涼しげな夜風が吹くバルコニーの中、一人で夜空を見上げていたアインズの元にやって来たラナーは隣まで歩み寄ってくる。
「主催者がこんな所に居てよろしいのですか?」
「別に構わないだろ。後のことはザナックが上手くやってくれるさ。それに、私が居ない方が皆寛げるだろうしな」
会場では第二王子であったザナックが大勢の貴族を相手に世間話に興じている。
彼も中々に頭の切れる人物なようで、ラナーと同じく宰相のアルベドを補佐する立場にある。
本当ならラナーも彼と一緒にあの場で来賓の相手をしなければならないはずなのだが、どうやら兄に仕事をぶん投げたようだ。
アインズの姿がなくなったことで、会場内の空気は目に見えて緩んでいる気がする。
苦手な上司が居なくなった飲み会の席。
そんな状況を幻視してしまい悲しくなってしまうが、それも仕方がない。
王国貴族に深く根付いてしまった悪癖は今も残っているかもしれない。それらを封殺するには、魔導王を恐怖の対象にするのが有効なのだから。
「全員がそう思っている訳ではないようですよ」
「まぁ、エンリとネムはそうかもな」
エンリとネムの様子を見てみると、二人は楽しそうに食事をしている。テーブルにあった料理の殆どが平らげられ、今はデザートを食していた。
(ん? エンリたちと一緒に居るのはレエブン侯と……その子供か?)
働き過ぎたのか、あまり顔色のよろしくないレエブン侯は、緩み切った顔で息子らしき小さい男の子といる。
大人ばかりの会場で唯一の子供のネムと友達にでもなりたかったのだろうか。
「それで?」
「?」
「私に何か話があって来たのだろう?」
「ええ、もちろんです。ですがその前に、私に
ラナーから返されたのは魔法の力で文字が読めるようになる眼鏡だった。
アルベドから最古図書館の存在を聞いたらしいラナーの熱望により、利用許可を出していたのだった。
「……もう日本語を覚えたのか?」
「はい。『漢字』に関してはまだ完全とは言えませんが、前後の文章から推測は出来ますから。私にはもうこれは必要ありませんので」
(頭が良いとは聞いていたけど)
それにしても度が過ぎている気がする。
日本人であるアインズでも、読めるけど書けないなどのように漢字は難しい。
デミウルゴスが良く言ってくる「
「お陰様で、私がクライムに抱いている愛情がなんらおかしなことではなかったと知る事が出来ました。アインズ様がおられた所ではもっと色んな、私にも理解出来ないような愛情表現がありますのね」
合わせた両手を顔の横にやって嬉しそうに笑うラナー。
この娘は一体どんな本を読んだのだろう。
最古図書館には膨大な数の書物がある。
ユグドラシル時代、仲間たちが面白半分に集めまくっていたので無いジャンルを探す方が難しいほどだ。
「まぁ、お前の性癖について何か言うつもりはないさ」
「うふふ、アインズ様でしたらそう言っていただけると思ってました」
ペットを飼う。
その本当の意味を知った時は、流石にちょっと引いたし、驚いた。
しかし、こちとら変態紳士と交友を続けていたのだ。他のメンバーだってクセの強い者ばかり。そんなギルドのまとめ役を担っていた身からすれば、ラナーの性癖などまだ可愛いと言える……と思う。
その少年と碌に会話したことがなく、どこか他人事として受け取っていた。
敢えて何か言っておくとすれば「ほどほどにな」ぐらいだった。
「他にも分かったことがあるんです」
「ん?」
「私は狭い世界しか知らないでこの世界に絶望していたんだと……王宮に閉じこもって聞こえてくる話だけで全てを理解した気でいました」
ラナーは、王都の街並みに視線を向ける。
「でも違ったんですね。世界には私の知らないもので溢れている。ねえ、アインズ様」
「なんだ?」
「あそこに見える月には何があると思いますか? あそこの一際輝いている星ではどんな世界が広がっているのでしょうね」
今度は夜空を見上げる。子供が新しいオモチャを見る様な、好奇心に溢れた瞳をしていた。
「宇宙探検か……それはまた、随分とスケールの大きい話だな。実現させるのに何百年、何千年かかるか……」
そもそも宇宙旅行なんて実現可能なのかどうか、考えたこともないので分からない。
パッと思い浮かぶのは宇宙戦艦だった。
長い長い時の中、魔法と技術を発展させ、<熱素石/カロリックストーン>のような規格外のエネルギーを秘めたアイテムがあればもしかしたら――――。
可能、不可能は置いておいて、それ以前に途方もない時間が必要だろう。間違いなく人の寿命の間にどうこう出来る話ではない。
ラナーも重々承知だろうと彼女の方を見ると、彼女もこちらを見ており、目と目が合う。
無言のままに彼女の目が言っていた。
「……不老になりたいのか?」
「アインズ様であれば難しいことではないのでしょう? 知りたいことが沢山あるのに、それを叶えるための時間が足りないなんて、悲し過ぎます。くすん」
涙を拭う仕草を見せるが、かなりワザとらしい演技だった。
「分かった。それがお前の望みならば、保留にしていた褒美として叶えよう」
「うふふ、ありがとう御座います」
「ただし、しばらく待ってもらうことになるが構わんか?」
「はい。構いません」
不老になろうとした場合、方法はいくつかある。
超位魔法を使う場合<強欲と無欲>に経験値を貯め込まなければならない。現在蓄積された量で賄えるかが分からないために調査に時間が必要だ。
他には、寿命を持たない異形種に転生すること。
種族によっては姿形が変わってしまうので、よく考えて決めてもらうべきだろう。
「では、ご褒美をいただくことは約束いたしましたし、次は私からアインズ様に提案がありまして」
「提案? なんだ? 言ってみろ」
「はい。私を妻として迎えてくださいませんか?」
「……は?」
「三番目はラキュースに盗られちゃったのが少し残念ですけど、四番目としてどうでしょうか?」
第三王女から第四王妃ですよと、両手でピースしてくる。
「気が付いたのです。私のような歪んだ精神を持った者には、それを許容してくれる、全てを包み込んでくれる懐の深い方が必要なんだって」
「むぅ、しかしなぁ……」
最近立て続けに増えていく女性関係に悩んでいたのもあり、毎度のことながらなんと返答したらよいか困窮してしまう。
「私を妃に迎えてくだされば、アインズ様の御威光を国全体に伝えやすくなりますよ。これでも一応、国民には人気がありますから」
(まぁそうだよなぁ。確かにラナーを手元に置いておくのはメリットが多い)
アルベドたちナザリックが誇る知恵者と同等の頭脳を持っている話だから彼女の価値は高い。
アインズはこれまで取捨選択してきた。何がナザリックの利益になるかどうかを優先的に。
ならば、ここでの選択肢など最初から決まっている。
アインズはラナーに向かって笑いかけ、頷く。
「いいだろう。私の元でその能力を存分に発揮してもらうぞ」
「はい。これからの永劫の時を、ちゃんと可愛がって下さいね」
◆
魔導国王城のアインズの寝室。
ここはアインズの執務室の隣に作られた部屋だ。
アインズは睡眠を必要とする肉体になっているが、個人的にしておきたい事が非常に多いため、マジックアイテムを使って睡眠・疲労を無効化していた。
ただやはりというか、人間の精神では一睡もせずに働き続けるのには無理がある。脳の記憶を整理するためだったり、精神的疲労を回復さえるため、更には休みたがらないナザリックの面々に休むことの大切さを示すためにも、アインズは度々睡眠をとっていた。
アインズ当番のメイドが、アインズが眠りにつく時まで一緒に居たがっていたが、今現在、寝室に当番のメイドの姿はない。ついでにアインズ当番とは別の、部屋当番のメイドの姿もない。
理由はキングサイズよりも大きな天涯付きベッドにあった。
そこにはベッドに腰掛け、落ち着かない様子で足をブラブラさせている少女の姿があった。
「うぅ、また緊張してきた。サトルの奴、まだ仕事が終わらないのか」
キーノ・ファスリス・インベルン。
アインズの妃、及び妾の人数が増えたことである問題が発生した。
すなわち、アインズの夜の相手を誰が、何時するのかという問題。
ただこの問題は発生と同時に解決した。
デミウルゴスとセバスが「こんなこともあろうかと」と言って、夜の順番の予定表を作成していたのだ。
シャルティアなどは当然反発した。「御方の寵愛を一番に受けるのはわらわでありんす」と声高にして。
しかしながら、その主張は認められなかった。「御方に選ばれた女性たちへの寵愛は平等であるべきではないか」というのが彼らの主張だった。
この件については全権を持っているらしいデミウルゴスとセバスに従わないのなら、順番を飛ばされたりといったペナルティが科されてしまうらしく、反対の声はそれ以上上がらなかった。
平等と言う言葉に偽りはなかった。
魔導王としての仕事もあるアインズと、その日の女性側の都合が合わない日もある。そういった時の調整も、王都によく居るセバスが円滑に行い、不平等なことは起こらない。完璧とも言える大奥管理体制が敷かれていた。
そして、今日はキーノの番という訳だ。
そのキーノはといえば、今度はシーツを伸ばして整えたりと忙しない。完璧にベッドメイクされているのにも関わらず、もう何度も同じことを繰り返していた。
やたら大きな枕を抱きかかえ、右に左にゴロゴロと転げまわる様は部屋の主とよく似ていた。
「あぁ、楽しみだけど不安だ。サトルの奴、前みたいにしないといいんだが」
実はキーノがこの部屋に来るのは二回目。一回目を思ってモンモンとしていた。
純潔を失った日。
初めて男性を受け入れた時は幸せを感じながらもすごく痛かった。
それも当然だろう。キーノの肉体は12歳の時のまま。大人と子供の差がある。アンデッドであるがゆえ痛みには耐性があっても、戦闘で受ける痛みとはまるで違う痛みにキーノは半泣きになってしまった。
涙を流しながら「大丈夫」と健気に笑って見せると、サトルはとても優しく抱きしめてくれた。
嬉しかった。
幸せだった。
しばらくそのままでいると、サトルはアンデッドに回復効果のある力を使ってみようかと提案してきた。
やっぱりサトルは優しいと思う。
必要ならばどこまでも冷酷になれるが、一度懐に入った者には本当に優しい。
その厚意に甘えたキーノだったが、今思えばあれは間違いだった。
サトルの手が負の力を纏い、キーノの体に触れた瞬間。
キーノの身体は得も言われぬ快感に襲われた。痛みなどどこかへ飛んで行ってしまうほどに。
じんじんと感じていた痛みはなくなったかわりに別の問題が発生した。
気持ち良すぎたのだ。
呂律の回らない状態で待ったをかけようとしたが遅かった。
気持ちよく感じてくれていると思ったサトルは、キーノの身体に触り続けた。それこそありとあらゆる場所を。
その度に今まで出したこともない、あられもない嬌声を上げてしまった。調子に乗ったサトルは止まらなかった。
結局、その日は一晩中ずっとしてしまった。
(あれは凶悪過ぎる。やっぱり今回は封印してもらって普通に……普通にイチャイチャ……)
その光景を想像するだけで頬が熱くなっている気がした。
「サトル、まだかな…………っ!?」
キーノの耳に扉が開く音が聞こえてきた。
ノックもなくいきなり入って来たことからメイドではあり得ない。
ゆっくりとした足取りでこちらに歩いて来るのは、予想通りサトルだった。
サトルがベッドの傍まで来る。
「サトル、お仕事お疲れさ……えっ?」
キーノの言葉は途中で切れる。
サトルがおもむろにダイブしてきたのだ。
(ちょっ! そんな、いきなり?)
もうちょっとムードとかは? そんな思いを抱いて、キーノはまるで無力な小娘のように丸まってしまった。
だけど同時にちょっと嬉しい。それだけ自分に会いたかったのだと思って。
ボフンという音と共にベッドが揺れる。
「……あれ?」
ドキドキしながらちょっと期待していたキーノが丸まっていた態勢を解く。そしてサトルの姿を確認すると、ベッドにうつ伏せていた。それはそれは見事な大の字で。
「サ、サトル? どうしたんだ?」
「あああああもう、疲れたよおおお」
顔面からベッドに埋もれているため、くぐもった声を上げる。
「サトルは確か、マジックアイテムで疲労しないようにしてたんじゃなかったか?」
「んん、そうなんだけどぉ、精神的な疲労には意味がないんだよぉ」
埋もれていた顔を横に向けたことでマトモな声が聞こえた。
「なんだ、愚痴なら私が聞いてやるぞ。これでも私の方がお姉さんなんだからな。ほら、サトル」
「んん」
トントンと自分の膝を叩く。アッチの方のことはサトルがこんな様子ではしょうがない。
サトルはノッソリとした動きでキーノの太ももの上に頭を乗せる。
俗に言う膝枕だ。
仰向けになったサトルの頭を撫でてやる。
「それで、何かあったのか?」
「うん……ラナーがな……」
「ん? あの小娘がどうしたんだ」
「ラナーがメチャクチャ仕事を持ってくるんだ。なんでも王国時代には実現不可能だった案件とか、ずっと貯め込んでたアイディアがあったらしくて」
「ああ、成程な」
ラナーが天才だというのは前から知っていた。
あの娘のことだ、貴族が横やりを入れてくると分かっていて、誰にも話していない政策とかがあっても可笑しくないだろう。魔導国の力もあって更に新しいことを思いついたとしても不思議はない。
サトルの様子から恐らくとんでもない量だったのだろう。
「でも、サトルはそれだけの仕事を終わらせて来たんだろ。凄いじゃないか」
キーノもサトルの仕事を手伝ってみた事があった。その時見た書類は経済に関することだったが、とにかく難しいことが一杯書いてあって、理解するのにかなりの時間が必要だったのを覚えている。
他にも政治や外交や法律なんかもあるだろうに、それらをしっかりとやり切るというのは尊敬に値する。
「自分は凡人だ」なんて言っていたが、やっぱりサトルは凄い奴だった。
恋人としては労ってやらなければばらないだろう。
そう思ってもっと撫でてやろうとすると――――。
「……おい、何故目を逸らす。何故横を向く。なんか目が泳いでいたぞ」
「ふっ、キーノよ。俺が本当に全てを理解して判を押していたと、本気で思っているのか?」
「へっ!? じゃあ、何も理解しないまま決済していたのか?」
「それはちょっと違うぞ。大方はどんなものか理解している……多分」
「多分って……そんなんで大丈夫なのか? あと、偉そうに言うとこじゃないぞ」
「俺が中身を完全に理解してないのは……確かにまずいけど、まぁ問題ないだろう。ラナーだけじゃなく、アルベドやデミウルゴスも精査したものだからな」
キーノは一瞬呆れそうになったが、すぐに思いなおす。
トップにも色々あるのだろうが、サトルのように優秀な部下が沢山いるのであれば方向性だけ指示して、あとはふんぞり返っていればいい。それで十分国は成り立つ。
それでもサトルは自分の苦手分野でも頑張ろうとしているのだから褒めてあげるべきだ。
キーノがサトルの立場だったら、あんなに優秀な部下がいるのだから丸投げする可能性が高い。
「なんにしてもお疲れ様、サトル」
「んんん、キーノの手、冷たくて気持ち良いな」
額に手を当ててやると気持ちよさそうにしている。
このまま眠ってしまいそうな気配だ。
(よっぽど疲れていたんだな。あっ、でもこのままじゃ今晩は何もしないの……かな)
疲れているサトルをこのまま休ませてあげたい。
しかし、変に期待していた手前、何もないままというのもそれはそれで残念な気分になる。
どうしようか迷っていたキーノは意を決して聞いてみる。
「なあ、サトル。き、今日はもう、何もしないで寝るのか?」
「ん?」
言って少し後悔する。
恥ずかしくて堪らない。
今自分はどんな顔をしているのだろう。
サトルの頭を乗せている太ももが無意識にモジモジと動いてしまう。
こちらを見上げるサトルの目と目が合う。
「……するに決まってるだろ」
「え、ちょ、サトル! ひゃん」
◆
「なあ、サトル。私の胸は……その、小さいから触っててもあんまり楽しくないんじゃないか?」
何を今更言うのだろう。
確かに胸は大きい方が好みだ。それは今も変わっていない。
しかし、キーノ然り、シャルティア然り、無い胸もそれはそれで良いものだと思い始めているのも確かだった。
(でも、それを何て言ったらいいのか……)
女性にとって、胸は特にデリケートな事柄。下手なことを言って傷付けるのは本意ではない。
言い淀んでいてもマズイ。
頭を高速回転させたことで、脳裏にある金言が浮かんだ。
「ごほん、良い事を教えてやろう。女性の大きな胸には『夢』が詰まっている。そして小さな胸には……」
「ち、小さな胸には?」
「『希望』が詰まっているのさ」
少々芝居がかった言い回しをしてしまったが、この際構わないだろう。
ドヤ顔でいるとキーノは俯き、体が少し震えていた。
「どうした? キーノ」
「サトルの阿保おおおおおお!! うわあああああん!」
「ちょ!? キーノ!?」
泣きながら去って行ったキーノを呆然と見送る。
何で泣かせてまったのだろうか。
「…………あっ」
キーノは吸血姫。アンデッドだ。
その肉体は永久に不変。
キーノを宥めるのに、結構な時間を必要とした。
おまけ
「やっちゃいましたねえ、モモンガさん」
「ペロロンチーノさん!? ええ、迂闊なことを言っちゃいました」
「女の子にとって胸の大きさは男のアレと一緒とか言いますもんね」
「そうなんですか? ところでペロロンチーノさんはなんでシャルティアを貧乳にしたんですか?」
「女の子が小さい胸で悩んでるのって萌えません?」
「ああ、まぁ、なんとなくですが、分かる気がします」
「おっ、モモンガさんも貧乳の良さが分かってきましたね。それじゃあこの国を貧乳至上主義にしちゃいましょうか」
「勘弁して下さい。それよりも今回のようなことが無いように、何か巧い言い回しとか教えてくださいよ」
「そうですねえ……」
「ふっふっふっ。その議題には俺も参加させてもらおう」
「誰だ!?」
「き、君は……」
「「フラットフットさん!?」」
ラナーの世界はクライムだけで完結せず。
複数人いる同等クラスの知者とも仲良くなれるでしょう。
アインズがキーノに使ったのはネガティブ・タッチじゃないよ。
アンデッドに対する回復効果があったのはユグドラシルのサービス開始一週間だけですので。