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【ドラニュース】

ストライキなければ“東北に楽天なかった”…球音途絶え勝ち取った『12球団制』 球界危機の先にある未来

2020年4月7日 12時1分

会見を終え、大勢の報道陣に囲まれ、質問に答える古田日本プロ野球選手会長=2004年9月17日

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龍の背に乗って[球界危機3、ストライキ編]

 今、野球ファンが当たり前のように思っている2リーグ、12球団制は与えられたものではない。古田敦也会長率いる労組・日本プロ野球選手会が闘い、勝ち取ったものである。2004(平成16)年9月18、19日。史上唯一のストライキにより、球音が途絶えた。

 発端は6月13日。経営難に陥った近鉄が、オリックスと合併することが発表された。パ・リーグが5球団になる。奇数では興行に支障がある。その先にはもう1組の合併をまとめ、10球団での1リーグ構想が進められていた。6月30日にはライブドアが近鉄買収への意欲を表明。選手会は12球団制維持を求めたが、経営者側は「これは経営の問題」と取り合わなかった。

 規模が縮小すれば、プロ野球選手の人数も減る。労組としての主張はもっともだが、同時にファンの支持を失う危険性もはらんでいた。一歩間違えば「金持ち同士の内輪もめ」と受け取られてしまうからだ。重大な決断だと承知した上で、古田は戦い続けた。「セ・リーグ6、パ・リーグ5のまま、われわれが手を下ろしたらファンは離れる」。9月17日、20時48分。10時間に及ぶ労使交渉は決裂し、ストライキ決行を決めた。その会見で古田はファンにわび、深夜の生放送で泣いた。

日本プロ野球選手会主催のイベントでファンからの「スト支持」のメッセージに、満面の笑みで手を振った古田選手会長(中央)ら=2004年9月19日

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 優勝マジック点灯目前だった中日は、ナゴヤドームでの巨人戦が2試合消えた。前売りで全席完売しており、損害は5億円。それでも理解を示したが、一部球団は選手会への損害賠償を検討し、ロックアウトを決定(その後撤回)した。

 もしも御用組合だったなら、確実に1リーグになっている。つまり、楽天はなく、東北にプロ野球は根付いていない。「10年先、20年先のプロ野球を考えてのこと」。17日夜の会見で、古田の真後ろに着席していた中日の井端弘和選手会長はこう言った。歴史が裁くとはよく言われるが、16年たった今、思うことを聞いてみた。

 「あのとき、古田さんは最後の最後までストライキをやるとは言わなかったんです。ファンが離れるという思いも少なからずあったから。でも、楽天が東北を選んでくれ、パ・リーグには活気がみなぎっている。正しかったんだなと思えるし、さらに球団が増えていく楽しさもありますよね」

 球音は2日間途絶えたが、その意義はあった。「戦う選手会長」と呼ばれた古田は、現在も球団拡張運動に奔走している。新型コロナに打ち勝った野球界の未来のために。

 

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