその不思議な
爽やかさは、見ているだけでも心地良い。
朗らかで気持ちのよい、そよぐ春風のよう
だ。
過日も「やっとお会いできました」と
見ず知らずの乗り屋から声をかけられた。
3年前から読んでいる読者です、と。
250でそのお二人はやって来ていた。
いろいろ乗り話になった。
詳しいなあ、バイクとバイク業界のこと。
いろいろ知らない事や地元の逸話も教えて
くれた。
ある峠で最速と言われた人が峠で死んで
しまったことや。
私が以前見たかなり速い人は後にヤマハの
ワークスライダーになった有名な人だった
りとか。
マシンの話も互いの所見を述べ合ったり
したが、3人ともほぼ全域で認識が共通
していたことが面白く思えた。
そりゃ曲がらないものは現実的に曲がら
ないし、止まらないものは止まらない。
そうした事実、事象は経験者たちは経験
してきて知悉しているので否定のしよう
がない。ライターで火を点けると炎が
出ます、というくらいに当たり前の現実
の事実としてごく普通に認識している。
脳内妄想一切無し。リアルだ。
そして、その炎の取り扱い方について、
それぞれの自主的主体的な取り組みで
臨んでいる。そのあたりの内容の深い
意見交換のやりとりが面白い。なるほど
なあ、そういう切りかたもあるのか、と
一方ではなく、互いがなる。
実りある空気と時間が流れる。
オートバイ乗りというのはそういうもの
だ。それがいい。
出会った時は私は4ストだったが、あと
20分位まだいらっしゃいますか?と尋ね
たらいると思いますとのことなので、
下山して家で2ストに乗り換えて急いで
峠を登った。
そして、バイクを並べてまたバイク談義。
最後は一緒に2スト250の3台で峠を走っ
た。
2スト250と峠を走るなどというのは、
実に数十年ぶりだ。
とてつもなく楽しかった。
お二人とも上手いので、共に走り出して
何の不安もない。
途中で、走行順列のオーダーを入れ替え
させてもらって私が真ん中を走らせても
らった。
たった5kmの共走りだったが、何十年ぶり
かの格別な楽しさだった。
途中、ペースが上がっても楽しくみんな
で走った。ハイウェイ(公道を指す英語)
でダンスをするように。
タコメーターの針もレッド付近でダンス
している。そうかい。お前も俺たちの
仲間に入りたいのかい。さあ、一緒に
踊ろうぜ、と誘うと、エンジンもサスも
タイヤもタコの針もハイウェイダンシング
に参加する。
楽しい。
3人のハイウェイダンサーは4分程で5km
の峠をダンスしながら下りた。
バイクは2ストだろうと4ストだろうと
楽しいものだし、どちらかを排撃した
り差別したりする気は私にはないので、
時々そういう言動をする二輪乗りを見る
と、何なのかよく分からない。
自分のバイク以外は認めないのだろうな
あ。狭くてつまんないじゃん、そういう
の。
大笑いした。
40年程前の2ストRZR、32年前のKR-1、
28年前のNSRを並べて、古いねえ、と
か言い合っていたら、そこにドドッと
すごいのがやって来た。
下りたお二人のお一人が仰る。
「63年前の高校時代のバイクだ」と。
メグロスタミナの二台並び走行。
うちらの30ン年前のバイクが新車に見え
た。
63年前に高校時代って、もう80歳位に
なられる訳でしょう?
恐れ入り屋の鬼子母神だ。
私たちの2ストクォーター3台を見て、
メグロさんたちは「また古いの乗ってる
なあ〜」と笑いながら仰る。
いえ、そのスタミナに比べたら、うちら
なんてまだほんのヒョッコでして。
我ら3人の同世代フィフティーズ2スト
クォーター乗りは、別れ際には丁寧に
大先輩方に頭を下げてからエンジンを
始動して峠を下りた。
バイク乗りはいいもんだ。
本物系ね。
他人への揶揄罵倒をネット掲示板やSNS
で書いて喜んでるようなのではなく、
真にバイクが好きな連中。
峠に行って、峠からスマホでそんな他人
貶しを書いてる暇あるなら、もっと風の
声を聴いたり、大気の気配を感じたり、
空の顔を見たりしたほうがいいと思う。
私はそうしている。
そうしたチャンスがある時間なのだから。
なぜ、爽やかな峠に来てまで、野壺タン壺
の中に自分から没入するかなあ、とか思う
が、それは人の自由、大きなお世話だろ
う。
私はやらない。
自分の走りの世界とそこで触れ合う人を
汚したくないから。
それでなくとも、走るだけで4ストだろう
と2ストだろうと、空気汚してるんだから。
その忸怩たるものは持っている。
バイクではない。
人なんだなあ、と乗り屋を見ていると
思う。
恬淡にして静寂なる熱を秘める。
私は走り人たる乗り屋が好きだ。