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【コラム 撃戦記】

極真の竜が語る劇画「空手バカ一代」 大山倍達館長と梶原一騎さんの思い出【山崎照朝コラム】

2020年4月5日 10時36分

キックボクサーとしてプロのリングに上がり、デビュー戦でピサダン・ラートカモル(タイ)に2回KO勝利した筆者(右)

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 梶原一騎先生が「少年マガジン」(講談社)で極真会館の創設者大山倍達の自伝「空手バカ一代」(1971年~77年)を連載し、来年50周年を迎える。私が極真会館に入門したのは高校2年の時。まだ連載が始まる前で、山梨から片道3時間半をかけて池袋の会館に通った。

 中央線もまだ蒸気機関車(SL)だった。通っていた大月市の県立都留高の一年先輩が日本テレビ「笑点」に出ている小遊三師匠。何かと話題にしてくれたため大月は今や全国区の知名度だ。さて、当時の私は授業が終わると列車に飛び乗り、勉強そっちのけで“遠距離稽古”に熱中した。

 その後に進んだ大学も日大闘争のため入学早々に校舎は封鎖。行き場を失った私は道場で暇つぶしの毎日となり空手にどっぷりだった。おかげでキックボクシングブームのさなかプロも経験し、会館主催の全日本空手道選手権大会にも出場。館長にはあちこち引っ張り回されたことで梶原先生との縁が生まれた。

 残念ながら私は目立つのが嫌いで館長や梶原先生の意にそぐわなかったこともたびたび。それでも梶原先生から秘書を通して呼び出され、銀座の高級クラブの豪遊に付き合った。今は梶原先生も大山館長も護国寺に眠る。その護国寺には名作漫画「あしたのジョー」の中でジョーのライバルだった力石徹も眠る。私も命日には合掌に出向くが、梶原先生から“ケンカ十段”とかわいがられた芦原英幸先輩も25年前に他界した。つくづく50年という時の流れを感じている。

 今年の1月、梶原先生の長男・高森城さんから連絡を頂いた。梶原先生存命時の行きつけ店で恒例の「しのぶ会」があり、招かれた。城さんは先生と縁のあった人から話を聞いているとのことだった。

 梶原先生は“スポ根”漫画の原作者として一斉を風靡(ふうび)した。極真も、約7年に及んだ「空手バカ一代」の連載で知名度を高め、組織の急速な拡大につながった。しかし、それも大山倍達という“カリスマ”創始者の他界によりお決まりの分裂騒動が起きてバラバラになった。

 そんな極真の現状に憂いを抱く城さんは「空手バカ一代の50周年を機にまたみんながまとまるようになればいい。何かイベントを考えてそのきっかけを作りたい」と意欲的に構想を語った。ぜひ、実現させてほしい。その時は私も何かお手伝いできればと思っている。(格闘技評論家=第1回オープントーナメント全日本空手道選手権王者)

 

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