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 住民に大きな負担と緊張を強いる1カ月となろう。安倍首相と各知事は、重い政治責任と説明責任を負った。国民の理解と協力を得て、この危機を乗り越えられるか、政治指導者の覚悟もまた問われることになる。

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、首相がきのう、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態を宣言した。大型連休が終わる5月6日までで、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県が対象だ。

 ■私権を制限する重み

 新型コロナを対象に加える改正特措法の施行から3週間余り。なぜ今、宣言なのか。首相はきのうの記者会見などで、東京、大阪など都市部を中心に感染者が急増し、医療現場が危機的な状況になっていることを理由にあげた。1カ月という期間については、取り組みの効果を確認するために必要だとした。

 首相によるイベント自粛や全国一斉休校の要請は、専門家の判断を仰ぐことなく、唐突になされた。それに対し、今回の宣言の内容は特措法で定められた諮問委員会の意見を踏まえた。首相による国会への事前報告と質疑が行われたことと併せ、その手続きに一定の透明性は確保された。

 首相は海外で行われているような「都市封鎖」にはつながらず、「社会経済機能への影響は最小限にとどめる」と強調した。一方で、他人との接触を「できれば8割、最低でも7割」減らす努力も求めた。

 特措法に基づき、知事の権限で行う外出自粛の要請や商業・娯楽施設などへの休業の要請・指示に罰則を伴う強制力はないとはいえ、やはり法的根拠のある措置は重い。自治体が休止を求める施設はかなり幅広くなりそうで、日々の生活への影響は大きいと言わざるを得ない。

 臨時の病院開設のための土地の強制使用や、医薬品や医療機器の販売の要請・収用など、強制力のある命令もある。

 朝日新聞の社説は、市民の自由や権利を制限し、社会全体に閉塞(へいそく)感をもたらす緊急事態宣言には、慎重な判断が必要だと主張してきた。特措法にも「(自由と権利の)制限は必要最小限のものでなければならない」という「基本的人権の尊重」の項目がある。その重みを十分踏まえた対応を求める。

 ■「不安」拭う対策こそ

 政府は宣言と併せ、過去最大となる事業規模108兆円の緊急経済対策を決めた。コロナ禍の影響が深刻な世帯や中小企業・個人事業主に対する現金給付が目玉である。

 しかし、30万円を受け取れるのは、住民税が課されない所得まで収入が減少するなどした世帯に限られる。中間所得層以上の多くは失業しない限り対象とならない見通しだ。

 個人事業主には100万円、中小企業には200万円を上限に現金を給付するが、売り上げ半減という厳しい条件がつく。既に実施されている融資制度はあるが、借金は返済するのが前提であり、苦境に陥った事業者らが背負える金額には限界がある。不安の払拭(ふっしょく)に向けた一歩ではあるが、十分とは言い難い。

 自粛要請と補償は一体であるという野党などの主張に対し、政府は一貫して否定的だ。しかし、そこで働く人の雇用と生活を守ることを最優先に、できる限りの手当てをすることは、感染拡大の機会を確実に減らすことにもつながるはずだ。

 ■信頼の礎は情報開示

 宣言は1カ月で終わるのか。どんな状況になったら出口が見えるのか。その目安を示すのも政治の責任である。

 首相はきのう、1日あたりの新規感染者数をクラスター対策が可能なレベルまで低減できれば、感染者の爆発的増加の可能性は相当程度、低下するとの見方を示したが、その具体的なレベルには触れなかった。見えないウイルスへの対応だけに予測しにくい面はあろうが、専門家の意見を聞きながら出口戦略を探ってほしい。

 首相は行政だけでこの危機は乗り切れないと、国民の協力を強く呼びかけた。人と人とが支え合うこの社会を守り維持するうえで、その構成員である個人一人ひとりの責任は大きい。しかし、個人が誤りなき判断をするためには、政府や自治体が信頼され、正確で十分な情報が遅滞なく開示される必要がある。

 安倍政権下では都合の悪い情報が隠され、説明責任がないがしろにされる例が後を絶たない。厳しい見通しでも率直に国民に伝え、責任を引き受ける。首相の覚悟が試されている。

 政府は今回の感染拡大を「歴史的緊急事態」に指定し、議事録の作成や資料の保存を義務づけた。ただ、政府内には公文書とする範囲を絞ろうという動きもある。感染症の蔓延(まんえん)は今後も繰り返される可能性が高い。後の検証や教訓につなげるため、細大漏らさず記録を残すべきだ。この宣言の下で、政府がとる行動は適切か、行政監視機能を担う国会の責任もまた重い。

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