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【外国人宣教師・戦国時代】
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ヴァリニャーノはどう言ってた?
宣教師が数多く登場し、天正遣欧少年使節を描いたドラマ『MAGI』。
この作品は、彼らを知るキッカケとしておすすめの映像作品であり、その中で最も重要な役割を果たすのがアレッサンドロ・ヴァリニャーノです。
主役である天正遣欧使節団のフィクサーですから、それもそうでしょう。
しかし、史実では結構なトラブルメーカーらしく、イエズス会内部で足を引っ張られることもしばしば。
おまけに、気にくわない相手にはガンガン直言する、強気で妥協を知らない熱血宣教師でもあります。
「現地の人を見下すな! 違いを認めなさい、布教のことばかり考えていてはダメだ!」
「西洋と東洋の違いがわかる者にこそ、見聞を広めて欲しいのだ」
そんな態度が実に魅力的。しかも、作劇上の創作とは言い切れません。
現地人蔑視を見せるカブラルを痛烈に批判し、日本布教長の座から追いやったほどです。
イタリア・ナポリ王国キエティ生まれのヴァリニャーノは、パドヴァ大学で法学を専攻。
27歳でイエズス会に入りました。しかも哲学や物理学を学び続けたほどのインテリであり、イエズス会でも屈指の俊英として、注目を集めておりました。
当時のアジア布教は激戦区であり、志願者が殺到しておりました。
志願しても何年も待ち続けることがざらにあったというのに、彼の場合志願後数ヶ月、34歳という若さで選ばれたのですからかなりの才知の持ち主でした。
もちろん期待も集めています。
そんな聡明な目線で日本を見て回り、好奇心と敬意すら込めて、報告書を記した人物です。
ヴァリニャーノの日本観察眼は、実に鋭く、ザビエルのようなハイテンションさとはちょっと違います。
かなり冷静な記録が見て取れます。
・身分、能力、思慮、権威、その他宗教家に必要な条件を彼ら(日本人)は備えている
・だからこそ、イエズス会は彼らを受け入れるべきです
・日本人であればこそ、言語や風習を知っています
・彼らと比べれば、私たちは子供のようなもの(日本への理解において最も到達点が深いのは、彼らなのです)
ヴァリニャーノは日本人の識字率を学識の深さに結びつけ、だからこそ宗教を理解するはずだと評価しているのです。
蔑視が全くなかったとは言い切れませんが、そこに露骨な偏見や差別目線は感じられません。
ヴァリニャーノは、日本の風習をよく調べ、興味津々で書き記してもおります。
・西洋では金髪こそ女性の美貌としては最上級だけれども、日本では黒髪を好む
・西洋人はそばかすが多いけれども、日本人は少ない
・日本人は家にあがるとき、靴を脱ぐ
・日本人はあまり散歩をしない
鋭い観察眼ですよね。
外国旅行見聞記として、冷静かつ好奇心旺盛ではありませんか。
ヴァリニャーノは、西洋と東洋は違うと認め、時には正反対の価値観があると理解しつつ、優劣をつけないのです。
違うものは違う。
ただ、そこに上下があるわけじゃない。
偏見を持たずに、ただ違いを受け入れたい。そんな目線が、彼にはありました。
だからこそ天正遣欧少年使節を思いついたのですね。
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自分のように、正反対の世界を見る少年たちが、何か新たな世界を見出すかもしれない。
その期待を込めたからこその、四人の少年たちでした。
カブラルはどう言ってた?「最低最悪の国民だ」
アマゾンプライムビデオ『MAGI』では、歴史上の人物が容赦なく描かれます。
その中でも、最も良いところがない人物が、カブラルでした。
日本人にせよ、西洋の君主や聖職者にせよ、マイナス面だけではなく、プラス面も描かれてバランスが取れているもの。
しかし、カブラルはゲスに始まり、ゲスに終わります。
少なくとも、シーズン1ではそんな扱いですが、史実ではどうだったか?
元亀元年(1570年)にイエズス会から派遣されて来たフランシスコ・カブラル。ザビエル以来の前任者が持つ伝統「適応主義」を全面拒否しました。
肉食は断固やめない。
日本人がラテン語やポルトガル語を学ぶことを全否定。
とにかく差別と偏見に凝り固まっていた人物だったのです。
西洋人のカトリックである自分たちこそが尊く、日本人なんてただの野蛮人。そう軽蔑しきっておりました。
そんな彼だからこそ、日本人観察記録はもう悪意コッテコテの記述になります。
・日本人ほど傲慢、貪欲、無節操、欺瞞まみれの国民なんて見たことがない
・百姓ですら、王になりたい下剋上精神を持っていて、ゲスの極み
・こんな連中をイエズス会に入れるなんて無理ですよ、ペッペッ
貴族出身者であるカブラルにとって、下剋上がまかり通る日本は悪夢のような場所でした。
一方で、ヨーロッパでの貴族にあたる大名・大友宗麟には好意的です。身分意識が強かったのでしょう。
これに激怒したのが、前述のヴァリニャーノです。
こんな差別と偏見まみれの者が布教できるものかと、彼を追い出しにかかりました。
アマゾンプライムビデオ『MAGI』でのカブラル描写も、こうした史実を踏まえると大きく頷けますね。
貴族出身で下剋上を嫌うカブラル。
そんな彼が、百姓出身とされる豊臣秀吉に言い負かされ、悔しがるしかなかったのです。
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秀吉に反論されたあと小男と罵り、ついにはスペイン艦隊でぶっ潰すと言い出すカブラル。
その描写も、史実をベースにしているのでしょう。
カブラルにとって、日本人というだけで差別対象なのに、よりにもよって平民出身者がいばり散らしているのです。まさにあの場面は、屈辱の極みでした。
ヒロンはどう言ってた?「日本人=処刑人」
『MAGI』には、宣教師のみならず商人も登場します。
能天気な来日外国人ではありませんよ。
日本人奴隷を売りさばくわ、豊臣秀吉に文句を言うわ。しかも、戦国時代の残酷さや、秀吉による宗教弾圧も目撃してしまうので、呑気に日本を賛美するはずがありません。
アビラ・ヒロンというスペイン商人がいます。
彼は『MAGI』でも描かれた【秀吉の野望】を目撃します。
秀吉といえば朝鮮出兵が有名です。しかし、それだけではなくフィリピン・マニラ攻略すら視野に入れていました。
スペイン支配がまだ手薄で、今ならば征服できるという報告を受け、乗り気であったのです。
そんな秀吉相手に、スペイン側も無策であったはずもありません。
フランシスコ会、ドミニコ会から宣教師が派遣され交渉にあたりました。
イエズス会は当時、日本で始まった切支丹迫害により、危機感を強めていたのです。
フランシスコ会やドミニコ会は、イエズス会弱体化の今こそチャンスだと、舐めてかかって来日しました。
そんな様子を記録したのが、ヒロンでした。
ここでちょっと考えてみてください。
秀吉の切支丹迫害が始まった時期にカトリックが来日して「日本って素晴らしいなぁ〜」なんてことが言えるかどうか。
無理でしょう。
はい、その通りです。
生々しい処刑や弾圧を見て、ヒロンはそのことを記しています。
・日本人はともかくキレる。主よ、日本人のキレやすさを何とかしてください
・日本人は、恩義なんか即座に忘れるし、親切心に付け入ってくる
・ともかく日本人って残忍で非情。陰険で誠意なし。極端な行動ばっかりする
どれだけ嫌な目にあったのでしょうか。
そのヒントがあります。
・斬首刑って、なかなか大変じゃないですか。でも、日本人は茎でも切るようにササッと斬首するから怖い
・処刑人の手際が良すぎてもう、信じられない!
・日本人は全員が処刑人。もう「日本人(ハポン)=処刑人(サヨン)」って認識でいいよ
・磔串刺しを見てしまった。もう無理。一人の胸の内部で槍が十字になって交差するとか信じられない
要するに、ハードコアな処刑や切支丹弾圧を見てしまったようです。
武器にせよ、帯刀が庶民にまでまかり取っておりますから、そりゃおそろしいものがあったことでしょう。
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ちなみに日本刀の切れ味は、独特のものがあります。
西洋の処刑人は、両手剣や斧の重みでエイヤッと斬首していました。処刑人一族が鍛錬を積んできたものなのです。
一見残酷に見えるギロチンは、実はミスによる斬首失敗をなくすための発明でした。
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それを日本人は手に持った刀で、割と楽々と斬首しているように思えるわけでして。
リアル『北斗の拳』ワールドにやって来ちまった感があるのでしょう。
幕末も同じです。
日本刀はどうしてこんなに斬れ味がよいのか?と、ビクビクしながら外国人は記録しておりました。
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そんなヒロンですが、秀吉のことはそこまで悪意を持って記していません。
むしろ【徳川家康という最低最悪の王】と比較して、懐かしんでいるほどなのです。
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東軍好きであれば、褒め称える。
西軍好きや石田三成、真田幸村ファンからすれば「狸親父」です。
これは当時の来日西洋人でもそうです。
ヒロンのような人物からすれば「統治力もない、人間のクズが王になった。あーあ、秀吉様の頃はよかったなあ」という辛口になるんですね。
一方で「この優れた王のもとで、あれほど戦乱の極みであった日本が、すっかり平和になりました!」と諸手を挙げて大絶賛する人々もおります。
彼らの評価の違いは何なのか?
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