269話 秘密の尻尾
シイツが人を呼びに行ってから、戻ってくるまでは早かった。元々どこにいるかが分かり切っている引きこもりを連れてくるのは楽なものなのだ。
「お呼びと伺いましたが」
「ホーウッド殿、忙しい中呼び立ててしまい申し訳ないです」
ホーウッド=ミル=ソキホロ。
かつては王立研究所で働く研究員だったが、ペイスにヘッドハンティングされてモルテールン家お抱えの研究者となった男である。モルテールン領立研究所の所長でもあり、モルテールン家の技術担当となりつつある頭脳派だ。
日頃からデスクワークであるためひょろりとしていて、肌も色白い。身だしなみにも頓着していないため髪もぼさぼさだが、知識欲からくる行動力だけはペイスにも劣らないという、逸材でもある。
「なんの。ペイストリー殿の御蔭で伸び伸びとやらせてもらっております。お呼びとあれば何時でも駆け付けますとも」
「恐縮です」
ホーウッドは、肩書こそ研究者であるが、号を持った貴族でもある。しかも、モルテールン領の最高機密を知っている人間でもある。
それ故、モルテールン家としても最上級の接遇で接する重要人物なのだ。ペイスが丁寧な対応をするのもそのためである。
「それで、ご用向きは?」
着席を促して落ち着いたところで、中年男が話を切り出した。
「少し、専門家の意見を聞きたいと思いまして」
「小職にわかることでしたらなんなりと」
ホーウッドは、ペイスに対してかなり恩義を感じている。閑職に押し込められて逼塞していた境遇から救ってもらい、今は好きなことを好きなようにさせてもらえているのだ。感謝こそあれ、不満などは全くない。
しかも、最近では秘密裡ながらもレーテシュ家などから功績を称える話が届いている。勿論将来的な引き抜きを視野に心証を良くしておこうという腹なのだろうが、褒められて悪い気にはならない。
功績をまともに認めてもらえる。これこそ、ホーウッドが長年求めていたことなのだ。
感謝と恩義に報いるため、何か出来ることがあるなら何でも言って欲しいというのが、彼の正直な心情である。
「では単刀直入に。龍の鱗や骨、或いは牙や爪が、“軽金”の原料である可能性はどれぐらいありますか?」
「は!? え!?」
「坊!!」
ペイスの発言に、ホーウッドやシイツは驚いた。
それもそうだろう。この世界、少なくとも南大陸とそのお隣ぐらいでは、戦略物資ともいえるほど重要視されている物質を、こともあろうに龍の素材が原料と言い出したのだから。
「可能性はありますか?」
重ねて問うペイスの顔に、お茶らけた様子はない。あくまで真剣に尋ねている。
雇用主の真剣な問いかけに、ホーウッドは一研究者として真面目に考えた。果たしてペイスの言う言葉にどれぐらいの可能性が有るのかと。
そして、考えれば考えるほど、ペイスの言う可能性が高いものであると気付く。常識人としては一笑に付す類の話であるにも関わらず、何故か専門家としての部分が笑い飛ばせずにいる。研究者として、自分の常識を疑う感覚は実に久しぶりであった。
「……調べてみないと断言はできませんが、可能性は有ると思います」
「坊、どういうことか、説明してくれませんかね?」
ペイスが間の説明をすっ飛ばしていきなり結論を持ってくるのは今に始まったことではないが、一般人ではその間こそ説明してほしい部分である。
そもそも、何をどういう風に考えて、龍の素材が重要な戦略物資に結びつくのか。シイツが知りたいのはそこの部分だ。
「まずそもそも、教会の人間が、何故うちに来たのか」
ペイスが、議論の始点を示す。
最初に考えるべきは、何故か突然現れた聖職者にあると。彼が何故モルテールン領にわざわざやって来たのだろうか。
「そりゃあ、龍の素材を懐に入れるためでしょう。面倒を避けるためにって親切めかして」
そして、何故という問いの答えはすぐに出る。司教当人が言っていたのだから答えは明らかだ。龍の素材を欲しがってやって来たのだろう。
「それはその通り。しかし、そこで思ったのは、それでは教会に面倒ごとが移動しただけではないか、ということです」
「おお、そりゃその通り。しかし、それで教会は儲けるってもんでしょう?」
「どうやって?」
「龍の素材を売って……ではないですか?」
龍の体をどう使うのか。肉は食べるにしても、頭蓋骨など飾る以外に使い道などない。勿論、飾り物としては抜群の効果があるものだし、希少価値というなら間違いなく珍しさはある。転売することもさほど難しいこととは思えないし、その際に相応の利益を得ることも可能だろう。
だがしかし裏を返せば、換金素材としての価値以外に、龍の素材を欲しがる理由が無いということになる。本当にそうなのだろうか。
「売れると思いますか? 俗世から隔離されていることが教会の意義。政治権力と出来るだけ関わらないからこそ安全でいられる。それが龍の素材の分配という“利権”を手にする。それで得られるのは金。妙では無いですか。それならば最初から金を寄越せと言えばいい。面倒ごとを抑えてやるから、金を寄越せと。或いは、当家に売らせておいて上がりをせしめても良い。顧客を紹介するから手数料を寄越せ、でも構わない。しかし先ほどの交渉。僕には違和感があった」
「なるほど、それは確かに。金が目的なら、あえて龍の素材を欲しがるのは不自然でさあ」
「そう。つまり龍の素材には、不確実性の高い換金ではなく、もっと確実に利益になる“使い道”があると考えるべきです。飾りやアクセサリーのような使い道で無い、実利がある使い方。そうでなければ、アポも取らないほど急いでやって来るはずがない」
「ほう」
転売で儲けようと考えていないと仮定すれば、教会には何かしら龍の素材の使い道が有るということ。教会という組織は神王国の歴史よりも古い組織。何がしかの秘密を抱えていても不思議はない。
むしろ、お金儲けの手段として龍の素材を欲していたと考えるより、別の何かの手段に龍の素材を欲していたと考える方が自然に思えてくる。
「そう考えると、素材の中でも龍の血ではなく、体の方を欲しがった不自然さにも気づく」
「そりゃ、龍の血の“癒し”を確信していながら、色気を見せねえってのはおかしいな」
「教会にとって、龍の血よりも、体の方が利用価値がある。ここにヒントがあると思いました。教会の最大の既得権益は、何だと思いますか?」
「信仰と……魔法でさあ」
俗世には関わらないのが教会ではあるが、数少ない接点の一つが聖別の儀式。魔法を使えるようになれるとなれば、教会の存在意義は唯一無二となる。また、王家のあずかり知らないところで地方の権力者が強力な魔法使いを抱え込み、反逆の為に力を蓄える、というようなこともなくなる。
信仰と魔法。この二つが、教会のみが有する既得権だ。これを抜きにして教会を語ることは出来ない。
「そうです。教会は聖別の儀式を始めとして、魔法に関わる権益を独占しています。魔法使いになろうと思うなら、必ず教会の世話になる。そして、聖別の儀式で使われるのは薬と軽金。薬の方は作り方も判明している公然の秘密ですが、軽金の採掘に関しては不透明な部分も多い」
「金が魔力で変化したものって説が有力ですぜ?」
「ええ。しかし考えてみれば、魔力で金が性質を変えるのなら、他の物質なんてもっと容易に変化していても良いはず。魔力による物質への干渉が難しいことは、ホーウッド殿ならよくご存じでしょう」
「それはもう。専門分野です」
ホーウッドは、自信を持って頷く。少なくとも軽金以外に、軽金と類する力を持つ金属は無い。断言できる程度には網羅的に実験を繰り返してきた。だからこそ、ペイスが魔法の飴を作るまで、魔法の汎用化が実現しなかったのだ。
そもそも、本当に採掘で軽金が採れるとするなら、レーテシュ家を始めとする金山を抱える貴族が、もっと魔法使いを抱えるなり、軽金を採掘するなりしていないとおかしい。金鉱脈と軽金鉱脈が別というならば話は通るが、だとすれば今度は金が変化して軽金になるという通説自体が矛盾してくる。
「教会は、何故龍の体を欲したのか……」
ペイスに言われてみて、シイツは司教とのやり取りに違和感を覚えた。確かに、最初から龍の体が目当てだったと言われてもおかしくない交渉だったと思い当たる。明らかにそこに落としどころを持ってくるように、巧妙に交渉が行われていた。もしもペイスが不自然に突っぱねていなければ、家の利益を鑑みて妥協していた可能性は大いにある。或いはあそこで寄付では無く購入という話であれば、頷いていたかもしれない。
恐らく、ペイスが断固として突っぱねず、少し考えてなどと色気を見せていれば、後日の交渉カードとして妥協案を持ってきた可能性はある。
「軽金が龍の体と同じ?」
「やはり、そう思いますよね?」
教会が独占している数少ない権益が“魔法使いを作る“ための軽金。
そして明らかに目の色を変えて欲しがった龍の素材。
イコールで結びつけることは不可能ではない。
「しかし、それなら坊が魔法を使えたってのも変じゃねえですかい?」
「ふむ、それは確かに」
ここでシイツが、ペイスの仮説に異論を投げかけた。仮に龍の素材と軽金が同一のものであるならば、ペイスが龍の体の中で好き放題魔法が使えたのはおかしい。軽金に囲まれた空間では魔力を取られて魔法が使いにくくなることは常識の範疇なのだから。
「僭越ながら、軽金が“合金”である可能性に思い当たりました」
ホーウッドが、これまでの議論の中から専門家として新たな可能性に思い当たる。龍の素材そのものが、何がしかの秘匿技術に抵触するのは確実として、素材そのものの加工というよりは、既存の加工技術にプラスされるものではないかという可能性だ。
「混ぜ物をしてるってことですかい?」
「そうです。元々、私も研究していて不自然さを感じていたのです。何故、軽金だけが著しく魔法の汎用化に適するのか、と。他の金属では何故上手くいかないのかと。長い間不思議でしたが、今の話を聞いていて、もしかしたらと思い当たった次第で」
ホーウッドはこの道を二十年近く歩んできた、神王国でも唯一と言っていい軽金と魔法の関係性の専門家である。汎用化を目指し、ありとあらゆる知見を積んできたと自負する。
だからこそ、最も有力な説として軽金が合金である説を提示する。
「軽金が合金であるというのが真実だと仮定するなら、何故か天然の採掘物であるという誤情報が、流布されている。必死に探しても、見つかるわけもないとなれば、教会は軽金を独占し続けられます。実際、軽金を採掘している場所はどこか知っていますか?」
「聞いたことが無いですね。よほど入念に隠されているのかとも思ってましたが」
軽金は、金が天然の魔力だまりによって変異したものとされている。
しかし、現在流通する軽金は何故か教会が独占しており、採掘場所がはっきりとしているものは一カ所とてない。やはり、ここに秘密がありそうだとの思いを新たにする一同。
「本当にそうなのかもしれませんし、合金でもないのかもしれない。しかし、僕の思い付きを否定する材料はない」
「坊の思い過ごしってこともあり得るんじゃ?」
シイツは、あえて反対意見をぶつける。教会の坊主が無茶を言い出しただけで、いきなり軽金が作れるなどと言い出すのが変なのだ。ペイスが妙な考えをしているという可能性も、捨てられないものだろう。
「勿論その可能性はあると思います。深読みのし過ぎである可能性を排除するつもりはないです。しかし、教会は情報操作に関してはエキスパートです。表に出ている情報が百パーセント正しいと考える方が間違っている。軽金という教会の最大の既得権益について、聞こえている情報が全部正しいと考えるより、根本的に何かが間違っていると思っていた方が正解に近いはずでしょう」
「そりゃ、まあそうです」
あらゆる組織からの中立を謳い、どのような政争があろうとも真ん中に居続けられる教会は、情報操作などお手の物の強かさがある。
だとすれば、自分たちの既得権についても情報防衛をしていないはずがない。ペイスはそう断言する。情報防衛をしているとするならば、今現在当たり前に通説と思われていること自体が、根本的に間違っているとした方が正解に近いはずである。
常識こそ疑う。モルテールン家のお家芸ともいえる。
「率先して情報操作をしているものが居て、教会と近しい。恐らくは教会そのものが積極的に情報をゆがめている」
「……なんだかヤバい話になってきてませんか?」
話の方向が、どんどんと教会組織の秘部に向かっている気がする。シイツとしても、止めるべきかどうかを悩んでしまう程度には危ない方向性である。
「無論これは、本当であれば教会の秘中の秘。どうあっても守りたい秘密でしょうが……だとすれば、今度は軽金の流通量が少ないことに違和感が生まれます」
「流通量が少ない?」
「軽金は、ホーウッド殿の研究分野の先行研究で、既に確実な“魔法の付与”が出来る物質とされていました。希少さ故に汎用化とまではいきませんでしたが、研究の基礎を構築していたもののはず」
「はい、その通りです」
そもそもホーウッドが前職として勤務していた王立研究所の汎用研では、軽金を使った魔法汎用化の理論は実証されていた。軽金を使えば、誰でもとまでは言わずとも、より多くの人間が魔法を使えるようになるという事実があった。しかし、軽金がべらぼうに高価なものの為、汎用化の為にもより安価かつ大量に手に入る代替物質が無いかを研究するのが、汎用研の目的の一つだった。
見学を希望すれば誰でも受け入れていた窓際部署の汎用研だ。研究内容などは駄々洩れだったし、教会がそれを知っているのは当然と考えるべきだろう。
「とすれば、教会としてもこっそり量産して、魔法使いを増やせたことになる。にもかかわらず、軽金の数が増えなかったのはなぜか……」
軽金が合金であり、作れるとしたならば、教会が軽金を量産しないことに不自然さが生まれる。もっと軽金を作り、魔法使いをドンドン作ることが出来れば、社会に対してどれだけのプラスになったことだろうか。そして、その社会貢献の大きさに、誰も気づかず、誰も触れなかったというなら、教会はアホの集まりか、余程の反社会的思想の集団ということになる。これはつまり、軽金を作りたくても作れなかったと考えるべきなのだろう。
「軽金の素材が、特殊だから、ですかい」
「ええ。それに、僕らはもう一つ確実な情報を持っています」
「確実な情報?」
「……鉱山採掘について。山を無くす時、我々は大々的に鉱物資源の調査を謳いました。仮に軽金が自然の採掘物であるのなら、この時点で教会の手が伸びてくるべきでしょう。軽金がいざ見つかってしまってからでは、モルテールン家が手放すはずがないと教会ならわかる」
「魔法の汎用化研究に詳しい人間を抱えましたからね」
仮に軽金が自然に採掘できるものだとするならば、モルテールン領の周囲に埋もれている可能性はゼロではない。
そして、モルテールン家は魔法汎用化を模索していた。少なくともホーウッドを抱え込んだことは公然たる事実。ならば、軽金と汎用化技術の両方が揃う可能性があったのだ。
もしも教会が軽金を自然の採掘物と考えていたのなら、この時点で何がしかの接触が有るべきだろう。モルテールン家が二つを手にする前に、対策を取る必要がある。
「教会の軽金独占が、採掘物の流通を抑える点にあるとするなら、新規鉱山の探索に走った我々を掣肘しなかったのは不自然であり、今になって口を出してきたのは、教会の既得権益が危ないか、教会のみが知る大きな利益が有るか。動きの速さを思えば、欲に動かされるというより、危機感の強さでしょう。金を要求しなかった事実とも合致します」
「それで、坊は龍の体に秘密が有ると考えた」
「そうです。あくまで可能性として、龍の体が、軽金そのものではないかと考えました。特に可能性があるのは鱗です。合金というホーウッド殿の意見を考えれば、尚更怪しい」
「ほう」
ペイスは、魔法汎用化の技術の特異性と、鉱山採掘時の動きから、軽金が自然採掘物でないと断定した。そして、教会の今までの動きから、龍の素材に軽金の秘密が有るのではないかと考えた。
ホーウッドは専門家として、そこに合金の可能性を提示した。
ますますもって可能性は高まるばかりだ。
「実際に戦ったからこそ分かりますが、あの鱗は金属以上に堅い。しかし、あくまで生物の鱗である以上、森の中で一切落としていないということも無いでしょう。運が良ければ森の浅い場所で見つかったかもしれない。数は少ないながらも、教会が“鱗だけ”を手にしていた可能性は有る」
何時の時代も、無謀な人間というものは居る。魔の森という呼び名が有ろうと、手つかずの森は資源の宝庫。貴重な動植物もあるだろうと、分け入る人間は居る。魔の森にドラゴンが住んでいたというのが確定している現状、魔の森の中に鱗が落ちていて、それを拾った人間が居た可能性はある。爪が落ちていたり、骨が落ちている可能性よりは、鱗が落ちている可能性の方が高いだろう。それに、龍の鱗と分からずとも、堅くて綺麗な鱗は高そうなものに見える。
「なるほど。確かに、珍しいものが集まるっていやあ、教会かお偉いさんのところだ」
「あくまで推測に推測を重ねた、想像の話です。しかし、教会が血よりも体を欲しがった事実、既存の研究からの知見、龍の素材の特性を鑑み、無視できない可能性だと思ったのです」
教会が龍の素材を欲しがっている以上、軽金か或いは他に何か利用価値があるはず。
ペイスは、今更ながらもう少し司教から情報を引き出しておくべきだったかと悔やむ。
「ほほう。で、どうします?」
「まずは、推測を裏付けます。ホーウッド殿。鱗を何枚か持って行って構いません。
「分かりました」
金貨を鋳つぶすというのは結構な罪になるのだが、ことが事だけに躊躇する謂れは無いとペイスは指示を出した。
ここで軽金の製造方法が分かれば、御の字。仮に失敗しても、可能性を幾つかは潰せるだろうし、絞り込める。やってみる価値はあるだろう。
「それで、このままうちで秘密を抱え込みますかい?」
シイツが、更に突っ込んだ質問をする。
教会の秘事が明らかになったとしたらばどうするか。秘密として抱え込んでも良いのだろうが、そうなるとモルテールン家にとっても動きづらい状況が生まれる。
「……それも不味いでしょう」
「ならどうしますか?」
「教会を敵に回す可能性を思えば、頼れるのは一つですね」
「ほう」
「無理やりにでも、王家を巻き込んでしまいましょうか」
ペイスは、王都の方をじっと睨みつけた。